17期振り返りブログ【みきてぃ編】卒業したって歩みは止まらない!

皆様こんにちは!
牛島利明研究会17期のみきてぃです。

同期の振り返りブログを読むのがとても楽しいです。
……と思っていたらあっという間に自分の番が来てしまいました。

私は自分の葛藤とかそういうのを話すのは最大の苦手分野なのですが、頑張って素直な気持ちを書いていこうと思います。よろしければお付き合いください。

私は二年前の今頃、牛島ゼミでの生活に憧れ「絶対に入るんだ!」とながーーいエントリーシートに毎日のように向き合っていました。
自分が成長できる新しい場所として、牛島ゼミを求めていました。

受かったことが本当に本当にうれしくて、胸を踊らせながら始まったゼミ生活。
でも、実際はとても苦しい日々でもありました。

入ゼミしてすぐ始まる活動が第一回ディベート。
この時同じ班だったA班のみんなは本当に大事で大好きな人たちだけど、個人的には苦しかった思い出。(あまり言ったことないから同期も知らないかも)


(写真:試合後打ち上げで行ったディズニー。)

この時私は、なんだかチームに貢献できていないような…… そんなうしろめたさを感じ続けたまま試合を終えました。
このころ、「成長するため」という選択理由は自分をすごく苦しませるなあと思った記憶があります。辛くても弱音を吐けなくて……(吐いていいんだけど)そして何より、ずっと憧れていた場所を苦しく思う自分が一番嫌でした。でもこのままじゃいけない! と思い、必死で考え抜いた苦しさの理由は「自分の役割を見つけられなかったこと」でした。

牛島ゼミのグループワークは、特に役割を与えられることがありません。だからこそ、活動をしていくなかで自然と進行役やロジカルに話を進める人等、自らの貢献方法を見つけていくみんなの姿に引け目を感じていました。
思えばこの時の私は、自ら役割を見つけて動いていくことに不慣れだったし、苦手でした。思い返すと中高はずっと部長だったし、サークルでも学年の代表を務めたり、小学校の時も生徒会長だったし……ゼミの子は意外かもしれないけど(笑)、ゼミに入る前の私は何かと役職についていることばかりでした。「自分で役割をみつけていくこと」が得意でないという自らの弱みに気づかせてくれたのが、第一回ディベートでした。

だからこそ、第二回ディベートは自分の役割を見つけるために奮闘しました。立論発表に立候補してみたり、試合に必要なレジュメづくりも担当したり……。反省や新たに発見した自分の弱みも多かったけれども、第一回に比べて達成感も、またちょっとした自分の成長も感じることができました。


(写真:「勝ちたい!」がみなぎっていたチームでした)

そしてそのあと取り組んだのが三田論!
5月に取り組んだケース&リサーチ(ゼミ員一人ずつがテーマを割り振られ、論展開を作りプレゼンする活動)で、とことんオリジナリティを追求していける楽しさを知った私は三田論班を選びました。
三田論での日々や三田論班のみんなとの思い出が大事すぎて、三田論の話になると私はテンションが何十倍にもなります。いつも高いのに……(笑)


(写真:これは三田論班が始動した日。(みんな若い!)テーマ決めのためのブレストをみんなでしました。)

三田論の時に私が掲げていた目標は、「自分のこだわりや“もっとこうしたい!”をどんどん発信していこう」でした。
私はもともと「みんなが納得できるものを」というスタンスでグループワークに加わることが多かったんです。自分のこだわりより、みんなが同じ方向を向けるよう調整したいタイプというとわかりやすいでしょうか。でも、ディベートや入ゼミ係の活動をゼミ員としていくなかで、「自分のこだわりを発信していくことってためらう必要ないんだな」と思い始めていたし、牛島ゼミのみんなはそれぞれに意見を持ち常に発信していく人たちだったからこそ「自分をしっかり出していかないと、ゼミ活動に何の色も残せない」という焦りもありました。
だから、三田論では「がつがついくぞ!」と自分なりに決意して臨んでいました。



(写真説明:7月~11月末まで、何回会議をしたかはわからない日々。苦しかったはずなのに今思うと全部楽しかったな~という感想が最初に来ます。)

「どんどん発信していこう!」という心意気で臨んだものの、学年全員で一つの論文をゼロから作ることはとっても難しかったです。なぜなら、論文を作るうえで大切にしたいポイントが個人によって異なるからです。ロジックをひたすら追求する人、オリジナリティを求める人、商店街がやりたい人……。当たり前の話ではあるけど、「みんな違う人間だ!」という発見が面白かったです。また、もうひとつの難しさとして、「全員がすべてに納得しないといけない」というのがありました。私がこれまで経験してきた複数人でひとつのものを作る活動は、リーダーや○○担当等ある程度役割が決められていました。
『全員同じ立場で、ゼロから一つの論文を作り上げ、絶対にテーマは妥協せず決める』
そんな三田論という活動は奇跡に近いなあと今でも思います。

三田論で自分が得た最も大きな気づきは、「伝えるときは論理性と情熱どっちも大事!」ということです。
論理だけではチームを動かせないし、情熱だけでもチームは動かせません。逆に言うと、その二つが両立できればどんどんどんどん自分の頭の中にある理想をグループ論文という形でも起こしていけると知りました。


(写真:提出完了直後に撮った三田論班女子の集合写真。ほっとしてそう。)

牛島ゼミでの3年生の生活は本当に濃くて、その経験は自分が知らなかった自分をたくさん教えてくれました。
例えば、「結果ではなくてそこにいくまでの過程が大事で好きなこと」「みんなが妥協せず真剣に向き合う環境が好き」「数値とかじゃなく、実際に暮らす人の声を大事にしていきたい」「自分たちがやる意義・オリジナリティを出すことにこだわりを持つこと」「文章を書いて人に伝えるのが好きなこと」等々……。
また、ゼミ員とともに活動する中で、こういうところもっと改善したい、という自分の弱みや欠点にもたくさん気づきました。そこの詳細は胸にしまっておきますが!笑


(写真:自分たちが作った論文を直接人に伝える展示の時間は、何より幸せな時間でした。)

3年生のゼミ活動で得た発見は、自分の大学4年生での生活や将来の選択にも影響を与える大きなものとなりましたし、ほんの少しの自信と勇気を自分にくれました。私は今年、ゼミ外でも初めてのことに挑戦していたのですが、それは牛島ゼミでの3年目の生活がなければしていなかったことだと心から思います。


(写真:めぐるめ初のレストランイベント開催を一緒に頑張ったみんな。17期も18期も本当に感謝しかない人々。プロジェクト生活の集大成であり、めぐるめにとってイベント開催の一歩目となった活動。)

まもなく牛島ゼミでの生活が終わろうとしているわけですが、なんだか終わる感じもしないのですよね。
毎週毎週会うのが当たり前だったみんなと会えなくなることはたまらなく寂しいけれど牛島ゼミでの生活はまだまだ続くような……そんな気がします。
たぶんそれは、牛島ゼミで学んだ一番大きなことは“物事との向き合い方”だったからです。

「学生時代にオリジナリティをだそうと奮闘した経験があるかないかでその後の人生における物事との向き合い方が変わる。大事なのは“結果”としてオリジナリティを出せたかどうかではなく、出そうと奮闘した“過程”を経験したかどうかだ」

卒論発表の時に先生がおっしゃっていた言葉です。細かいニュアンスは違うかもしれないけれど、この言葉がとても自分に響いていて。きっとこれから先社会に出てもずっと大切にする姿勢だと思います。
だから、卒業はするけれどそういう姿勢を持ち続ける限り、私のゼミ生活はある意味続いていくんだろうな、というのが今の気持ちです。
入りたくてたまらなかった2年生の自分から、つらいと感じた時を挟み、心から入ってよかったと思う今があります。それは、自分のゼミ選びを正解にしたくて踏ん張った自分と、踏ん張らせてくれた同期をはじめとするゼミのみんなの存在があったからだと思います。

最後になりますが、お世話になった先生、16期の先輩方、18期のみんな、そして何より同期である17期のみんなありがとうございました。
全員のすごいところを言えるくらい、パワフルで賢くて……でも楽しくて。そんなみんなと共に2年間を過ごせた私は心から幸せでしたし、一つの誇りです。本当に心から思っています。
ありがとうございました。そしてこれからも末永くよろしくお願いします!