【イベントレポート】東松島の海苔漁師さんが東京に!(前編)

今回は、東松島からお呼びした海苔漁師お二方とのトークセッションの内容を、まるまるお伝えします。ここでは東松島の海苔を召し上がっていただくことはできませんが、イベントの中身はそのまま味わってください!

「東松島」?「海苔」?急になんだ?と思っている方もいらっしゃるでしょう。実はこの企画、かねてから東松島の海苔漁師のもとへ通っていた4人の「東松島ファン」が実施しました。

何が彼/彼女らを惹きつけるのか…。「東松島」と「海苔漁師」、そのドラマを少し感じてみませんか?

※この記事の後編はこちらです。

<ゲストプロフィール>

相澤太(あいざわ・ふとし)さん

海苔漁師 アイザワ水産
「一番海苔」『東北食べる通信』(2014年 2月号)に特集
「親方、走る。」『東松島食べる通信』(2016年 8月夏号)に特集

津田大(つだ・ひろし)さん

海苔漁師 のり工房矢本
「若き海苔屋が描く、これからの未来図」『東松島食べる通信』(2015年 2月冬号)に特集

はじめに

はじめまして、牛島ゼミ14期OBのせいたろうです。宮城県東松島市の海苔漁師、相澤太(あいざわ・ふとし)さん、津田大(つだ・ひろし)さんです。私は3年ほど前にお世話になって以来,お二人と交流を続けさせていただいています。15期のまーさ、はるな、16期のゆーなもお二人にお世話になっています。

みなさんには東松島の海苔漁師さんのことを知って欲しいと思うし、今回のイベントがいい出会いになればいいなと思っています。アットホームなスペースなので,今日はお互いに会話をする感じで進められるといいですね。

お二人の自己紹介

(津田)実家が海苔養殖をしていて、自分で3代目です。海の仕事をはじめてからは4代目ですね。今日のイベントに来るに至った経緯は、3年前にせいたろうが東北食べる通信の高橋編集長に東松島に来たいとお願いしたのがきっかけでした。俺の自宅に泊まりながら、海苔のことを話し、現場を見てもらいました。
その後、せいたろうがまーさやはるな、ゆーなを連れてくるようになりました。先週も地引網来てくれたしね。「いずれ東京に行ってゼミで話したいね」と話しをしていたので、今日のイベントが開かれて嬉しいです。

(相澤)大(ひろし)と同じ大曲浜で海苔漁師をしている、37歳です。高校を出てすぐに漁業で働き始めました。実は最初は漁師になりたくなかったんですよね。同級生に漁師になっている奴がいなかったから。しばらく別の場所で働いて、そのあと実家を継ごうと考えていました。でも、高校出たときに親父に「今やらないなら漁師はやらせない」と言われてしまって。小さいころに将来の夢を「漁師になる」と書いていたし、海苔漁師になると決意しました。

働き始めてからすぐに九州にいって半年間修業しました。高校時代にバイトをしているときの口癖が「めんどくさい」「だるい」だったんですが、九州の修行で気持ちが入れ替わり、親のありがたみがわかりました。

宮城生まれ宮城育ちで九州に飛び込んでいったんですが、自分が定時に帰るときに、じいちゃんばあちゃんたちはまだ働いていました。そこでおばあちゃんにすげえ笑顔で「相澤君おつかれさまです」と言われて、雷が落ちました。心を入れ替えてがんばらないと、と。

今では勉強してきた自負があり、海に向ったら負けません。23歳のとき品評会で準優勝して皇室に献上し、28歳のときには優勝しました。

海苔の養殖は1年に1回しか作業できません。だから経験年数がものを言う。じいちゃんたちの経験値はすごいんですよ。経験を積むのが難しいので、1年間に5人の仕事を見るようにしました。そのお陰で、ある程度海苔は作れるようになりました。

海苔が作れるようになったものの,気づいたことがあります。それは「美味しいものが美味しく届いていない」こと。

あるとき問屋さんに「美味しい海苔ってどこに行ってるの?」と質問したら、こう返って来ました。「相澤さん、海苔は10年ストックできるんですよ。」って。何年もストックしていたら、それじゃあ美味しくないですよ。

この話に衝撃を受けてから、28~9歳のとき、海だけじゃなく陸(おか)に上がって営業を始めました。山形の道の駅を2日間で回ったのですが、全く売れず。それはそうです、だってサンダル,ピアス,茶髪だったんですから(笑)。敬語の使い方すら知りませんでした。

それから、ビジネス書を月に3冊読むなど勉強を始めました。他にも、大手小売店の本社や東北支店にアポなしで営業を掛けてみたりしていました。お店の駐車場に行ってから電話して,「いま来てるんですけど、会ってくれませんか?」ってね(笑)。

デパートには大手の小売店が入っていて、どう売られているのか勉強する機会だと思って観察していました。そこで驚いたのは、店員さんが海苔を渡すだけだってこと。自分たちが伝えたいこと、当たり前に知っていて欲しいことがお客さんにまったく伝わっていなかったんです。

それから1週間、朝海から帰った後に、デパートの売り場に立って「僕は漁師なんです」と海苔や自分のことをお客さんに話していました。すると、お客さんに「兄ちゃんいいね」と言われたんです。

震災で壊滅的な被害を受けた東松島の海苔養殖

(津田)私たちが暮らしている宮城県東松島市矢本大曲浜(おおまがりはま)は人口約1,500人,震災まで6年連続で「皇室御献上海苔」が作られていた上質な海苔の産地です。有名なのは松島航空自衛隊の「ブルーインパルス」ですね。ガッキーが出てた「空飛ぶ広報室」で綾野剛が乗っていた機体ですね。僕はエキストラ出演しました。手を振るだけですけど(笑)。普段から空で特演飛行をしていますよ。

(出所)Google Map

(津田)この浜も東日本大震災の影響を受けました。6mくらいの高さの津波が来て、大曲浜は全滅。僕の家は基礎からなくなりました。大曲浜の集落では300人ほどが亡くなりました。びっしり家があったのに、危険区域になって仕事以外では入れなくなりました。今は集落の人たちは高台に暮らしています。

海苔の養殖もすぐには復活できませんでした。筏(いかだ)がくしゃくしゃに絡まって”団子状態”になって,最初の半年間はずっと清掃していました。

海苔を始められる状態になるには、お金もかかり、膨大な量の資材が必要でした。すぐに海苔の養殖を再開するのは無理だと判断したので、比較的資材が少なくて済む「ワカメ養殖」と「イワシ網」を始めました。最初の1年間はこうして資金を貯めていました。

(相澤)僕も3代目で、じいちゃん、お父さんと設備投資して工場を作ってきたのが、震災で一気に無くなってしまいました。設備をすべて調達するには2億5万円かかってしまう計算です。

海苔の養殖

1.種付け(培養と採苗)
ここからはいよいよ「海苔のお勉強」です。

海苔は「冬の海藻」で、冬にしか葉が開かないんですよね。夏の間は種として眠っています。そこで、人工的に牡蠣の貝殻に、種を埋め込んで眠らせて置きます。

海苔の種付けの時期は夏。自分たちは秋に海で育苗を始めるため、秋前までに種付けをやらないといけません。殻に「秋だ」と勘違いさせることで細胞分裂を促します。具体的には遮光シートを被せたり、水温を下げたりします。毎日顕微鏡で見ながら種を観察して調節します。

水車のような枠に網を掛け、海苔の種が入った水槽に一部を浸して回転させます。網をハサミで切って、ちゃんと種が網に付いているか顕微鏡で見なきゃいけません。漁師の腕の見せ所はここから始まります。将来どんな海苔を作るかで浸ける量が変わるからです。

水槽に半日間入れておくと、根が張って強くなります。その後、網を冷凍して、海に秋がくるまで待ちます。

2.育苗
実は、東松島では海苔の赤ちゃんを育てられないんです。隣の松島で育てます。松島は湾になっていて、波が強くないからです。

海苔を干出(かんしゅつ)させます。干出とは海苔網を一定の時間空気中(海の上)に出して乾燥させることです。唯一、海苔だけが乾燥に強い能力をもっているんですよ。「原形質分離」といって、水分を自由に出し入れすることで細胞を壊さずにいられるんです。育苗することで強くなったりします。

2~3時間乾かすんですが、このとき風を肌で感じながら調整します。(海苔の様子を確かめている写真を見せながら)どうですか、光悦の表情ですね(笑)。僕には海苔の顔も見えるし、声も聞こえるんですよ。好きすぎて(笑)。だから、「キツすぎるな」って思ったら降ろしてあげる。

海苔漁師1人で1500枚くらい種を付けています。干出のときに見えている海苔網1枚に見えているのは、実は12枚重ねているんですよ。宮城県の生産者のうち8~9割が松島を借りて育苗します。

育苗は20日間しかありません。赤ちゃんの20日間でいかに手をかけてあげるかが勝負。日に日に海苔は細胞分裂して2倍に成長する。2倍、4倍、8倍、16倍、32倍…と。

干出がきつすぎると、大人になったときくびれちゃうし、食べた味が悪くなるんですよ。だから調整に手間をかける。

たった20日間しかありませんから,手をかけてあげたすぎて、夜中なのに船で海に出て寝たりします。やばいでしょ?みなさんには海苔の顔は見えないかもしれないけど、声くらいは聞こえるようになりますよ。(どこからか海苔の声が聞こえる。)

3.収穫(摘採)
ここからは東松島にもどります。波が5~6mのこの海に戻すと海苔がどんどん伸びます。伸びたら収穫します。刈るときには10㎝くらい海苔の根元を残します。残した部分からまた伸びるので、成長したらまた収穫します。10番摘みくらいまでやりますね。舟をいっぱいにしたら7万枚くらいの海苔ができますよ。1航海だいたい2~3時間ですね。

このあとトラックで工場に運びます。海水と一緒に混ぜてタンクに保存しています。異物をとって、お馴染みの四角い形にして40℃で2時間くらい乾かします。その後の工程は検品です。異物除去や検品は任意なんですが、大曲浜の漁師は見えないところもこだわりたいので取り組んでいます。

海苔の個性を育てる

(津田)俺と太くんは隣同士だが育て方が違う。お互い思っているのは、自分の子どもを育てるように海苔を育てている。例えば、最初から赤ちゃんに厳しくしないでしょ?優しくすると思います。逆にいつまでも優しくするとよくない。でも、厳しくしすぎるとぐれちゃうんですよね。

-お二人はどういう味にしようと思っているんですか?
(相澤)「ありのままに育て」「好きに育て」って感じですかね。結果やんちゃになっちゃった(笑)。そういうノリです。

(津田)自分は性格が繊細なんで…。海苔の美味しさは海苔にまかせる。食べたときに何にでもフラットに合うように。一応、ピアノをならっているので… 繊細なんです(笑)。
食べてもらえばわかるけど、口の中での溶け方や味の出方が分かりますよ。


いざ、食べ比べ!

「最初と、中盤、終盤と味が変わるよ。我慢して30回噛んだら飲んで!」

参加者は一生懸命に海苔を味わったり、光に透かして比べてみたり。海苔を食べ比べるのはみんな素人ですが、大さんと太さんの海苔の違い・一番摘みと三番摘みの違いを感じることができた様子でした。生産者を目の前にしての実食は、格別です。

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以上、「東松島の海苔漁師さんが東京に!」前編でした。東松島のことや海苔ができるまでの様子をお話していただきました。後編では、参加者とのトークの様子をお伝えします。前半での知識を踏まえ、海苔市場の現状やゲストのお二人の想いにせまります。乞うご期待!