20期振り返りブログ【じゅんじゅんさん編】2年前の君から

心臓を撫でられるような変な感覚を落ち着かせ、僕はその電話を待っていた。

スマートフォンを机に置いた瞬間、聞きなれた着信音が一人暮らしの狭い部屋に響く。牛島ゼミの先輩は一寸溜めた後、僕に合格を告げた。その日僕は牛ゼミの一員になった。

Ⅰ.四角い部屋での出会い

はじめて牛ゼミをする日、僕はなぜか自宅にいた。遅刻?いやそうではない。皆が平面、四角の枠から声を出していた。コロナ禍、オンラインで活動が始まり、画面上での活動から僕の牛ゼミ生活は始まった。僕は自分を上手く表現、そして同期や先輩のことを掴めずにいた。

それまでの2年間と全く違う充実した学びに、素直に成長や学びを感じられた。そこには先生や先輩方の学びの空間を作ろうとする想いがあった。

今となっては思い出だが、ゲストを招いたトークイベントやディベート、ケーリサなど、まだ会ったこともないメンバーとの関係を築きながら活動を進めていくのは、ゼミ生のほとんどにとって難しいことだったと思う。

私がゼミ員対して1番に感じたことは、「なんて環境に適応するのが上手な人たちなんだ」ということだ。環境が十分といえない中でも、自分たちの役割を探す同期や空間づくりをする先輩方は純粋に凄いと思った。正直自分はオンラインでの活動が苦手だった。画面に話す感覚がずっと慣れず、発言も思ったようにできなかった。

Ⅱ.闘牛士曰く

僕はマルチタスクや自己表現がそんなに得意ではないと思う時がある。

特にゼミの活動、就活、商学部ゼミナール委員長の仕事との両立は正直弱音を吐きそうなこともあった。

ある時、牛島先生に相談をした。

「なかなか上手くいかない両立をどうすれば上手くいくのか。」

牛島先生は、真剣に僕の話を聞いてくださり、1週間に「余白」を作ることが重要だと教えてくださった。

その教えの通り、自分自身を見つめる時間を作る時間を意識的にとることで少しずつ余裕が生まれ、自分の活動全てを俯瞰することができた。

また頼りになる、そして本当に優しいメンバーの助けがあって自己表現、そしてチームワークをすることができた。迷惑をかけることもあったが、日々を一緒に戦えたいい時間だった。特に三田論では限られたフィールドワークで、悩みながらも奮闘できたことはいい経験だ。

慣れることが精一杯だった1年間。

僕はやりがいと同時に物足りなさも感じていた。

Ⅲ.共闘

僕が、「足りない」そう思ったのは自分が所属する利賀プロジェクトでの活動に自分らしさを発揮できていないことだった。先輩方は個性を生かした活動をしており、利賀について真剣に考えていた。しかし、自分はそれに追随することしかできず、思うように活動できていなかった。

4年になるタイミングで「自分らしく大きなことをしてみたい」そう思ったのはこの時だった。

そしてあっという間に僕は4年生になった。自分の目標を達成するため、「富山県知事との対談」の実現を目指すも、はじめは上手くいかないことばかりであった。

そんな時に自分に向き合ってくれたのは、やはり同期、そして牛島先生だった。相談に何度も乗って頂き、船の進む方位を決めることができた。しかし、プロジェクトを進めるために同志が必要だ。この実現には、「後輩」という大きな存在があった。ゼミに入り、まだプロジェクトのことも知らなかったにも関わらず、自分の考えたプロジェクトを面白そうと言って一緒に進めてくれた後輩たちは頼もしく、そして活動が楽しかった。

当日の対談も成功させることができ、普段関わることがない県知事との活動が生まれたことは、何よりも仲間の存在がなければなし得なかったことだと思っている。

最後に、この牛島ゼミに入った時のことを思い返してみる。

正直、ゼミがどのようなものなのか、どのような人がいるのか、どう選ぶべきなのか全く知らない自分だったが、「地域との対話」の授業で牛島先生や牛島ゼミの先輩方の温かさに触れ、自然と心惹かれていった。そして今でもこのゼミが好きだ。そういう意味ではずっと一途なのかもしれない。2年前の僕から変わったものは、沢山ある。新しい繋がり、学び、経験、ひとまわりもふたまわりも成長しているだろう。しかし、2年前の僕から変わらないものもある。それは情熱だ。常に明日死ぬかもしれないという思いで何事にも取り組むことがそ最善な選択、結果を生む。今の僕は伝えたい。2年前の君に、「進め」と。

そして今の僕は聞こえる。「進め」と。2年前の君から。