21期振り返りブログ【かなやんさん編】成長していないかもしれない、変化はしたかもしれない、これも成長なのかもしれない

こんにちは、21期のかなやんです。
これを打ち込んでいる今日の日付は11月4日、そう、提出締め切りの日です。
計画性をもって生きることがいかに大切か、ゼミ生活、特に三田論の活動で嫌というほど身に染みたはずなのにこの有様です。「振り返り」の定義をふと考え始めるという明らかな成長を感じたのもつかの間、やっぱり人間はそう簡単には変われないんだなあと思うなどしています。


(苦楽を共にした愛すべきシェアサイクル班。みんなでトーマスに乗っているところです。)

さて、思い返すと2年生の夏、第一回説明会ガチ勢として「時間いっぱいできるだけたくさんのゼミを見る」ことを掲げて偶然ブースに参加したのが牛ゼミとの出会いでした。一つのZOOMアカウントに二人で入って回っていたのでさぞ悪目立ちしていたことでしょう。懐かしいです。

そんなわたしも晴れて牛ゼミの一員になり、先輩ゼミ員として説明会に参加すると「どうして先輩は牛ゼミを選んだんですか?」と聞かれることが多々あります。自分も2年生の時によく聞いていた覚えのある、定番の質問の一つですね。

ここで少しだけ自分の話をすると、わたしは昔から将来の夢がなく、特にやりたいことも人一倍興味のあることもないような人間でした。熱中していることはありますかと聞かれた時が一番困って、友達から何が楽しくて生きているのかまったくわからないと言われたこともありました(とても仲のいい子からの一言ですが、なかなか辛辣ですよね)。
要は当時のわたしは、特別に成し遂げたい目標も2年後にこうありたいとはっきり思い描く姿もなく牛ゼミを選んだわけです。もちろん面接ではそれっぽいことを話しましたけれど、ぼんやりした子だというのは見抜かれていた気がします。

そんなわたしがその後どんな思いをしたか、想像に難くないのではないでしょうか。

ケースアンドリサーチ、ディベート、三田論、入ゼミ、プロジェクト、そして日々のゼミでのグループワーク。詳細を書こうと思ったら原稿が何枚あっても足りないんじゃないかというくらい、本当にたくさんの活動をしてきました。その都度たくさんの壁にぶつかり、何度も無力感を覚えながらもなんとか乗り越え、いよいよゼミが終わるぞというところでようやく気が付きました。自分なりにいろんなことに取り組み成長してきた「つもり」だけだったのではないか、ということにです。
もちろんできるようになったことは増えました。いわゆる論理的思考力や批判的思考力は皆無に近かったのに多少は得られた気がしますし、自分の意見を言う場面も以前よりは格段に増えました。
ただ、どう成長したいのか、なぜ成長したいのか、その先にあるものがわからないままだったので、一つの活動から学ぶものが薄く、少なくなってしまったんです。そしてその機会がたくさんある牛ゼミだからこそ、その一つ一つの差が、最終的に大きな差となって如実に表れました。もっとビジョンをもってそれぞれの活動に取り組むことができていれば、いま、まったく違う心持ちでこの時を迎えられたのかもしれません。

これでは完全に反省会ですね。あるべき振り返りの姿に戻すべく、ここからはKについて言及していきたいと思います(もう少し続きます、長くなってしまってすみません)。
ん?Kってなんだっけ?と思ったそこのあなた。こちらのブログをさくっと読み返してみることをお勧めします。Gyu場つなぎブログ【けいこ編応答】振り返りとは

そうです、問題点ばかりに注目するのはナンセンスです。
じゃあ何が牛ゼミでの活動を通して「良かったので続けるべきこと」、つまりKなのかなと考えたとき、「面白がるハードルの低さ」を挙げたいと思います。

例えば、卒論中間報告です(牛ゼミにはたくさんの活動があって影が薄れていますが、よくある卒論執筆という活動も普通に存在しています。目立っていないだけで)。これは、4年生がひとりずつ自分の卒論について発表をして、それを受けた4〜5人毎に班を組んだゼミ員によって話し合いが行われ、質疑応答をする、という一連の流れがあります。
自分の興味関心の外のテーマだとか、正直難しくて何言っているんだかよくわからない回もあります。それでも「こんな分野があるのか」「こんな切り口があるのか」と面白がりながら聞いてみる。最初の一歩はそれくらいでいいと思います。その後のグループワークでも、同じ発表を聞いたはずなのに感想の着眼点はみんな違っていて、この人の考え方は面白いなとか、なんでそこが気になるんだろうとか、余計なことをうやむやと考えながら楽しく話し合いをしていました。

牛ゼミは多様性のゼミだとはよく言ったもので、多様なバックグラウンドを持った、多様な興味関心を持った、多様な考え方をする人間が集まっています。
そしてそれが良しとされ、各々好きにのびのびと成長しています。

それ自体も素晴らしいことではあるのですが、それ以上にわたしは、ゼミ員と関わっていると常に新しい発見があることが一番いいところなのかなと感じています。
面白いなと思って手を伸ばしてみると、そこに自分にはなかったものがたくさんあるんです。もちろん自分に合う/合わないは最終的にあれど、そこに「ある」ことに気が付けないと何も始まりません。自分の中にたくさんの点が増えていく感覚、そして他者(ゼミ員)への理解が同時に自分への理解、そして他者(社会)への理解まで広がっていく感覚が常にあります。

もっと欲しいと思ったら自分で進めてみればいいし、別にこれくらいでいいやと思ったらそこで止めてもいいと思います。
ただ、面白がって向かい続けたことが、日々の、自分の世界の解像度をあげることにつながっていたことは疑いようがありません。


(顕著な例。プロジェクト活動を通じて面白くなったわたしは、ひとりで葡萄農家さんを訪れてワインの仕込みをお手伝いしてきました。葡萄の雨、きれいですね。)

思った何倍も長くなってしまいました。Tについては割愛、いえ、恥ずかしがらずにこれを入稿して、これを見た人の糧に少しでもしてもらうことにしましょう。

最後になりますが、これを読んでくれている2年生は、ゼミ選びに多少なりとも不安を覚えている人が多いのではないでしょうか。
ちなみにわたしはずーーーっと倍率のことを気にしていました。具体的な数字は忘れてしまいましたが、2次募集でどこのゼミに出そうかピックアップするくらいには不安な気持ちが拭えずにいました。
もし同じように倍率を気にしている人がいたら、わたしは20期の先輩にオープンゼミで(ちょっと嫌そうな顔をしながら)言われた「気にするのはそこじゃないんじゃない?」という言葉をおくりたいと思います(みのりさん、見ていますか笑)。
要は買い物と一緒です。買う理由が値段ならやめたほうがいい、買わない理由が値段なら手を伸ばしたほうがいい。
もちろんどの選択をしても後悔する羽目になるのは往々にしてあり得る話です。が、自分の目的と手段を見失わないで、自信をもって進んでみてください。