17期振り返りブログ【そらぽソ編】道標となる2年間

こんにちは、17期のそらぽソです。

2年前、先輩方のブログを読みながらゼミ生活を具体的に想像しつつ、入ゼミ試験への不安と牛島ゼミでの充実した生活への期待感で頭がいっぱいだったことが思い出されます。

そして今、私はこの2年間を今後の人生の「道標」として位置付けています。
なぜなら、この2年間での経験は今後立ち向かうであろう困難や変革点において必ず振り返るべきものになると確信しているからです。

なぜこのように考えるに至ったのか。
”苦悩”や”失敗”を通じて私が考えていたことをお伝えさせていただきます。

僭越ながら私の2年間に少々お付き合いいただければ幸いです。

▼自分のことしか考えられていなかった

私が牛島ゼミを志望した理由は大きく2つあります。1つはディベートを通じて成長したいと感じていたから。中高と全力で打ち込んだ野球部での活動と比べると、大学1,2年生の私の生活はどこか”成長”を実感することができませんでした。享楽的な楽しさはあるものの、心の底から充実感を感じることはできておらず何か熱中できることを探していました。そんな時に出会ったのが牛島ゼミでのディベートでした。チームプレーかつ勝敗が明確であるという点で、野球との親和性を感じ、自分はディベートなら本気になれるのではないかと考えていました。

2つめは16期の先輩方に魅力的な方が非常に多かったからです。しかし当時は「活動的」「謙虚」など表面的な部分に惹かれており、なぜこうした魅力を持ち合わせているのか納得感のある言葉で言語化することはできませんでした。

以上のように、私は「自分がこうなりたい」という憧れだけで牛島ゼミに入りました。

そして、この憧れと現実とのギャップ、そして当時は考慮しきれていなかった「他者や組織との関係性」という点でも2年間もがいていました。


(初顔合わせ時の集合写真。希望に満ち溢れていた3年4月。)

▼2つの壁

■憧れと現実〜ディベート〜
私はかねてより希望していたディベートに取り組むことに決めました。渋沢杯連覇という重圧がかかるなかで、光栄なことに最終弁論(議論を整理し自班の主張の優位性を5分間で弁論する役割)という大役を任せていただきました。

16期の先輩の背中を追い、5分間で華麗に議論をまとめあげる。そんな理想を描いていました。しかし、正直なところ、体系的に議論を整理するどころか、議論にくらいつくのが精一杯でした。案の定、本番直前の練習試合まで規定秒数で最終弁論をまとめられたことは一度もなく不安は募る一方でした。困り果てた私は、先輩にアドバイスを仰ぐとともに自分自身の「現実」に向き合いました。そして本番では戦略を変え、自分のレベルで戦えるように準備をしました。

この「憧れと現実」とのギャップを経験したことで学んだことは、下手なプライドは捨てるべきであるということです。理想を持つためのプライドは重要である一方で、現実と向き合うことを妨げる要因にもなり得ます。まさに、本番直前までの私は後者の状態でした。この「下手なプライド」を捨てることができたことは、ディベートに「本気で」取り組むなかで変化を迫られたからだと思います。


(渋沢杯本番、最終弁論の様子。原稿を持つ手は震えていました笑)


(渋沢杯2連覇達成。努力が報われた達成感と解放感が弾ける。)

■他者や組織との関係性〜グループワーク〜

牛島ゼミの大きな特徴は「グループワーク」です。三本柱であるディベート、三田論、ソーシャルプロジェクト全てでグループワークが求められます。

私は3年次にFuture Design Project(FDP)、4年次はKEIOフットサルアドベンチャー(KFA)に所属をしていました。当初は意気揚々と活動に取り組んだものの、最終的には成果を残すことができませんでした。特に4年次のKFAでの活動は、最後まで「受動的な“やりたい”」という姿勢で取り組んでしまいリーダーに負担をかけてしまった点で大きな後悔をしています。

なぜ成果を残すことができなかったのか。それは、自身があまり得意ではないと認識していた「他者や組織との関係性の構築」に対する努力を怠ったからであると考えています。というより当初は「他者や組織との関係性の構築」はコミュニケーション「能力」であり「努力」ではないと自分のなかで位置付けていました。しかし、こうした姿勢は単なる自己正当化であることを牛島ゼミでのグループワークでの“失敗”を通じて体感することができた気がします。


(2018年度KFA実行委員のみんな。お揃いのユニフォームで一体感!)

2つの壁(実際はもっとたくさんありますが笑)に直面し、苦悩と失敗をすることで私は成長することができました。特に”失敗”は、自らの意識の量を増やし、今までと異なる考え方を強いられる点で非常に尊いものであると感じています。

だからこそ、そんな尊い経験をたくさんさせていただいたゼミでの2年間は、今後、困難や変革を迫られた時に「道標」になると感じています。

▼考える力の道場「牛島ゼミ」
最後に、「牛島ゼミとは?」に対する自分なりの回答を述べて、2年生へのメッセージとさせていただきます。

私は「牛島ゼミとは、考える力の道場」であると感じています。

そもそも「考える力」とは何か。個人的意見として、考える力には3つの階層があります。
第1階層は与えられた問題や論題に対して解を見つける「問題解決力」
第2階層は問題を自分で発見する「問題発見力」
そして最上位に位置するのが、問題を解決するために新たな価値や手段を作りあげる「創造力」です。

牛島ゼミでは、ディベート活動を通じて、解のない問いに向かい合うなかで「問題解決力」を育み、三田祭・卒業論文執筆を通じて「問題発見力」を養います。そしてソーシャルプロジェクトを通じて「創造力」を発揮できるのであろうと思います。

しかし、留意しなければいけないことは、あくまで「ゼミはフィールド」である点です。道場を活かすも活かさぬもすべて自分次第というところにこのゼミの厳しさがあることもまた事実です。

偉そうに考察してみたものの、私は残念ながら、この道場を十分に活かしきることができないままゼミ生活を終えようとしています。
この後悔は、今後の糧として活かしていきたいです。

そして、未来の19期の皆さんには是非ともこの道場を活かしきっていただければと思います。

結びに、2年間、未熟な私を見守ってくださった牛島先生、憧れの16期の先輩方、頼もしい18期の後輩たち、そして、魅力に溢れ常に刺激を与えてくださった17期の皆さんに心からの感謝を申しあげます。本当にありがとうございました。