こんにちは。23期のゆうだいです。
あっという間に振り返りブログの時期になってしまいました。
2年前の今頃、牛ゼミの先輩方の振り返りブログを読み漁り、オープンゼミに参加し、必死にESを書いていたことを思い出します。
たくさん振り返ることはあるのに、いざ文章にするとなかなか筆が進まず締め切り日になってしまいました。(本当は少し過ぎています。いや、大幅に過ぎています。)
このブログを書くために改めて先輩のブログを読んでいると、共感することがとても多くて、自分が書こうとしていることがそのまま書かれていることも少なくありません。
楽しく、懐かしく、寂しく、いろんな気持ちを抱えながらこのブログを書いていきます。稚拙な文章ですが、せっかくなので最後までお付き合いください。
考えていると、僕の人生は列車にそっくりだと思います。
日本の鉄道は最北端は北海道稚内駅から最南端は鹿児島県枕崎駅まで繋がっています。
僕は絶賛運転中です。出発進行です!
券売機
まず牛ゼミに入る前の自分を振り返ってみました。
コロナ禍ということでキャンパスに通うわけでもなく、友達と遊ぶでもなく、たまにサークル行って、たまにバイトして、毎日適当に過ごしていました。
大学に入るまで失敗続きの人生、大学に入ったらキラキラした学生生活が待っているものだと思っておりました。
しかし、期待しているだけでは何も始まらず、時間だけが過ぎていきました。思い描いていた慶應ライフはどこへ行ったのでしょうか。どこへ行けば見つかるのでしょうか。
そんなことを考えながら月日は流れ、2年生の秋になりました。
ちょうどこの頃、ゼミについて考え始める時期でした。
やりたいことも特別ないし、自分にできることもない。
英語はできないし、数学もやりたくない、会計なんてもってのほかだ。
そんなマイナスな感情でゼミを探していました。
でも「残された学生生活を楽しみたい」とか「自分が一生懸命になれるものや人と出会いたい」とか「自分を変えたい」という気持ちが心の奥底に残っていました。
その気持ちを頼りに参加した4年生トークイベント。
ここで僕の気持ちを大きく変える出来事がありました。
登壇者の先輩も僕と同じような気持ちでゼミに入り、一生懸命活動していくうちにやりたいことが見つかったとお話ししていました。
これまで胸を張って頑張ったといえることがなかった僕にとっては感銘を受ける出来事でした。
こういうイベントってだいたいよく見せようとするのが普通なのに、良いところも悪いところも包み隠さず話してくれたのが本当に嬉しくて牛ゼミを受けることを心に決めました。
牛ゼミは倍率が高いのを知っていましたが、そんなことどうでもよかったです。
僕を後押ししてくれた素敵な先輩たちと一緒に活動したいと思い、くそ分量が多いESも頑張って書きました。
人生初めてのESでした。(就活でもこの量のESはありませんでした)
面接も頑張りました。
控室で優秀そうな人が仲良くしゃべってて、僕は一番後ろの窓側の端っこの席で一人で座っていたのを思い出します。
その時も先輩たちは緊張している僕を励ましてくれました。
そんな経験がなかったので僕はもう嬉しくて泣きそうでした。
応援してくれる人のためにも頑張らなきゃと人生で初めて思いました。面接は長いようで一瞬で終わり、夜の電話を待ちました。
遅くなるとは聞いていましたが22時になっても23時になっても電話はならず、不安で何も手につきませんでした。
スマホを片手にリビングのテーブルを2000周はしたと思います。ついに歓喜の瞬間が訪れます。「合格」との声を聴いていったんスマホを机に置き、外に向かって叫びました。
嬉しくて嬉しくて爆睡していた母をたたき起こして合格を伝えました。自分の中でここから新たな歴史が始まると確信した日でした。
まさに稚内の地で枕崎行きと書かれた乗車券を購入したのです。
トンネル
3年春学期。念願の牛ゼミに入ってから割と早い段階で暗闇の中で迷子になりました。
希望に満ち溢れた三田ライフ。
初回のゼミでディベートの班が発表され、約1か月間一緒に取り組むことになりました。
経験したことのないディベートに頭を悩ませる毎日。
難しさを感じながらも、テーマがおもしろかったので本番を迎えるまでは一生懸命前向きに取り組んでいました。
迎えた本番、反対尋問での相手の高圧的な言葉に萎縮し開始15分で挫折しました。
もう無理かもしれない、ディベート怖い、これから牛ゼミで2年間やっていけるのかな。
打ちひしがれた僕はそんなことばかり考えていました。
結局フリーディスカッションでは発言できず、試合には勝利したものの僕が貢献したことは一つもなかったと思います。
自分なりに一生懸命取り組んだものの、僕の一生懸命では通じませんでした。
次に待ち構えていたのはケース&リサーチ(通称ケーリサ)。3年生がテーマを選び個人発表をします。
僕は歴代の中で一番難しいとされるテーマ、大トリ、直前が素晴らしい発表ということで9回裏2アウト2ストライクの追い込まれた場面で打席に立ちました。これも自分なりに一生懸命取り組みました。
しかし、問と結論をうまく結びつけられず悔しい結果でした。
そして再びディベート。今回は他のゼミとの試合が本番で、テーマも新しく変わりました。ここでも僕は僕なりに一生懸命取り組んだつもりです。
でも一切通用しませんでした。前回のディベートの再放送をしているようで、チームになにも貢献できていないことを実感しました。
ここまでマイナスなことばっかり述べてきましたが、この経験こそが大切であったことをお伝えします。
僕は人前で話すことが苦手だし、即興で何かを考えて話すことなんてできないし、資料を作ることもへたくそ。
僕にできる事なんて何もないと思っていました。
それでも苦手なことに挑戦することができた、一生懸命取り組むことができた、助けてくれる仲間を持った。
牛ゼミの仲間は僕からしたら本当にすごい人たちばかりです。
そんな人たちと一緒に活動できた。
それだけで十分じゃありませんか。
今までの苦手なことから逃げ、打ち込むものもない、怠惰に過ごす人生から変わったじゃないか。
何もできないままかもしれないけど、この経験こそが今の自分を作っているのです。
暗闇にもいつか光を浴びる瞬間が訪れます。
長い長いトンネルも抜ける瞬間がすぐそこまで来ているのです。
遅延や運休
「something new,creative first」。牛島ゼミの掲げる理念です。
これを体現しているのが三田論の活動でした。0から100まで。いや120まで。
無限にあるテーマから一つを選択し、インタビューや文献調査を行い、問題提起と考察を繰り返す。難しいポイントはたくさんありました。
テーマを決める。まずこれが難しかった。
これに決めた!そう思った次の日には息詰まる。そんな毎日でした。
考えることをやめない、インタビューなど行動することをやめない、結論を急がない。
たくさんのことを学びました。
自分にできることは何か。
毎日自分に問いかけながら、何もできないことを悔しく思いながら、それでもできることを探して一生懸命取り組みました。
三田論志望2名から、8人で活動して冊子ができるまで、多少の立往生や後戻りはありました。
それでもゴールを目指して、いやゴールを創り出す。
今思うとすごいことをやっていたのだなと思います。
列車には遅延や運休がつきものです。
それでも列車は通常のダイヤに戻すため走り続けます。
むしろその瞬間にしかないダイヤを創り出していきます。
三田論の活動では何もない所から自分たちでしか創り出せない唯一無二の存在を創り上げました。
乗り換え
稚内から枕崎へは何度も乗り換えをしなくてはなりません。回数は数えたことがないのでわかりません。
スタートからゴールに向かって全速力で走る。
そして、その先は次の列車にバトンタッチ。
僕の人生の中でも何度も乗り換えがあったように思います。
その中で一番大きな乗り換えがプロジェクト活動でした。ここでは主にめぐるめ福島班の話をしたいと思います。
もともと農業に興味があったわけでもない、福島にゆかりがあるわけでもない。
そんな僕がめぐるめ福島班に入ったこと自体が一つの大きな人生の乗り換えでした。
「食と農の乖離」という課題といわれても正直分からないと思います。
でも一度畑に立って、汗を流して、野菜と向き合ってみてください。
本当の意味が分かると思います。
当たり前なんて存在しない。
小さいころから教わってきた言葉ですが、本当に理解したのは21歳でした。
初めての福島訪問で収穫した奇形のにんじん。
しかもほとんどが出荷できないような形をしている。
言葉になりませんでした。牛ゼミに入ってからの大きな乗り換えもこの駅だった気がします。
この乗り換えは僕たち23期が4年生になってからの活動に大きな影響をもたらします。
今年度僕たちが規格外野菜にフォーカスして活動を進めているのもそのためです。
メンバー一人一人が問題意識を共有していたことがカギでした。
それだけにとどまらず、何となくで話していた魚についても企画をすることになります。
めぐるめは歴代農業にとどまっていました。
せっかく食を扱うプロジェクトなのだから漁業に目を向けてもいいんじゃないか。
何度か23期のメンバーで話して2月には魚フェスにも行きました。(メープルサーモンおいしかった)未利用魚って言葉があることも知りました。
この列車に乗ったから出会った人、出会ったこと、出会ったものたくさんありました。
特にいつもお世話になっている江川さん。
農業だけではなくて人として学ぶこと山ほどありました。
これからの活動で必ず恩を返していきます。
本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
そして、偉大な22期福島班。3人ともキャラは違うけどピタッとはまる。
尊敬、感謝、愛。3人からたくさんのことを学びました。
また福島一緒に行きましょう。ありがとうございました。
もちろん24期福島班。みんなすっごいかわいいです。
まじめで、面白くて、エネルギー全開で。
みんなならこれからの福島班も明るいなって最初の訪問で確信しました。これからの福島頼みます。ありがとう。
最後に、大切な大切な23期福島班。
いつも訪問をはじめ活動楽しくさせてもらってます。
2月の訪問後、立ち上がれないほど泣いたのはみんなのせいです。尊い。最後まで駆け抜けましょう。いつもありがとう。
なぜか募る感謝の気持ちを述べてしまったのですが、当たり前なんて存在しないからこそ感謝は伝えられるうちに伝えたい。
福島班の活動で学んだことです。
有志型のありがとんプロジェクトでも同じことを学びました。希望さんいつもありがとうございます。
乗り換えは目的地に向かうために必要なことです。
牛ゼミで様々な経験は一つ一つが貴重で無駄なんて一つもありませんでした。
正直大変なこともありました。
だけど知らず知らずのうちに目的地へ歯車をかみ合わせて向かうのです。
線路は続くよどこまでも
長くなってしまったのでそろそろまとめようと思います。
僕の人生を日本の鉄道、つまり北は北海道宗谷本線稚内駅から鹿児島県指宿枕崎線枕崎駅への旅に例えてきたわけです。
「線路は続くよどこまでも」と言いつつ人生には始まりがあり終わりがある。
その通りだと思います。
目的地を決めて、乗車券を買って、途中で遅延や運休に巻き込まれて、たくさん乗り換えして、ひたすら進んでいく。
牛ゼミに入るまでは目的地も決まらない、乗車券さえ持っていない状態でした。
しかし、牛ゼミに入り魅力的な仲間たちにであい、目的地を見つけ、ともに進んできました。
ゴールはまだ見えないけど、少しずつ一生懸命進んでいます。
その中で正直技術的なことは何が身についたかと言われればわかりません。
それ以上に仲間というかけがえのない存在を持つことになりました。
ここには書ききれない、言葉で説明することのできない思い出があります。
感謝してもしきれません。残されたわずかな学生生活で自分と向き合い、仲間と向き合い、目的地と向き合いながら進んでいこうと思います。
このブログも途中下車や寄り道をしながらも終点まで来てしまいました。読んでくださった方ありがとうございます。今から23期みんなのブログ読むの楽しみです。みんなの人生に幸あれ!