18期振り返りブログ【みさこ編】「おもしろい人」

睦月が過ぎ如月を迎えました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今年の2月は地味に新鮮なことが多いですよね。ひとつは閏年なので2月29日があることです。珍しいことに友人に2月29日生まれがいるので、4年分盛大に祝いたいと思います。もう一つは今年から2月23日が天皇誕生日とされることです。私の姉は上皇陛下と同じ12月23日生まれなのですが、今年からもう「天皇と同じ誕生日だよ。」と威張れなくなります、かわいそうですね。クリスマスのせいで忘れられないようこちらもちゃんと祝いたいと思います。

自己紹介が遅くなりました、トップバッターを務めさせていただきます18期のみさこです。牛島ゼミ恒例の4年生によるゼミ生活振り返りブログリレーがはじまります。十人十色の同期がそれぞれに振り返ってまいりますので、ぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです。

「私あと3年以内に結婚して仕事辞めようと思うんですよね。」
先日、バイト先の19歳新卒ギャルの女の子から突然この告白を受けました。とても楽しそうに仕事をされている方だったので不思議に思っていると、「専業主婦になりたいんですよね。子供とかできて二人で旦那の帰り待つのまじ幸せじゃないですか?やりてぇ。人妻になりてぇ。」と言われました。なるほど。「人妻になりてぇ」って初めて聞きました。どんなパワーワードだと思いつつ、彼女のその主婦姿がとても想像できます。しかし一方で、もったいないなあという気持ちもすぐに浮かんできました。丁度このブログに向けて「組織」や「個人」といった側面で2年間のゼミ生活を回顧しており、私にない尊敬できる部分をたくさん持っている方だと感じていたからです。

「組織」という面でゼミ生活2年間を思い出すと、自分がチームに対していかに貢献できるかを考え直し続ける時間だったなあと思います。

きっかけとなったのは3年生春から始まる第一回目のディベートでした。7人でチームとなり討論の試合本番に向け会議を重ねていきましたが、その中で私はそれはもうやりたい放題だったと思い出せます。みんなの意見をまとめる役割にもぽろぽろ手を出し、プレーヤーとしてアイディアを発散する役割にもぽろぽろ手を出し、手癖が悪いったらありゃしませんでした。石田純一にも張り合えるくらいです。それぞれを丁寧に取り組めば両立できる役割だったりもしますが、自分の興味の赴くままにふらふらと活動していたために、女優なりプロゴルファーなりと結婚を繰り返すこととなりました。不倫は文化でした。

そのまま、あれよあれよと時間が流れ試合を終えてみると、それまでの行動にとてもとても後悔することとなります。試合中の先輩方の姿を見て、チームで戦う同期たちを見て、自分がいかに身勝手な個人プレーヤーであったか思い知らされたからです。チームのみんなにとても申し訳なくなりました。組織とは何か、組織の中で自分とは何かについて悩み始めることとなります。

その後いろいろなグループ活動で自分の役割を模索していましたが、その中で自分はチームを管理する役割に楽しさを覚えると気が付いていきます。管理するというと大げさに聞こえますが、それぞれに尊敬するメンバーがどうしたらのびのび元気に活躍してくれるだろうか、自分なりに目を配ろうと必死になっていただけです。もともと自分は生粋のプレーヤータイプだと思っていたのでこの新しい気づきには驚きました。例えるなら、合コンに参加してウェイウェイしていた石田純一が「あれ?みんなの出会い演出する方が楽しくね?」として幹事になるようなものです。メンバーがいきいきと活動できる場を整えることで組織全体が機能し、自分の想像をはるかに超える結果と楽しさが見出せることが嬉しかったのだと思います。

ここまで書いてみるとその役割を全うしている人にみえますが、実際にはまだまだ課題しか感じていません。チーム管理のなんたる難しさ、幹事石田純一の未熟さを痛感することばかりです。一人一人の個性を大切にしたい、でもチームとしての足並みを揃えたい。自分に対し要求するレベルがどんどん高くなっていき、本来持っている力以上のことを成そうとしたときには「ウェ~」となりました。私はなかなか考えすぎるきらいがあるようで、「すごく悩んでいるんだよね。どうしよう。私とても悩んでいる。」と、打ち明けたある同期からは「そこまで考えんでも。」と、おにぎりを頬張りながらそれはもうあっさり言われてしまいました。相談10分に対して回答3秒です。いやあ、こんなにもおもしろい同期をもてて涙が溢れますね。

「個人」という面でも思い出してみます。本当につい最近気づいたことなんですが、私は2年もをかけてようやく自分が「話すことが苦手な人間」だと理解できたみたいなんです。

幼い頃に遡りますが、私は人一倍しゃべるやつでした。それはもううるさかったようで、小学校の通信簿には6年間「授業中はできるだけ静かに。」と書かれましたし、姉からは「どうしてお母さんは静かなのにみさこはうるさいの?」と血筋を疑われましたし、祖母からは「あんたは口から生まれてきた。」と一日一回唱えられていました。年齢を経るにつれて落ち着きを学んでいき今ではすっかりしおらしくなりましたので、同期がこれを聞いたら驚くのではと思います。しかしそんな時期があったことで、“話すこと”は得意な方なんだと自負していました。でもよくよく考えると、それは「正しいことを言ってるっぽく話す」のが得意であっただけのようです。

ゼミのディベートでは進んで手を挙げ発言するタイプの人間でした。相手の発言に対して言いたいことが滝のように湧いてきましたし、その意見に自信もあったからだと思います。しかしそうして終えたどちらの試合も、後に残るのは自分への嫌悪感でした。なんかそれっぽいことを、なんかそれっぽく言えたことへのむかつきです。以前ある同期に、「みさこが言ってるとなんかそれっぽく聞こえるよね。」と言われたこともあるように、私は中身がこれっぽっちもないことも正しそうに言うことが出来るようです(この同期はその後「いい意味で!悪口じゃないから!」と必死の形相で弁明していていました、顔がおもしろかったです)。「このままでは口だけうまい詐欺師のようになってしまう。ゆっくりじっくり頭で考えることをしなきゃ。」と決意し、夏からの活動はディベートではなく三田祭論文執筆を選択することとなりました。

三田論では、先述した組織の面で幾度も壁にぶつかりましたが、深く深く掘っていくという内容自体はとても楽しんで取り組みました。論文の材料を調べるのも楽しかったですし、それらを論理的に結びつけることに時間をかけるのも楽しかったです。多分この時期あたりから、「自分の中でゆっくり咀嚼して細かいことぶつぶつ考えんの楽しいなあ。」と感じていたのだと思います。そして卒論に移行しましたが、こちらも根暗のようにぶつぶつ考えるのをわくわくやっていました。このあたりで、「おっと?物事を深く考え抜くことしなきゃと思って三田論にしたけど、実は今まで知らんうちにやってた?」と思うようになっていきます。

そして、これまでの間違った自分理解に気付くこととなる極めつけは19期(現3年生)のディベートを見た時です。はきはき論理的に、聡く話す後輩を見て、「これわたし出来んやつ!こっちのが苦手だったんかい!」となりました。深耕に基づきわかりやすく相手に伝えることが苦手だったんですね。2年もかけてようやく気付くなんて、と自分でも思います。しかし気付けたことは嬉しいことですし、その力を身に付けるべく出来ない原因の究明が必要です。そこで、何故わたしは考えたことをうまく言葉にできないかを友人に相談しました。「話すのって難しいよね、すごく困ってる。とても難しい。」とそれは長々と友人に話したら「確かに何聞きたいかよくわからんかったわ。」と言われました。いやあ、こんなにおもしろい友人をもてて涙が溢れますね。

こうしてつらつらと自分を回顧してみると、ゼミではたくさんの経験をさせていただいたなという想いと、まだまだ課題しか見つからないなあという再認識が湧いてきます。
そしてそれを踏まえ、やっぱり19歳新卒ギャルはすごいと思わざるを得ないです。お店として人的リソースがどこに配置されるのが最も効用が高いか十二分に考えてらっしゃいますし、個人として仕事を楽しむだけでなく顧客から多くの信頼を得ているからです。あとコミュ力おばけです。本当に尊敬しています。そのため、今後彼女がどういう選択をされるにせよ、「専業主婦はもったいないです。」という自分の考えを彼女に伝えてみようと思いました。ここで書くと長たらしくなるくらいの話に加えて「絶対社会に必要とされる人材です。ギャルさんはすごいんです。」と話すと、「慶應の人ってみんなそんな真面目なんですか?草。」と言われました。いやあ、本当におもしろいです。涙があふれてきました。

同期をはじめ、こんなおもしろい人たちと出会えてとても幸せです。とても楽しい2年間でした。何故か前が霞んできましたので、ここでお暇させていただきます。最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。