こんにちは!19期のよーへいです!
2年前のちょうど今頃、先輩方の振り返りブログを読んで「こんな風になりたい!」と思いながらゼミのESを書いていたのが懐かしいです。
早いものでそんな僕も牛島ゼミで2年間を過ごし、あの頃の自分が感じた様に、このブログを読んでいる2年生の皆さんの牛島ゼミへのモチベーションを上げるブログを書く立場になりました。(自分でハードルを上げていく)
このブログを書くにあたって先輩方の振り返りブログを読んだのですが、どのブログも心に刺さるものがあり、「こんな良いブログ自分には書けない、何をテーマに書けばいいんだ、、」と考えに考え更に考えた結果、いっそのこと「考える」をテーマにブログを書いてしまおうという結論に落ち着きました。(ゼミ員から「浅はかだ!」とツッコミが入りそう、、)
ということで早速本題に入りますが、そもそも牛島ゼミって「考える」回数がめちゃめちゃ多いってことを知っていますか?ざっと挙げただけでもディベート、プロジェクト、卒論、ケース&リサーチ、係の仕事、などなど、、
しかもそのほとんどが「答えのない問い」を考える活動なんですよね、、
1年前の場つなぎブログ応答編で先生に「浅はかキャラ」と評された僕にとって「考える」ことは最も苦手なことであり、ゼミにおいても考える力がないからこそ何度も壁にぶち当たりました。
今回の振り返りブログでは、そんな僕が牛島ゼミでの2年間の「考える」を考えていきたいと思います。
(オフラインの夏合宿ってめちゃめちゃ楽しいから来年はできるといいね!※本文とは関係ありません)
【3年生:設定された「問い」に対して最高の「結論」を考え導く1年間】
3年生ではディベート然りプロジェクト然り、予め設定された「問い」に対して「結論」を出すことが多いです。
ディベートでは「日本版ビックバンは日本経済にとってプラスであったか?」という問いに対して考え続け、プロジェクトは18期の先輩方が年度始めに設定した「食」の問いに対し、その解決のためにどうすればいいのかを考え続けました。
この1年間で学んだことは「正解は1つとは限らないこと」、「自分にとっての正解が他の人にとって正解とは限らないこと」でした。
小、中、高と一般的な学校教育において正解は1つであり、その正解は自分を含めた全員にとって紛れもないものである、という固定観念に縛られていた僕にとってこの2つの事実は衝撃的でした。
特に後者の「自分にとっての正解が他の人にとって正解とは限らないこと」を巡っては1年間と言わず、2年間悩まされました。
自分にとっての正解とは自分の経験に基づいた価値観によって判断されるものであり、異なる経験をしてきた他者は自分と異なる価値観を形成しているためこれは起こります。
ではこの様な前提がある中で最高の結論とは何なのでしょうか?
僕は以下の4つの条件を満たした時に最高の結論に至ると考えています。
- 論理的に整合性がある
- 根拠がある
- 自分が納得するものである
- 他者も納得するものである
厄介且つ重要なのが4の「他者も納得する結論」を導くことです。他の3つは自分の中で完結するものですが、「他者も納得する結論」だけは自分の中で完結しません。
だからこそ互いに何を考えているのか考え、話し合い、両者が納得する結論を導き出していきます。
どんなにロジカルで、根拠があって、自分の中で最高の結論でも共感なき結論に他者はついて来ません。逆にこの要素を加えることができる人は、よく言う「周りを巻き込む力」がある人と言えるのではないでしょうか。
浅はかパッション野郎の僕は、今までパッション!アクション!ばかりで周りを巻き込むことができませんでした。そんな僕にとって「答えのない問いに対する最高の結論」の条件を知ることができたのは大きな糧となりました。
(「日本版ビッグバンは日本経済にとってプラスであったか」について考え続けた3年の夏)
【4年生:自分で「問い」を考え、設定し、それに対し最高の結論を導く1年間】
3年生での1年間を経て、4年生では最高の結論を導くことは変わらず、加えて自ら「問い」を考え設定するフェーズが登場します。
僕が所属していためぐるめでは2020年度の企画をする段階で最初に、「食」の分野の中で現状分析を踏まえた上でどこの部分に焦点を当てるのか、そこにはどの様な問題があるのかを考え、「問い」を設定しました。
また卒業論文ではほとんど自由に設定されたテーマから、自分の興味関心のある分野に焦点を当て、現状分析・先行研究のレビューを行った上で問題提起を考えます。
ここで衝撃だったのは「結論」のみならず「問い」すらも自分で作らなければならないことでした。
さらに厄介なのがこの設定した「問いの質」に「結論の質」が大きく左右されてしまうということです。
この「問いの質」に関してはかの有名な経営学者であるドラッカーも次の様に述べています。
「重要なことは正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。
間違った問いに対する正しい答えほど、危険とは言えないまでも役に立たないものはない。」
こんなに「問い」って大事なんですね。
確かに社会出てからは今までの学校生活の様に問題を出してくれる先生はいません。あるのは現状と積み上げられた過去だけです。そこから自身で「問い」を設定し、それを解決する最高の「結論」を導いていかなければなりません。その「問い」が間違っていれば、導いた「結論」は現状に対して有効には作用しません。
最高の結論を導くためにはまず「問い」から考える。上手くこの「問いの設定」をできたかは分かりませんが、この経験を学生時代に、それも複数回数繰り返すことができたのは僕にとって大きな財産となりました。
(問題提起から取り組んで実行しためぐるめ最終企画。ゼミ員をはじめ関係者の方々と共に作ったこの企画が成功に終わったときの達成感は忘れられない、、)
しかし、「考える」とは往々にして辛く面倒なものです。偉そうに語ってきましたが僕も2年間のゼミ生活で何度も何度も失敗してきました。また正解が分からずに進み続けるのには大きな不安が付き纏います。しかし考え続けたからこそ、進み続けたからこそ見えるものがあるし、得られるものがありました。このブログを読んでいる20期、未来の21期のその成果を一年後ないし二年後にこの振り返りブログで見ることを楽しみにしています。
最後になりますがこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。浅はかで、突っ走りがちな僕を温かい目で見守ってくださった牛島先生、2年間お世話になり本当にありがとうございました。一年前の場つなぎブログではゼミでの成果を7勝8敗とおっしゃっていましたが、あれから一年経って勝ち越しの成果を僕はあげることができたでしょうか?
また、かっこいい背中で僕たちを導いてくれた尊敬してやまない18期の先輩方、1年間で見違えるほどたくましくなったかわいい20期の後輩達、そして今までの人生で一番濃かった2年間を共に乗り越えてきた大好きな同期達にも感謝したいと思います。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
さて長々と書いてきましたが、そろそろ締めに入りましょう。優秀な先輩方や愛してやまない同期達がいい感じにオチをつけている中で僕はどうオチをつけるかという問いに対し、二年間のゼミ生活で培った考える力を活かし色々と考えたのですが、中々納得する結論を導くことができませんでした。どうやら僕の考える力はまだまだ伸び代があるようです。
この問いに対する最高の結論を見つけるためにも、これからも考えることを続けていきたいと思います。
それでは!