【イベントレポート】東松島の海苔漁師さんが東京に!(後編)

前編に引き続き、7月23日に開催したイベント「東松島の海苔漁師さんが東京に!」の様子をお伝えします。後編は海苔漁師のお二人と参加者とのトークです。

参加者の海苔漁師のことを知ろうとする姿勢に応えるように、ゲストの相澤太(あいざわ・ふとし)さん、津田大(つだ・ひろし)さんも真剣に、その内に秘めた熱い想いをお話してくださいました。

トークセッション

-海苔はどういう環境で育つのですか。
(津田)岩海苔は比較的温かいところですね。日本の他に養殖している国は、韓国、中国ぐらいですね。アメリカなどの国では海藻は「海のゴミ」だといわれている程ですから。

-違う種類の海苔を見比べてみて、海苔の色が違うのはなぜでしょうか。
(相澤)「3番摘み」は焼きを強めにして若干苦味を強くしています。あまり強く焼き過ぎると、日持ちはするけど苦くなっちゃうんだよね。

-湿気っている海苔の復活方法を教えてください。
(相澤)フライパンで炒る、海苔を溶かして佃煮にしちゃうとか。でも、そもそも湿気らせない、ですかね(笑)。冷凍するといいですよ。冷凍庫は乾燥しているし、酵素のはたらきを抑えるので。

-「種付け」の工程で漁師さんによって付ける量が変わるとおっしゃっていましたが、それぞれお二人はどうですか。
(津田)ここはかなり気を付けてますね。秋から冬にかけて一回網を張り替えるんですけど、秋は薄め、冬は濃いめにつけます。冬は冷凍庫で痛んじゃうのと、冬の方が長いので濃い目につけるんです。
(相澤)まあ一番差が出るのは「干出」ですかねえ。タイミング、タイミングで見極めないといけないし。

-海の仕事と陸の仕事はどのくらいの割合ですか。
(相澤)海は多くとも4時間ですね。次に日の朝まで工場にいるって感じです。

-摘んでから次の網はすぐ?
(相澤)そうですね。生産期は海苔の都合で働いてますね。

-夜は何時に寝ているんですか。
(相澤)冬の繁忙期は寝ないときはしょっちゅうですよ。3日くらい寝ないときもあります。平均睡眠は2~3時間だといいなって感じです。
(津田)夏は暇なのでよく寝てます。お昼寝を2時間して、夜も10時には寝て…(笑)
(相澤)おいっ(笑)

-基本的な質問で恐縮ですが海苔「漁師」という呼び方でいいのでしょうか?
(相澤)まあイメージの話かもしれないね。でも「海苔漁師」は死ぬか死なないかの世界ですよ。真冬に舟が転覆するのなんて当たり前ですからね。
(津田)だいたい俺たち海では一言もしゃべらずに仕事してるもんね。
(相澤)使命として仕事やっている感じだね。

-海苔の味の違いってわかるんですか
(津田)誰が作った海苔かわかりますよ。得意分野も違いますしね。毎年違った海苔になるのでわかるようになります。

-東松島の海苔の特徴って何ですか。
(相澤)寒暖の差があると細胞の壁が厚くなるんですよ。これが東松島の特徴ですね。

-岩ノリもあるんですね。他にも養殖したことのある海苔はありますか。
(津田)あー、例えば浅草海苔はやんちゃだね。浅草海苔の1~2番摘みは海の中で千切れちゃうから3番からやっと摘めた。普通の海苔の2倍の時間かかるよ。悔しいからいつかまた挑戦したいね。

-「1番摘のほうが上等だ」みたいな評価はあるんですか
(相澤)1番摘みは柔らかくて味もよい。3番摘みはしっかりしている。だから確かに1番摘みは希少で値段が高いんですよ。でも、1番摘みではおにぎりは作れません。べちゃべちゃになっちゃうんです。用途に合わせて使い分けてもらいたいですね。

-品評会ではどういった基準で評価されるんでしょうか。
(相澤)実は、味は評価に入っていないんですよ。色艶を見られています。

-どうして味を見ないんでしょう?
(相澤)宮城の取引の値段は昔から「色艶のみ」で決まってたんですよ。昔から黒いものが新鮮な海苔だと見なされていたんで、「色が黒かったら味も美味しいはずだ」って考えですね。今はそんなことないので、優勝して「味を評価基準に入れろ」って言おうって思ってますけどね。

-自分の海苔の味の変化はありますか。
(津田)今年で7年目、自分が代表になって2年目になります。最初は親父の味の海苔を作りたいと思っていました。それが美味しいと思ってましたからね。でも、いろんな海苔を食べるようになって、だんだん自分の味を出すようになってきました。

(相澤)有明の海苔が最高って言われてたんですよ。口どけ、瞬発力、甘さ。これは細胞壁の違いからくるんですけど、じゃあどんなタンパク質でできているか。調べてみたら,有明の海苔は「ガラクトース」で、松島の海苔はより固い「アンヒドロガラクトース」でできていたんです。でも、酵素を変えれば有明に負けない海苔が作れることがわかった。で、できるようになりました。でも、その瞬間つまらなくなったんですよね。今まで有明の土俵で戦ってたけど,できるようになったらそれ以上のことはできない。でも,宮城に自分の土俵を作ったら、自分らしい海苔を追求できるようになって、どんどん変わっていきました。

-どういう海苔を作ることが目標ですか。
(相澤)食べたときに「わっ」ってなる海苔ですね。子供に食べさせて美味しいと言ってくれる海苔です。ご飯に合う海苔にしています。料理人にはバラエティ豊かにしないとダメだと言われるんですけど、僕は「別にいいじゃん」と思う。僕は食べる人、料理を作る人に自分で食べ方を考えてもらえれば嬉しいです。

-海苔漁師として成長したことがあれば教えてください。
(相澤)浜の人を1人ひとりぶっ倒してこうとしていました。でも、市場の問題に気付いてしまった。だから、他の人に勝っているだけじゃつまんなくなりました。今は去年の自分に勝てたら強いなと思います。去年の自分が一番のライバルですね。

-「市場の問題」について詳しく教えてください。
(相澤)漁師たちの技術は売上にも関係するので、これまでは見せ合うことがありませんでした。でも今、日本に流通している海苔って、10 枚に 2.5 枚は外国産なんですよ。外国からどんどん安い海苔が入ってきている今、国内の漁師たちが価格競争で疲弊するんじゃなく、それぞれの違いや価値を認め合って、消費者にもそれを楽しんでもらうことが、「豊かさ」なんじゃないかと思ったんです。だから、海苔漁師みんなで肩組みたいんです。

もともとうちでは販売を一切やっていなかった。若いうちだけだと思って営業・販売を始めたけど、いろいろなことを知ってしまったから続けています。前は安く買いたたいてくる、美味しく海苔を届けようとしない問屋と戦っていました。でも、市場がそうだから問屋もそうせざるを得ないんです。

「だったら食べる人を変えよう」と思ったんです。食べる人が変わると問屋が変わる。問屋が変われば漁師が変わる。自分が動けば漁業自体が良くなるんです。決してよくなるのは自分たちだけではない。本来の1,2,3次産業の構造の組み直しをしていきたい。

(津田)うちは「海苔工房」をしています。6次産業化をしろって言われるけど、そんな余裕ないんですよね。今でもはっきりいって無理しています。そもそも6次産業化をしなければいけないような1次産業は無くなると思います。さっきの太くんの話と同じで産業を組み直さなきゃいけないと思いますね。

(相澤)漁業が盛んな地域はみんな”湾”。湾の中でしか豊かな海ではない。例えば、瀬戸内海はもう採れなくなっちゃいました。山も海も枯れてしまったので。

東北は湾がないのに世界三大漁場の1つに数えられています。養分を含む親潮のお陰です。じゃあこの親潮がどこから来るかといえば、ロシアのアムール川から来ています。結局、川なんですよね。

この間、川を守るために植樹に参加しました。林業をやっているじいさんに訊いてみたんです、「林業どうですか?」って。そしたら、林業はもうやばい、と。儲からないし、後継者もいないんだそうです。いくらで売れるのか訊いたら、300坪の木を切って5万円。

昔、60~70年前の国策で大量に植樹をしたそうです。今はその木が育って売らなければいけない時期に来ました。何十年も育てたのに、安い値段で売らなければいけないのです。これでは林業はやっていけないですよ。

林業のじいさんはたくさん話してくれました。自分たち(漁師たち)はもっと喋んなきゃいけないと思いました。海の人って山の人より喋らないんですよね。

みんなもっと山に入って欲しいですね。自分の子や孫に残して欲しいです。僕は自分ごとでやってますけど、日本に住むみんなのためだと思ってやってます。自分の娘も、みんなも、その子供も、このままでは困ると思います。

-海苔漁師さん同士で志をともにする仲間はいますか?
(相澤)ほぼ活動しているのはうちの浜だけですね。そこらあたりの問題意識は低いです、外に出ないので。意識をシェアしようとしているんですが、上手くいってないですね。

(津田)「海苔サミット」というのがあるんですが、生産者主導で、横の繋がりを強くして、技術を隠さず話して、日本の海苔をよくしようということをしています。今年で4回目、千葉で開催されました。来年はシェア1位の佐賀で開催ですね。

日本の海苔はこのまま漁師同士で削ぎ落としあってていいのかという意識があります。県内で横の繋がりを良くしようとしているんですが、隣の浜同士が仲がわるいんですよ。それを変えようとしています。

限られた海で奪い合っているから、お互いに消耗していってしまします。何回も訊くと教えてくれるので、僕が若いころはそうやって訊いてました。県外に行くと「県外から熱心な奴がきた」ってたくさん話してくれるんですが、隣同士の浜で教え合うことはないんです。

-今後取り組んでいきたいことを教えてください。
(相澤)もう1回、広い目で全体をよく見てみて、みんなが未来に何を残して、何をすべきか伝えていきたいです。今は伝えていける歳ですしね。

自分が進むべき方向にたくさん時間を費やして来ました。だから伝えることに時間も金もかけたい。そこは任せて(笑)。だからみんなは一杯やんちゃしてよ(笑)。みんなも歳をとればそうなっちゃうから。

(津田)震災で、海に大人も子供も近づかない。自分たちは海で育ってきました。それが今はない。そして、地元の人間でも海苔を作っていることを知らないんです。知らない人が悪いわけじゃなくて、自分たちも伝えてこなかったんです。自分の親も伝えることをしてこなかった。だから僕たちはちょうど狭間の世代として使命を果たそうとしています。

今は地元の子どもにちゃんと海苔のことを伝えたいですね。小学校に行って「授業させてください。」と校長先生にお願いしました。それが食育ですね。

子どもが継ぐとしたら、今自分たちがやっていることが基礎になると思うんですよ。それと、こう言うのも憚られるんですが、震災で子どもたちが亡くなったのが、悔しいんですよね。だから、今の子どもたちに海のことをちゃんと伝えたいんです。

それは「待ったなし」でやらなければいけないと思いました。これからも地元の基礎作りをしっかりやっていきたいです。

-漁師で良かったと思う瞬間は何ですか。
(津田)今、小学校で「食育」をしています。最近一番嬉しいのは、自分の作った海苔に子どもが群がっているところを見ることですね。今までの海苔漁師は、消費者が食べているところを見てなかったんです。だから、消費者が食べるところまで見られるのは自分にとって大きい。直接感想を聴けるから、海苔を作るときに「あの人に食べさせたい」って思いながら作れるようになりました。

(相澤)食べるものを作っていて、食べた反応を見られる。どの仕事でも働いていて得る喜びは同じじゃないですか?最初は「海苔漁師は嫌」で始まっていますけど、始めたら課題も見つけて変えていかなきゃと思う。楽しくはないけど、知ってしまった人の使命だと思います。

『東北食べる通信』の高橋編集長に誘われて、300人くらいのイベントに行ったんですよ。それで、登壇して挨拶していいと言われたので、言いたいことを言いました。自己紹介をした後にこう続けました。

「僕は生まれ変わっても海苔漁師をしたい。後継者がいなくても1000年後にも海苔漁師になりたい。問題を知ってしまったから後の世代に残したくなくて、解決したい。」喋り切ったら会場がシーンとなってて… その後は色々な人に声をかけてもらいました。

最初は自分の味方はいなくて、道もないけど、振り返って見たら味方が付いているんです。そのときにやっと「やってよかったな」と思えます。ありのままの信念を持つことが大事です。

-東京の学生にできること、して欲しいことって、ありますか
(相澤)その質問を聞いて、震災当時のボランティアを思い出しました。ボランティアのみなさんは被災した地域の手伝いをしてくれて、感動しました。

でも、自分たちの浜はボランティアを入れなかったんです。自分たちで使う道具は自分たちでどうにかしなくてどうするんだ、と。

それでも来たいという人がいました。自分たちは、作業を手伝ってもらうんじゃなくて、話を聴いてもらうことにしました。震災で役に立ったことを伝えました。伝えることが大事だと思ったからです。

聴いて、感じて、考えたものを持ち帰ってもらった。そのことをボランティアの方には伝えてもらいました。見て、聞いて、感じて、会って、話したものを他のひとに伝えても、それでもあまり伝わらない。でも、みんなと会って、今日聞いたこと、感じたことを伝えて欲しいと思いました。

(津田)もう一回みなさんの自分の地元を見直すきっかけになってもらえたら嬉しいですね。あとは、子どもを産んでしっかり育てて、伝えていってほしい。

-まーさは、そもそもどうしてこのイベントを開きたかったの?
(まーさ)ゆーな、はるな、私でゼミに招きたいなとずっと話していた。せいたろうさんがゼミの活動とは関係なくお二人と関係があるというのがステキだったので、それをもうちょっと続けたかったんです。

私にとって、自分の地元を見直すきっかけになったので、それをゼミ員にも考えて欲しいなと思っていました。同時に、みんなが繋がっている人を少しずつ紹介していけば、牛島ゼミはもっと広がる、とも思っています。だから、続いて欲しいですね。

-はるなやゆーなは?
(はるな)東松島の魅力を伝えたかったというのもありますけど、それぞれ個人が自分の繋がりがあって、それが全部つながったら牛島ゼミが大きくなると思いました。

(ゆーな)私にとってこの話の始まりはゼミに入る前なんです。ゼミ説明会のときに、まーささんが「東松島ってところに通っていてすごく楽しい」と楽しそうに話してくれたんです。そのお話が素敵でした。それがゼミじゃなくても東松島いきたい!と思いました。

(相澤)みんな東松島来た方がいいよ。自分のやりたいことしかやってない(笑)。
(津田)これでいいのかっておもうよね(笑)。
(相澤)牡蠣作っているやつとか、日本で1番だと思うんだけど、自分のやりたいことしかやってないからね。ほんと、東松島に来て漁師に会えば、考え方変わるよ!

-先生から一言いただけますか
私の学生時代の恩師がよく「馬を水のみ場に連れていっても、水を飲むのは自分」と言っていました。そのときはよく意味が分からなかったけど,教員として経験を重ねた今では,普通の授業では「水を飲むことは教えられない」ということは強く感じます。

世の中にはいろいろなところに志の高い人,凄い人がいて、その人たちに触れることで感じることがあります。「水を飲もうと思う」というのはそういう出会いから始まるんじゃないかなと思っています。

だから,ゼミでも大学の外の世界とつながるきっかけをたくさん作りたい。そういう意味で、せいたろうくんは私の同士だよね。自分がすごいと思う人に会いに行くだけではなくて,仲間を連れて行ってくれた。

大学の中と外を行き来して,これからも少しずつ世界が広げられたらいですね。相澤さん,津田さん,今日は素晴らしいお話をどうもありがとうございました(拍手)。

(せいたろう)みんなこれがゼミだから難しいこと考えていると思うけど、自分は遊びにいっていてボーリングをしたりしてただけだから(笑)。でも、遊んでいるだけかもしれないけど、一瞬真剣なこと話したり、10年後のことを話してみたり、こんなイベントを開いたりできる。

だからみんな、東松島、いこ!

相澤太さん、津田大さん。
宮城県東松島市からお越しいただき、すてきな時間をありがとうございました!

※この記事の前編はこちらです。
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開催:2017年7月23日 会場:六本木フラット
記録:あつよし(15期卒業生)
構成:まーさ(15期卒業生)&Gyu

このイベントは慶應義塾大学商学部牛島利明研究会の卒業生と現役の協力で開催されました。