21期振り返りブログ【りょうたろうさん編】世紀の難問に挑んだ話

こんにちは。21期のりょうたろうです。
今回は内容お任せの振り返りブログということなので、ゼミ生活の回顧を兼ねて前から気がかりだったある難題に挑みました。

▲利賀村でアブウド採らずのイベントを開催したとき。

■はじめに
「牛ゼミってどういうゼミなの?」

この2年間で、僕はたびたび色々な人に聞かれてきました。親、友達、2年生向けの説明会、就活。実は、この問いに的確に答えるのはとても難しいです。はじめのころは「説明が難しいんだけど〜」と前置きしながらも頑張って説明を試みました。でも、なんか違う。

もしかしたら具体的に説明しようとしすぎているのかもしれない、?そう考えた僕は、次に就活の面接で「とにかく変なゼミです」とぼかし気味の説明をしてみました。場の空気が凍りつきます。どうやら誤解を生んでしまったようです。

結局、僕はいまだに正答に辿り着けていません。最近は「口じゃ伝わらないからホームページを見て」と説明を放棄します。なんと無責任なんでしょうか。

しかし、このままではいけない。おそらく同じ悩みを抱えているゼミ員も多いはずです。やらなければならない。誰かがこの苦しみに終止符を打たなければ、、、

僕は決心しました。

この戦いに挑みます。このブログで、「牛ゼミとは?」に対する完全解答を導きます。

■牛ゼミとは「珍体験のハッピーセット」
活動の多様さとユニークさ。僕はまずこの点に着目しました。

これらはよく、牛ゼミの大きな特徴と言われます。しかし「牛ゼミでしか体験できないものか」と考えると、それは違うような気がします。例えば、プロジェクトのような活動は似た形態や理念を持つ団体に入れば事足りるし、牛ゼミ以外のゼミでもディベートの経験は積めます。

では一体、牛ゼミらしさとはどこに存在するのか。

三田のメディアで数時間頭を悩ませ、僕が至ったひとつの答えは「牛ゼミ、ハッピーセット説」です。簡単にいえば、個性的な活動をいくつも、詰め詰めごちゃごちゃで味わえるということ。口にハンバーガーが残ったままポテトを頬張り、コーラで流し込むあの感じです。

このことを牛ゼミでの話としてイメージしてもらうには、何か具体例が必要でしょう。ということでここから少し、僕の経験の話になります。

まず、ディベート活動です。渋沢杯に向けての準備期間は約3ヶ月。チームで会議を重ね、戦略を練り、時折カラオケで気晴らしをし、練習試合をし、また会議を重ね、という日々。
本当にあっという間で、まるで高校の部活動のような充実した日々でした。一つのことにここまで打ち込むのって大学でもできるんですね。試合で自分の成長を実感した瞬間、渋沢杯で優勝を逃したときの悔しさは、鮮明な記憶として胸に刻まれています。


▲僕レベルに熱中すると、ディベートからは「美」を感じるようになります。

そして、その濃密さはプロジェクト活動でも一緒です。僕の所属、ユニタメは今年新たに生まれ変わったプロジェクトです。活動の土台をゼロから組み立て、一緒に活動してくれそうな関係者を見つけ、何度も会いにいき、企画を提案し、ということを、メンバーと協力してコツコツとやってきました。スタートアップ企業の奮闘物語を想像してもらえば、大体僕らの姿と活動はイメージできます。

ゼミでは時折、激レアさんのような人生経験をお持ちの方がゼミに現れます。ゲストトークというゼミ活動です。その方のお話を聞いて「そんな生き方もあるんだなあ」と何度も自分の人生を考え直しました。もちろん論文も書きます。他の人の研究や考えを聞いて、なるほどと勉強になることも多々ありました。

牛ゼミでは、こうした出来事が次々と重なるように起こっていきます。ハンバーガーの余韻に浸っている場合ではありません。次から次へと、口にジューシーなお料理が運ばれてくるのです。相当な混沌状態が口中に広がります。

でも、なんの味だかわからなくても結局美味しい、美味しいとなるのが、そのごちゃ混ぜ食法だったりします。食後の満腹感と幸福感たるや、もう例えようがありません。

牛ゼミでもそうで、結局何がどう自分を変えたのかはわからないけど、全ての経験が自分にとって重要で(失敗や黒歴史なども含めて)、最終的にはこれ以上ない経験だったなと思えてきます。僕の場合、そんな2年間でした。

■牛ゼミとは「サンドボックス」
さて、話を切り替えます。

苦悩の末に辿り着いたもう一つの答え、つまり「牛ゼミ、サンドボックス(=砂場)説」も解説しないといけません。なぜ砂場と言わないのか?それは単に語感の問題です。特に深い意味はありません。

砂場は、いわば3次元のキャンバスです。なんでも作り出せます。例えば、どでかいお城とかピラミッドとか。ちなみに、僕は堀を作って水を流すのが好きでした。

でも砂場で「なんでも作り出せる!」となるには、様々な条件が満たされている必要があります。まず個人の話をすれば、失敗と手先の汚れを厭わない姿勢は大事でしょう。加えて、作りたいイメージを共有しながら手伝ってくれる友達が必要です。保護者に見守られているという安心感も大事だったりします。もし砂場で友達とお城造りに没頭する子供がいれば、そうした条件が満たされているからこその没頭なわけです。

本題に入りましょう。よく牛ゼミは「何にでも挑戦できる環境」と言われますが、それには今言ったような条件が関係しています。

大前提として、ゼミで頑張るには好奇心や粘り強さが必要です。上で言ったように、時に大変なこともあるのが牛ゼミであり、その中でも面白さや緻密さを追求する姿勢はとても大切だと思います。

でもその意識さえあれば、牛ゼミは「ユートピア」です。牛ゼミでは、何かを「やりたい!」と言うと必ず「いいね!」と言ってくれる仲間が存在します。目標を同じ熱量で共有し、その実現に向け一緒に助け合える最高の人たちです。そして忘れてはならない。我々をお天道様のように見守ってくれる牛島先生(別名店長、またの名を親牛)がいて、いざという時は助け舟をくださります。

こうした色々な人の存在と支えが心の安全や活力となるから、牛ゼミでは何にでも挑戦できるのです。つまり、牛ゼミとはやりたいこと、挑戦したいことがある人の背中を押し、その挑戦を最大限サポートしてくれる環境なのです。


▲新3年生向けガイダンスにて。Unispoから新体制に変わることを伝えた。

ただ、砂場はあくまでサラサラの砂が敷かれた場所であって、そこに座り込んでいるだけでは何も起こりません。お尻が汚れるくらいです。

それをどう活かすか。何を生み出したいのか。

牛ゼミはそうした主体的な発想と行動が、その人個人の成果を決める環境でもあります。ここでようやく、”Something new, Creative first”の意味がわかってきました。ちなみに、僕はこの言葉がとても好きです。

■結論とおわりに
牛ゼミとは何なのか。この世紀の難題に対し、僕が導き出した答えは以下のようになりました。

・牛ゼミ=珍体験のハッピーセット
・牛ゼミ=サンドボックス

なんか連立方程式みたいですね。そして、やはりまだ物足りなさは否めません。途中までは完璧じゃね?と思って書いていたのですが、なお牛ゼミという存在は掴みきれていないようです。恐るべし牛ゼミ、完全敗北です。いつか出直したいと思います。

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というわけで僕のブログはここまでです。

最近、僕は話と文章が長いと言われ続けていたので、「2000字に収める」という固い決意とともにこのブログを書き始めました。しかし、フタを開ければ1000字オーバー。悪い癖を直すには、やはり相当の時間と労力が必要なようです。

とにかく、最後までこの怪文を読んでくださった皆さん、ありがとうございました。