18期振り返りブログ【つくたん編】人生を変えた2つの学び

こんにちは、牛島利明研究会18期のつくたんです。

まずは、大学卒業までいよいよ残り数ヶ月を目前にした今、これまで支えてくれた家族、先輩、友人、先生、その他全ての方々へ、たくさんの学びと活躍の場を与えてくださったことを、この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。

私は17期として牛島ゼミで活動を開始し、1年の留学期間を経て18期として卒業を迎えることになりました。

ゼミ活動の振り返りということで、書きたいことがいくつかありますが、その中でも今回は私の内面の変化についてお話していきたいと思います。

したがって、特に2年生の方へですが、ゼミの具体的な活動内容や実態をお伝えできるものではありませんので、あらかじめご了承ください。

大学2年時の私

当時の私を一言で表すと、 “何かできそうで何もできない人”だと思います。

それまでの人生を振り返ると、どの組織でも運良くある程度の成績を残せたりしたことで、実力が追いついていないながらもなんとなくリーダーを務めたりしたことで、年々肩書きは立派になっていくというような状態でした。

正直言うと、それはそれで成立していて、楽して良い思いをできたこともあり、ある程度、妥協の末に満足していた自分がいました

一方で、自分では何もできないことを知っており、そのダサさに気づいていながら何をどうしたら良いのかも分からず、悶々とした日々を過ごしていたことを覚えています。

「いつまで経っても、何をしても自分を肯定できない」

誰に何を言われたわけではありませんが, 自分が自分を信頼できないことがとても辛く, 情けない気持ちが常に付き纏っていました。

今の私

そんな私ですが3年経った今、自分のことを肯定的に捉えています。

もっと言うと、手前味噌でおこがましいですが、誰よりも自分のことを信頼し, かつ多角的な考え方ができるようになったことで現時点での理想に近づきつつあると思っています.

そうなれた理由は以下の2つができるようになったからだと考えています。

①何に対しても“納得解”を導けるようになったこと
②多様な価値観を受容できるようになったこと

以下で順番に説明していきます。

①何に対しても“納得解”を導けるようになったこと

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、牛島ゼミではディベートやソーシャルプロジェクト、三田論などあらゆる活動で論理的・批判的思考力が求められます。

そのため、ゼミ活動中にはよく「なぜ?」や「なんのために?」、「そもそも〇〇って…」という言葉を耳にします。

私は、このプロセスを繰り返し、論理的・批判的に考える習慣が身につくことで、

✔️活動の目的や意義を正しく、かつ、
✔️ゴールへのパスを最短で最適に設定し、
✔️自分(たち)の中での納得解を導く手段を選択できる

ようになったと考えています。

実を言うと、牛島ゼミに所属する前の私はこれができていなかっただけでなく、その重要性すらも認識していませんでした。

今振り返ると、学生の内にこの考え方を身につけられたことは本当にラッキーだったと思います。

なぜならば、論理的・批判的思考力に基づいて選択したかどうかの差は、多くの選択が待ち受けるその後の人生において、加速度的に広がっていくのではないかと考えるためです。

私は、物事をロジカルに考えられるようになったことで、正しいかどうかは別にして、少なくともその時点において、最善の、自分が納得し得る決断ができるようになったのです。

そうすると、仮に大きなトラブルに直面しても、自分への信頼を根拠に、解決までのプロセスを楽しめるようになりました。

何をするにしても困難は付き物だと思いますが、それらに対して動じない強さを身につけることは、これからの人生を全力で楽しむのに不可欠な要素と感じています。

また、グループワークが多い牛島ゼミで論理的・批判的思考力を伸ばせたことにも価値がありました。

それは、論理だけの限界を知り、人間関係の構築や深耕、活動へのポジティブな姿勢、粘り強さ、リーダーシップといった多様な資質を磨くことができたためです。

牛島先生も仰っていたことですが、仕事は1人ではできません。

社会人になる前に、チームで成果を出すことの難しさや喜び、そのプロセスを体得することは非常に大切であると思います。

牛島ゼミには多様な価値観を包括して、最適な納得解に結びつける練習の場がたくさんありました。


*三田論会議での1枚in下北沢

②多様な価値観を受容できるようになったこと

牛島ゼミと他ゼミを比較した時の違いの1つは外部の方との繋がりの機会の多さではないかと思います。

ソーシャルプロジェクトや外部講師をお招きしてのインタラクションなど、牛島ゼミでは普段学生が接点を持たない方と話したり、交流したりする機会が多くあります。


*「蹴る」上映会後の永岡選手との1枚

安定に囚われず好きなことを追求される方、地理的な不自由さを理由にせず自らの道を開拓される方、障がいを持ちながらも前を向いて努力される方など、なんとなく大学生をしていては決して出会えないような方ばかりでした。

彼らと交流する度に、私がいかに狭い価値観の中で生きていたかを思い知り、それまで自分がいかにバイアスの強くかかった価値観を基に, 周りに偏狭な価値観を押し付け, 彼らの自尊心を傷つけていたかに気づきました。

こうした経験を通じて“どんな時でも相手の立場になって考える”ことがどれだけ難しく、大切かと言うことを改めて実感することができました。

それからどんな場面でもステレオタイプを極力排除して、ほぼゼロベースで相手に向かうことを意識するようになりました。

すると, その人自身をよく知ろうと、ちょっとした声のトーンや表情、仕草に着目したり, 自分の考えを話す前にその人の考えや価値観をできるだけ聞き出そうとしたりと、一個人として相手と向き合う習慣がつきました.

こうした考えは誰であろうと相手を肯定的に見て, 尊敬するという私の長所を構成していくようになりました.

これは今, 自分が人と接する時に1番大事にしていることであり, 今後も失いたくないことの1つです.

また, 嬉しい誤算ですが、他者を認めるようになるということは、自分自身を認められるようになるということでもありました。

「他人は気になるけど、興味はない」

「協調はしたいけど、同調はしたくない」

「今の人間関係は大切だけど、それに縛られてやりたいことにブレーキはかけたくない」

全て私の矛盾する性質です。

大抵、このようなドライで冷淡な自分に気づく時、それまで自分に対して抱いていたイメージが崩れ、恐怖や失望を伴いました。

ただ、自分にはそうした側面があるということを認められた時、無理をしなくなり、健全な精神を取り戻しているように感じていました。

もちろん、こうなったことがプラスに働いたかと言われると、必ずしもそうではありません。

しかし、牛島ゼミという多面的な組織に属し、自分の本質を見つめることができたおかげで、それまでの役職と性格の整合性が取れず歪んでいた自分を矯正することができたと思っています。

そして、ありのままの自分の良さを出すことに主眼を置くことによって、自己肯定感の高まりやモチベーションの向上に繋がり、ポジティブスパイラルを自らで起こせるようになったと肌で感じています。


*優秀でたくさん学びを与えてくれた17期

最後に

紆余曲折を経た学生生活でしたが、最終的に

①何に対しても“納得解”を導けるようになったこと
②多様な価値観を受容できるようになったこと

の2つを通して, 私が私のことを信頼し, 肯定できるようになったと考えています。

そして, これらはこれから社会人になっていく未来の私をも支える礎になると確信しています.

ここまで読んでいただいた方の中にはお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこれらの変化は牛島ゼミというコミュニティでなくとも起こり得るものです。

故に、私にとっての手段が牛島ゼミであっただけで、皆さんにとっての最適な手段だとは言えない可能性もあるということです。

しかし、私にとっては牛島ゼミで出会った尊敬する先生や仲間たちと共に、時間をかけて、こうした考え方や能力を身につけられたことがとても価値のあることで、かけがえのない財産になったと思っています。

抽象度が高く少し分かりにくい文章になってしまいましたが、最後まで私の拙い文章を読んでいただきありがとうございました。

最後に、入ゼミ試験を控えた2年生の皆さんが後悔のない選択をされることを心より願っています。

それでは機会がありましたらお会いしましょう。

さようなら!