19期振り返りブログ【さらささん編】「出来ない」を諦めない

この先、人類に羽が生えてくることはない。

と思う。

とんでもない進化が起こるとしたらきっと別なんだろうけれど、少なくとも私が生きている間はないだろうな。

でも空を飛べたらいいなと思ったことは何度もあるし、ドラえもんの道具で1番欲しいのはタケコプターだし、鳥がとても羨ましい。

ただ、体一つで空を飛ぶなんて絶対あり得ないことだとも思ってる。こんな当たり前の事実に絶望なんてしないし、飛べないことへの悔しさすらない。

今までの私はこんな風に、出来ないことがあると「自分に出来なくて当たり前、仕方ないことさ」と、さも当然のように諦め、悔しさすら感じない人間でした。

なんの話かというと、そう。ゼミを振り返るお話です。そして申し遅れました、牛島ゼミ19期しょーじです。

こんな自分を変えたくて、私はこのゼミを選びました

と言えればよかった…。

実際はそんな高尚な理由じゃありませんでした。

「とりあえず人気のゼミにしときゃ間違いないか。んで、就活する時、具体的にこんなことやってましたって言えるようなゼミがいい。あとは、人かな。友達なら似たような人がいいけど、学びの場だったら違う考えの人がいた方がいいな。」

そんな理由。

そこで訪れた牛島利明ゼミの説明会は人がいっぱい。説明事項いっぱい。熱量いっぱい。配布物もいっぱい。なんだか良さそうだな、と思って入りました。


(2019年のゼミ説明会牛島ゼミブース。今年度もこうやってお迎えしたかったなあ。)

そんなこんなで本題はここから。やっと振り返り。

こんな感じでふわっと入ったゼミが始まるや否や、いきなりディベート。このゼミの売りの一つでもあるこのディベートは、私を大きく変えてくれた経験だったかなと思います。

最初は周りも初めてやる人が多くて、そこまで落ち込んだりはしませんでした。けれど長い時間を重ねていくと、段々差を感じるようになりました。

何よりまず「出来なそう」なことがたくさんあった。テーマが難しい。論を組み立てるのが難しい。相手の質問に瞬時に答えるのが難しい。矛盾しないように受け応えるのが難しい。その全部をクリアしていくなんて、到底できないだろうな、と私の悪い癖、諦めの速さが顔を出しました。でもそこでやめたらこのゼミにいられなくなっちゃうので頑張るしかなかった(笑)

そんなときずんずん議論を進め、まとめていく周りの同期を見て、とてもとても感心したのを覚えています。

「出来なそう」を「出来そう」そして「出来た」に変えていく彼らはすごいな。同じ人間なのに羽なしで軽々空を飛んでいくなぁ。魔法の絨毯でも持ってるのかな。

ひとつのことに多くの時間を費やす毎日の中で「あ、こりゃ私ディベート出来ないな?」と思ったことも多々あったけれど、何とか仲間の絨毯に一緒に乗らせてもらって飛び続けられました。「助けて、ジーニー」と、何度思ったことか。

そして気づいたこと。

別に彼らは魔法の絨毯を持っているわけではなかった。どうやって「出来た」に変えていくのか。その答えは日々の会議の中に隠されていました。それはそれはとても単純で地道。

こういうことが言いたいな。

こう伝えたらどうだろう。こう返されたらこう言おうか。

でもこれじゃ伝えられないな。

じゃあこうすれば伝わるかな。

伝わらなかったらこうしてみるか。

この繰り返し。

望む結果が得られない時、目標をあきらめるのではなく、伝える方法をひたすら模索することでした。

ゴールまでにいくつものルートを見つけ、開拓していく体力と気力。伝えるための手段や武器を増やそうと考え続ける粘り強さ。魔法の絨毯の代わりに彼らが持っていたのはそういう思考体力だった。

そしてもう一つ、ディベートをして学んだのは、相手はどう思っていて、どうすればわかってもらえるかを考え続ける思いやりの大切さです。これも思考体力の一つかなと。

相手の言いたいことを「分からないからほっとこ」なんて諦めたら議論なんてできない。相手は会ったこともない人たちだけど、理解しようと必死で考えなければならない。

ディベートは相手を打ち負かすことを目的としていないし、どちらが正しいかを決めるために話し合っているわけでもない。勝敗がついたり、アカデミックな内容であればあるほど忘れがちになったりしてしまうけれど、本来はお互いの意見を通して、テーマについての理解をより深め、どう第三者を説得させるかのゲーム。だから一番大切なのは「相手の気持ちになって考えてみること」。ありきたりで耳にタコができる程聞いたことのある言葉かもしれないけれど、形だけでなく本当に考えなければディベートで結果を出すことはできない。

そういうディベートの考え方は将来どこにいっても大切になるような気がします。ディベートをやって、本当に良かった。思考体力の重要性を痛感しました。

そんな学びの一年を過ごし、(ディベートのことしか話してないけれど…)四年生になった私を待ち受けていたのはコロナでした。後輩との交流もままならず、プロジェクトにも所属していない(4年生になるとプロジェクトを続けるかどうか選べます)自分はおそらくゼミととても疎遠になっていく予感がしてドキッとしたのを覚えています。

どうしよう、一人ずつしか喋れないオンラインだと思うように会話ができない。

人間関係の良さもこのゼミの売りなのにそこが全然発揮できてない。

卒業するとき、後輩は私を覚えていてくれるだろうか。

何かしようにもプロジェクト入っていないしな。そもそも接点がないのに知ってもらうなんてできないよな。あぁ。

そんな「できない」だらけの不安に駆られた私は何を思ったか。

「さてどうしようか。」

きっと今までの私なら、たった一年の付き合いだろうし、まあいいかと諦めていたかもしれない。知ってもらおうと思っても、その手段を思いつくことなくそのまま現状を放置していたかもしれない。

けれど、その時自然に「どうしようか」と考えられていたのです。「会えないけれど知ってもらう」という目標達成のために数多くの「出来ない」を乗り越える方法は何かないのか。諦めるより先にそういう思考回路が生まれていました。

会を開いて雑談できる時間をとろうか。いやでも3年生はディベートとか忙しいし、オンラインでの会話はゼミの時間にもあるけどそこまで打ち解けられなかったな。

まだそこまで仲良くないから参加するハードルも高いし、何話すか迷ったり、気を使ったりしちゃうだろうな。

ハードルが低くて、かつ私たちのことを知ってもらえて、自分たちの都合のいい時間で楽しんでもらえるものはなんだ。

そうして思いついたのは…。

そうだ、ラジオにしよう。


(牛島ゼミツイッターより。取り上げてもらえてうれしかった…)

先輩である私たちを一人ずつ紹介していくラジオなら、一方的ではあるけれど後輩に知ってもらえるし、一方的だからこそお互い気を使ったりする必要がない。皆の暇な時間に気軽に自由に聞いてもらえるし、もしかしたらそれが話のネタになって今後会話しやすくなるかもしれない。聞くも聞かないも自由。いつ聞くかも自由。選択権を相手に委ねられるコンテンツ。そう思って身内ネタ満載の、ゼミ員のためだけのラジオ番組を作り始めました。

始める時は受け入れてもらえるか不安はあったけれど快く出演してくれる人もいて、一緒に協力してくれる人もたくさんいて、楽しく聞いてくれる人もいて、やってよかったなと思えた。

直接会って繋がれないこのご時世に繋がれる方法を模索した結果、行きついたものが正解だったかはわからないけれど、思考体力を実践で使えた体験は貴重なものとなりました。四年生の振り返り終わり!(さらっとしててすみません…ゼミの公式的な活動とは違う活動の振り返りですみません…でもこうやって、やろうと思ったことを受け入れてくれるゼミだよ、勢いで何でもできちゃうぞ!ってことを伝えたかったんです…)

長くなりました。締めに入ります。

人類には羽がないし、生えてくることもきっとないかもしれない。

それでも空を飛びたかったご先祖さんたちは、飛行機を作り、ロケットを作り、今では空を越え、月にまで手を伸ばし、そして届いた。

変えるべきは、考えるべきはその手段なんじゃないのか。

羽を生やす方法ではなく。

今の自分のまま、どうやって空を飛ぶか。

羽のない身で、空を飛ぶ方法を模索すること。できないことをできるようにする手段を考え続ける思考体力の重要性をこのゼミで学べたんじゃないかと思います。


(空に向かって…!!な写真)

出来ないことからすぐに逃げるんじゃないぞと、これからのわたしに言い続けていく決心のついた2年間でした。めでたしめでたし。

最後に。

先生や先輩や後輩や同期と出会えていい学生生活が送れました。ありがとうございます。これからも末長くよろしく。

これからゼミ選びをする方たちへ。たくさんある中からもし牛島ゼミを選択肢の一つとしてくれていたならば嬉しいです。とても嬉しいです。

これで話は終わり。

ここまで読んでいただきありがとうございました。