21期振り返りブログ【おちよさん編】お花畑に雑草を生やす

こんにちは!21期のおちよです。
牛ゼミ生活を振り返ると、牛ゼミに入っていなければ今の私はいないと断言できるくらい、本当に貴重な時間をすごすことができました。大感謝です。
なぜ、私がこんなにゼミに充実感を覚えているのか、その理由を大学生活を振り返りながら探っていこうと思います。

大学1,2年生~おちよって頭の中お花畑だよね~
地方出身の私は大学進学を機に上京してきました。そこで驚いたのは都会のスピード。歩くのも、何かを決めるのも、全部が速(早)かった。そんな状況に適応できない自分が嫌で、徐々に自信を失っていきました。そして、そのスピードになんとか耐えるために導き出したのが「どっちでもいい」でした。自分の意志はぼんやりとはあるけれど、求められているスピードだと、言語化できそうもない。じゃあ、とりあえず「どっちでもいいよ」と言っておこう。そうやって1,2年生を過ごしているうちに、だんだん自分の意見も意志もなくなり、気づけば集団のなかでただニコニコしているだけの空気のような存在になりました。そんな自分がたまらなく嫌で、でもどうしたらいいか分からない、もやもやした日々を過ごしていました。
そして、あるとき「誰か待ってくれる人いないのかなぁ、もっとゆっくり考えたいのに」と私が呟くと、サークルの先輩から「おちよって頭の中お花畑だよね」の一言。これが1,2年生のハイライトです。

牛ゼミとの出会い
ゼミ説明会やゼミ見学を通じて、牛島ゼミの先輩たちは、議論の姿勢のようなものが身についている気がしました。「今の自分を変えたい。牛ゼミに入って、自分の意見を持って議論ができるようになりたい。このゼミを逃すともうチャンスはないかも」。そんな藁にも縋る思いで牛ゼミを受け、なんとか拾ってもらい、牛ゼミでの生活がスタートしました。

脳内お花畑の自覚
ディベートやプロジェクト活動を通じて、自分の意見を持ち、意見を言えるようになりたいと思って入った牛ゼミでしたが、1か月経っても2か月経っても、進歩は全くありません。「先生、ディベートのやり方全然教えてくれないから、意見の持ち方も伝え方もわかんないじゃん」と不満すら覚えていました。その時ふと「おちよって頭のなかお花畑だよね」という言葉が蘇りました。そこでようやく気づきました。お花畑とは今の私の状況のことを言うのだと。
私はこれまで「与えられること」に慣れていて、自分から「取りに行くこと」をしていませんでした。1,2年生の私を例にとるなら「考えて結論を出したいから待ってほしい」と主張することをせず「なんでみんな待ってくれないの?」と被害者面をするばかりになっていたのです。

脱お花畑
さて、自ら取りに行くことの重要性にようやく気づきましたが、どのように行動したらいいのやら分かりませんでした。20年かけて熟成された与えられることへの甘えは厄介で、すぐに諦めそうになります。しかし、周りの同期や先輩は、違いました。ディベートでよくわからないところは交通経済学の先生に聞きに行ったり、他の策がないかあれこれ考えたり、とにかくしぶとかったです。このような姿を見て、まずは先輩と同期の行動を見て真似することで、意見を持ち、意見を言う方法(=情報)を取りに行こうと決めました。

意見を持つこと~お手本となるゼミ員~
“よく同期Aは「なんで?」と言っていたな、じゃあとにかく「なぜ」を問うてみよう。そしたら意見が生まれるようになるかも。でもやみくもに「なぜ」を問うだけだとあまりよくないみたいだぞ。B先輩は問題提起〜結論の流れを最初に整理して、その流れを作るのに重要な主張について「なぜ」を問うていたな。相手が主張すること全てを理解しようとするのではなく、重要な部分以外は捨てる姿勢も大切なのか。”

牛ゼミにはお手本となるゼミ員がたくさんいます。そのおかげでゼミ員から吸収しようと行動するうちに、段々自分の意見を持てるようになりました。次は意見を伝える段階です。

意見を伝えること~意見を受け入れる寛容な環境~
“C先輩は質問する前に何かメモっているな、自分の言いたいことを一回メモして整理するといいのか。同期Dは〇〇という認識であっていますか?と言ったあとに意見を伝えていたな。共通認識をとるのって大事!”

意見を持つときから継続してゼミ員の行動を見て学ぶことで、伝え方のコツを掴むことができました。しかし、また1,2年生のときのようにスピードについていけない劣等感に苛まれるのではないかと思うと、なかなか手を挙げて意見を伝えることはできませんでした。でも、脱お花畑を目指しているのですから、自分から「待ってほしい」と言わなければなりません。また、もうニコニコするだけの自分は嫌だという気持ちもあったのでしょう。思い切って「待ってほしい」と伝えてみることにしました。するとゼミ員は「焦らなくていいから、ゆっくりでいいから」と寛容な姿勢で私の遅さを受け入れて、肯定してくれました。この言葉によって、私は徐々に意見を伝えられるようになりました。この懐の深さは、私はもちろん全員が意見を言いやすい環境を作り出しているのではないかと思います。

チームの1人として私にできること~様々な役割を経験できる&リベンジできる環境~
自分の意見を言えるようになると、自分の意見はチームの中でどのような影響を及ぼすのか、意見を言う目的、意義みたいなものを考えるようになりました。
目的や意義を考えるうえで、重要になってきたのがチームの中での役割です。例えば、リーダーは、メンバーの心理的安全性を考えながら意見をまとめて、次の議題へと進める言葉が多いです。一方、調整役はチームの皆が気づいていない穴を指摘する意見が多かったです。しかし、これは先輩や同期の姿を表しているまでで、私はリーダーとしても調整役としても何にも職務を全うできていませんでした。そこで私はとにかく様々な係やプロジェクトに挑戦する(=チャンスを取りに行く)ことにしました。最適なリーダー像、調整役を身に着けるためです。その結果、リーダーと調整役という役割をぐるぐる循環させることで両方の役割の質を向上させることができました。
もちろん、たくさんの挑戦のなかで失敗もたくさんしました。リーダーとして、急なタスクをお願いしたのにお礼の1つも言えなかったとか、調整役として、チームを俯瞰して穴を見つけなきゃと思っていたのに、目先のことに集中してしまい、それができなかったとか。ですが、牛ゼミには「あのとき何もできなかった」という思いを昇華できる機会が溢れています。次はこうしよう!と思って実際にリベンジできる環境のおかげで、たくさんの失敗をちょっとは成功に変えられたのではないかと思います。

終わりに
今だから分かることですが、牛島ゼミは自分で情報やチャンスを取りに行く「雑草魂」がかなり求められるゼミだと思います。しかも何を取りに行くべきなのか、どうやって取りに行くか、全て自分たちで考えなければなりません。言い換えるなら、自分やチームに欠けている部分、もっと伸ばしたい部分を常に探し、気づき、改善しようとしなければ、無駄な時間を過ごすだけ、何の成長もありません。恐ろしいゼミです。
でもそれは怖いだけではありません。牛ゼミには気づくきっかけがたくさん転がっています。そして、自分で気づけないところに気づき、さらなるきっかけを与えてくれるゼミ員もいます。牛ゼミのおかげで「受け身である自分」に気づき、受け身な自分をゼミ員や環境によって改善できたからこそ、情報やチャンスを取りに行く雑草魂を少しは伸ばせたのかなと思っています。

一方、牛ゼミに対して穿った見方をすると、ディベートや三田論、プロジェクトという場所が「与えられている」時点で牛ゼミもお花畑なのかもしれません。そして意見を否定せず受け入れてくれる環境や挑戦させてくれる環境も結局はお花畑、「与えられた」環境なのかもしれません。ですが与えられている中でも、情報やチャンスを取りに行こうともがけたという事実は、私にとって大きな自信になりました。

さて、長々と語ってしまいましたが、ざっくりまとめると、
「受動的で脳内お花畑だった私が、牛ゼミで、能動的になり脳内お花畑に雑草を生やすことができたよ。それは牛ゼミのおかげだよ」
「牛島ゼミのおかげを具体化すると①お手本になるゼミ員②寛容な環境③様々な役割を経験できる環境④失敗してもリベンジさせてくれる環境だよ」というお話でした。

これを読んでいる未来の牛ゼミ員の誰か1人にでも、いい影響が与えられますように!