Gyu場つなぎブログ【はるな編応答】変な形になる成長

こんにちは,牛島です。
ゼミ選考の日程も決まりましたね。1か月以上場つなぎするのも大変だな,雑談のオンライン配信でもするしかないかなと考えていたのでほっとする反面(笑),思っていたよりやや早かったので,ちょっと慌てたりしています。しっかり仕切り直しをして4月4日に備えたいと思っています。

さて,19期場つなぎブログの5人目のテーマは「牛ゼミの3つのうわさ」でした。

牛のスタンプを送ったら,「ウワサ1にしてすみません…笑笑笑」という返信が来ました。大丈夫です。ネタに使ってもらえるなんてありがたい。課金した甲斐があるというものです。
書きたかったのは2番目ですよね。おそらくどんなお題がきても強引にこの話に持ちこんだんじゃないかという気がします。

今回は,その「成長できるのか」という話題についてです。

あいまいな期待と不安
誰しも,自分はこうなりたいな,なれるんじゃないかなという期待があり,また同時に不安や自信のなさもあるのが普通でしょう。ゼミの説明会などで2年生と話をすると,将来の明確なビジョンがある人はほとんどいません。ただし,長く話していると,それぞれにぼんやりといいなと思っていることはあったりする。でも,どこから手を付ければいいか分からないし,自分にできるかという不安もある。

将来に対する期待も不安もあるけど,まだぼんやりとしたもので,何が自分にとって良い選択なのかが分からない。いまのままではダメそうなので,とりあえず成長できる場が欲しい。そういうタイプの人も一定数いるように感じます。


(その昔,ゼミ選びワークショップで話す時に使っていた「ゼミ選びをめぐる学生のあいまいな期待と不安」のスライド)

不安や焦りが行動力の源泉になるということは,たしかにあります。
そして不安がなくなることはないし,ない人はまずいです。
ただし,不安や焦りから始まる行動や努力は,往々にして考えることを回避することにつながります。今回問題になっている「成長してそのあと何がしたいのか」を置き去りにしている状態を引き起こすことにもなるでしょう。

何かを頑張っている間は忘れられるけど,ふと立ち止まった時にまた不安や焦りに囚われる。そういうこともよくあるように思います。
それが人というものだろうと思いますが,他方で成長への期待や心の中にある不安の輪郭を少しずつはっきりさせようとすることが重要ではないでしょうか。そのためには,以前書いたように,個人としてもチームとしても振り返りの機会をしっかり持つことが助けになるだろうと思います。

成長して変な形になる
ただ,「そのあと何がしたいのか」については,ある程度ゆるく考えておいてもよいのではとも思います。

一般的には,「成長」は矢印が斜め上に伸びていくとか,小さな円が大きな円になっていくというようなイメージと結びついているのではないでしょうか。できることはもっと上手く簡単に,できなかったこともどんどんできるようになる,っていう感じですね。

でも,私は,伸びていく部分もあれば凹んでいくところもあるというイメージで成長を捉えています。丸がだんだんアメーバのようにいびつな形になっていくところを想像してください。表現としては,成長というより,むしろ変化・変形に近いかもしれません。


(2018年に開催した「めぐるめレストラン~へんてこ野菜と農家さん」で使われた規格外野菜。)

何か新しいことに臨むことは,生き方の幅を広げてみる機会です。熱中できることもあれば,それなりに頑張ってもこれはダメだと思うこともあるでしょう。
たとえばゼミで何かに取り組んだ時,もしこれは面白いと感じたら,ゼミとか大学とかの枠にとらわれず一人で外に出て,さらにもう少しだけ先に行ってみるべきです。
逆にもし一通り頑張ってもこれはダメだと思ったら,一段落したところでとりあえず撤退する。
その繰り返しをしているうちに,外の世界に触手が伸びていく部分とそうでない部分の差が出てくると思います。アメーバ化の始まりです。

世界の見え方が変わる
私が考える成長というのは,「何かができるようになる」ではなくて「世界の見え方が変わっていく」ということなのかなと思います。
たとえ痛い目に会って撤退することがあったとしても,伸び縮みを繰り返していけば,以前とは世界の見え方が少しだけ変わっていくはずです。それに気がつくのはかなり後になってからかもしれないけれど。
今まで気がつかなかったことが目に留まるようになったり,それまでは無関係だと思っていたことの間にある関係に気がついたりする。その結果,それまで関心のなかったことに興味が出てきたりもするかもしれません。

削られて凹んだ部分にも感覚は残ります。かなり単純化した譬えですが,ある苦労を経験することで,同じような境遇の人の気持ちに共感できるみたいなことってありますよね。目の前に広がる世界はバラ色ではないけれど,より複雑で豊かな景色になっていくというような感じでしょうか。

何でもできるようになる必要はありません。できるできないを他人と比べるのも得策ではないでしょう。ただ,伸び縮みを続けていくためには,何かに取り組んでいる時の自分の感覚にはもっと敏感になった方が良いと思います。

外に触手を伸ばして何か面白いことに出会ったら,できればゼミに帰ってきた時に他の人にもその面白さを伝えてもらえると,とてもありがたいですね。もしかすると,別の人が手を伸ばす機会になったりするかもしれません。

ゼミがそこに参加する人にとって,「広げて絞る」「伸ばしたり縮めたりする」ための起点になる場所であればなと思います。