【15期振り返り記事「ゼミでの葛藤」-谷口編-】

こんにちは。15期の理文です。

「15期の振り返り」特集も終わりに差し掛かってきましたね(差し掛かるっていうより最後かな?)。一読者として、同期のみんなの記事を楽しく読んでいる今日この頃です。どの記事も素敵なのでぜひ全部の記事を読んでいただきたいな、と思います♪

さて、今日は私がゼミ活動を振り返っていきますが、少しテイストが違うものになるかもしれません。先にお断りしておきます。

というのは、ゼミ活動の中で何か新しい力を身につけ、成長したという感覚はほとんどなく、逆に成長するのは、この2年間の葛藤を踏まえたこれからになるはずだ、というのが実感だからです。
とは言っても、この2年間を振り返って学んだことを書かないといけないので、なんとか絞り出してこのブログを書きました。そんな感じなのでまどろっこしいところも多々あるかとは思いますが、最後まで読んでいただけたなら嬉しいです。


この2年間は、ゼミに限らず、絶えず環境の変化がありました。特に、プライベートで問題が多発したことが、この2年間の葛藤の始まりでした。

3年生の中頃まではなんとかゼミ活動とプライベートの両立ができていたものの、それ以降は上手くいかず、独りで悩む日々を送ることになります。
加えて、どんどん活躍し成長を見せるゼミの同期や後輩の存在がプレッシャーになっていたのも事実で、その頃には自分だけが置いていかれているような感覚に苛まれるようになっていました。

プライベートでも問題を解決できない、ゼミでも独り活動に貢献できていない、どうにか打開策を見つけなければ……という焦りを感じて何とか解決するべくもがこうとするのですが、空回りしていくばかり。
その中で、どんどんとタスク・やらなければいけないことが溜まっていき、それすら処理していくことができなくなっていく自分自身にただただ困惑を覚えていました。


結局、2年間を通してこの状況は変わることがなく、悔いばかりが残るゼミ生活となってしまいました。ただ、その中でようやく掴みかけたことがあります。それは「”仕方ない”にブレイクスルーがある」ということ。

この2年間では、「通常」であれば出来ていたことも出来なくなっていく自分自身に初めて直面することになりました。
その状況で、「出来なくなっている」自分を認められず、「通常」の自分ができるはずの量をこなそうとし、結果こなせない自分を嫌悪感が募っていきました。それが、4年生も終わりに近づいて、「理想と現状は違うけれど、自分ではどうしようもないことがあったんだから、この状況を受け入れてしまえ」と考えられるようになりました。そうすると、少しであったとしても前向きに行動できた自分を評価できるようになり、「出来ないままの自分」を受け入れることが出来るようになってきました。

今振り返ると、牛島先生の研究されている「衰退の経営史」というのもこれに近いところがあるのかもしれないな、と勝手に思っています。牛島ゼミに入るまで、「復興」という言葉を「衰退している現状を改善し、今よりもっと良くしていくこと」と私は捉えていました。しかし、先生はよく「衰退をソフトランディングさせる」というような表現をされており、当初はその真意をつかみ切れずにいました。しかし、この2年間の葛藤を通して、衰退している状況に反発するでもなく、ただ甘んじるだけでもなく、真摯に状況を見つめて、衰退している状況を受け入れることが、「衰退をソフトランディングさせる」という表現につながっていくのではないか、次の新しい何かに結びついていくのではないか、と思うようになりました。

「出来ない自分」を受け入れられるようになったのは、何事にも貪欲に取り組み、どんどんと成長していくゼミの先輩、同輩、後輩がいたからこそですし、そんな私たちの活動を牛島先生が時に優しく、時に厳しく見守って下さったからこそだと考えています。ブログの場をお借りして、感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

牛島ゼミでの活動はもう終わってしまった(?)のですが、後悔ばかりではゼミ生活を終えられないという気持ちもあります。これからも現役のゼミ員のような気持ちで、現役に負けないくらい努力していきたいです。余裕があれば、ゼミにも顔を出します。これからも、よろしくお願いします!