南校舎7階の窓から見える景色。好きなんすよね〜。
こんにちは。24期のあきです。
ブログを全て書いてからこの前置きを書いていますが、ブログ、かなり長文になってしまいました。
牛ゼミでの日々を伝えると同時に、皆さんの「読む力」も養えそうです。
それでは初めていきましょう。
成長って階段らしい
牛ゼミでの2年間、私は「成長は階段」という言葉をお守りにしてきました。これは、私が大好きで心から尊敬している方の言葉なのですが、成長は坂道のように地続きでグラデーションの様なものではなく、成果の一歩前は0で、所謂スランプ、何をしても全く成果が出なくて、先が見えない時があるけれど、ふと成果がポン、ポンと出る瞬間が訪れる。でもその成果を出すには「0」の時の努力が必要。というものです。(すみません、説明下手で、、何となくわかったでしょうか?)
牛ゼミで、私はこの成長階段の「0」の苦しさを味わいました。でも、曲がりなりにも努力して、少しずつ階段を上っていけたゼミ生活だったのではないかと思います。

初回ディベ班のLINEグルの名前は「ディベート」←シンプル
一番の挑戦最終弁論
私は、ディベートで最終弁論を務めさせていただきました。
実は、牛ゼミに入った当初は三田論志望だったので、ディベートのトリである最終弁論を担ったのは、信じられない出来事なんですね。なぜ務めることになったのかは、簡単に言うとノリと勢いなのですが、1回目のディベートで思ったよりもフリーディスカッションで発言できて、「ディベート向いてるかも?」と思い、「フリディスで発言は出来たから、もう少し背伸びして最終弁論やってみようかな?私度胸あるしいけるだろう。」という浅はかな考えで引き受けました。浅はかすぎました。もちろん度胸だけじゃどうにもならないんですね、最終弁論っていうのは。はい、これで悩み苦しむディベート期間が始まります。
初めての最終弁論は2回目の3ゼミディベートでした。とりあえず、1回目のディベートで最終弁論を務めた同期にやり方を聞き、何となく原稿を書き、乗り切りました。「耐えた」という言葉が正しいでしょう。あまり議論の内容を踏まえたものでは無かったので不十分だったと思います。しかし、「とりあえず乗り切った」という安堵感がありました。この時は、まだ自分が最後まで最終弁論を務めるとは思っていませんでしたからね。

最終弁論を練習している私を撮る3ゼミ肯定班
私は階段を上れるのだろうか
なんやかんやで、渋沢杯でも最終弁論を務めることになった私ですが、他校との練習試合で挫折を味わいます。夏休み中練習試合を2校と行ったのですが、1校目の練習試合の最終弁論は酷いものでした。1回目からのsomething newとして、とにかくアドリブの余白をたくさん入れました。議論の内容を踏まえた方が点数が伸びますし、何よりかっこいい。しかし、議論が相手から押され気味で、自分たちが話したい論点にあまり持って行けず、何を話せばいいのか分からなくなってしまいました。そして、最終弁論として致命的な欠如。私は即興で言葉を紡ぐのが本当に苦手なのです!!!!!!皆さん、もうお分かりですね。最終弁論は散々なものでした。本当に思い出したくない。嫌すぎて、脳が記憶から消してくれたので何を喋ったのかあんまり覚えていません。でも終わった後、自分の不甲斐なさに号泣したことは覚えています。この時の私は、何千段もある急な階段を前に、1段目すら上れず0も0の位置で立ち尽くしていました。

7時間後号泣するとは知らず行きの新幹線で原稿の最終調整
人は案外信用できる
最終弁論を務めて得た一番の学びはこれです。「仲間に頼ることは悪いことではない」。今思うと私は少々最終弁論を神格化しすぎていたようです。責任感が強くて、自分の芯を曲げない、そんな私は人を頼るのが苦手でした。ましてや最終弁論なんて、発表者一人が頑張るものだと思っていました。でも、よくよく考えたら最終弁論で話すことって、全てチームの主張なんですよね。私”だけ”の意見なんて一つも無いんです。
ということで、チームのメンバーに全力で頼ることにしました。原稿内に、論点チェックリストを作ったり、本番で文章を作成する用のマス目を作って、メンバーに文章を書いてもらったり、私の最終弁論の原稿をメンバー全員が印刷して議論を最終弁論がやりやすい様に進めてもらったり。最終弁論の原稿を、”自分のため”ではなく、”メンバーが理解しやすいように”作りました。こうすることで、チーム内の共通認識が取りやすくなり、頼もしい仲間のお陰で、こんな私でもなんとか最終弁論を務めあげることができました。階段を上れた感覚が少し、でも確かにありました。
SOSを出せば人ってちゃんと助けてくれるんだな~と思いました。この最終弁論をきっかけに、「自分だけでやらないと」という強迫観念のようなものは薄くなり、自分のキャパを考え、人を頼れるようになりました。
ちなみに渋沢杯本番1週間前に高熱を出して直前の会議に連日出られなかったり、本番の最終弁論中にストップウォッチを止めちゃったり、メンバーにはたくさんの心配・迷惑をかけました。この場を借りて改めて謝罪します。みんなごめんね。ストップウォッチは止めましたが、気づいても全く焦らず奇跡的に5分ピッタで終えられたのは本当に良かったです。最後は持ち前の度胸が役に立ちました。

渋沢杯まで一緒に駆け抜けた仲間たち
めぐるめの存在意義とは?
お次は、ソーシャルプロジェクトについてお話しようと思います。
私は、めぐるめに所属し、主に八王子農業における「食と農の乖離」という課題に着目し、活動してきました。
まず、めぐるめに入った理由からお話できればと思います。私は埼玉出身で、祖父母が農業を営んでいました。実家から歩いたところにも近隣に住む人たちの畑がありますし、少し離れた祖父母の家の周りにはもっと田畑が広がっており、「農業」というものは割と身近で当たり前のことに感じていました。しかし、慶應に入り、祖父母が農家であることをサークルの友人に話したら、「そんな驚く????」というくらいめちゃくちゃびっくりされました。慶應だからなのか、はたまた東京や横浜など都心部に住んでいるからなのか、驚いた理由は様々あると思いますが、私にとっては軽いカルチャーショックでした。「近くに農家さんがいなければ、野菜とか食べられないだろう」と当たり前に思っていたことが、都心にずっと住んでいる人からすると、当たり前に感じないのかもしれない、とそのとき初めて思いました。だからこそ、都市部に近い、八王子で営まれている都市近郊農業において、生産者と消費者の距離の遠さを問題視している、めぐるめに興味を持ちました。
入って1年目は、楽しそうだなと思っていた商品開発に関われたり、実際に農作業をお手伝いさせていただいたり、貴重な体験をさせていただきました。しかし、ふと思いました。「私たちがいる意味って何なんだろう?」と。SNSでの情報発信や商品の案出し、大学生がマルシェに立つということ、それぞれ意味のあることなのかもしれませんが、どれも単発イベントに終わってしまい、「このイベントはめぐるめがやる意味あるのかな?」と思いました。この「めぐるめの存在意義」について、2年目はより深く考えました。

八王子の人参畑からの景色最高
2年間で出した答え~めぐるめが架け橋となる~
「めぐるめの存在意義」について、私が2年間で出した答えは、様々なステークホルダーの「架け橋」となる、ということです(←ちなみにこれめっちゃ就活の面接で言ってました笑)。
2年目は、ありがたいことに、縁やチャンスに非常に恵まれました。まず、毎年お世話になっている農家の浜中さんから、今年新規就農した、パッションフルーツをたくさん作っている熊川さんを紹介していただいたことで、使用できるパッションフルーツの量が増えました。また、長年牛ゼミにご協力いただいている西小山のアンティエさんに、西小山駅周辺の飲食店をたくさん紹介していただき、八王子パッションフルーツを使ったメニューを提供してくださることになりました。これに加えてスタンプラリーや飲食店の方や農家さん等関係者の方へのインタビューも実施できることになりました。更に、西小山には今年3月に公園ができ、そこでイベントを開催できることになりました。今年の夏に行った一連のイベントは、準備や関係者の方とのやりとりも今まで以上に入念に行い、力を入れました。詳しくはめぐるめ八王子のインスタをご覧ください。(マジで頑張ったので絶対見てね(圧)→https://www.instagram.com/megurume_hachioji/)

公園イベント頑張った
このイベントを通して思ったことは、各場所に点として存在しているステークホルダーを、めぐるめが繋げて新たなインパクトを生むことこそ、めぐるめが存在している意義なのかなということです。
八王子のパッションフルーツを初めて食べる飲食店の方やイベントに参加してくれたお客さんがいらっしゃったり、プロの料理人視点で八王子パッションフルーツの新たな使い方を生み出してくださったシェフの方がいらっしゃったり、スタンプラリー用紙を見て「こんなお店あったんだ!」と自分の住んでいる街の新たな発見をした西小山住民の方がいらっしゃったり、今まで以上に八王子パッションフルーツを通じた繋がりやインパクトを、めぐるめきっかけで生み出せたのではないかと思います。
もちろん、ただ楽しいことだけではなく、大変なこともありました。農家、パティシエ、飲食店のオーナー、公園の管理者、私たち学生。これはどのソーシャルプロジェクトでも当てはまると思いますが、バックグラウンドが異なる者同士が交わるということは、新たな視点を得られると同時に、時にチャレンジングな局面に立つこともあります。それぞれが考えていること、思い、やりたいことは、何が正しくて何が正しくない、といったような白黒はっきり付けられるものではなく、グレーの様に混ざったり、赤など全く別の色が生まれる様な、自分達では考えに及ばなかった価値観に出会ったりなど実にカラフルなものです。そうした、一人ひとりの色を鮮やかなまま出せるのか、各ステークホルダー同士を繋げる「架け橋」となれるのか、そうしたことを求められているように感じたプロジェクト活動でした。

この写真好きで多用してる
迷いながら立ち止まりながら
私は過去を美化できない人間です。嫌だったこと、辛かったこと、その時の感情は割とそのまま覚えていて、こういう誰かに話す場で全部正直に言っちゃって、あとで「マイナスプロモーションだったかな…」と思う日々(今年度最初のゼミでの自己紹介でも、しんどい言いすぎて後輩を怖がらせたかもしれない、、)。
以前同期の一人と、「自分の嫌なところをいっぱい見つけるゼミだよね」と話したことがあります。
ゼミ生活で自分のネガティブな部分を見つけて落ち込んで嫌になっちゃったことは少なくありません。でもそれは、私たちが本気で何かに打ち込んだからこそ、自分の見えなかった部分が見えたということであり、見えなかった部分、しかもマイナスな一面が見えた時は多少戸惑いもあるけれど、それを乗り越えるというか、上手く折り合いを付けて、時に立ち止まりながらも前へ進んでいく、それこそが人生なのかなとも思います。
自分の良いところも悪いところも知って、その上でどうしていくか、それを学べたのも牛ゼミに入ったからこそだと思っていますし、社会に出る前にそういう経験ができたのはかなり貴重だったと、今はポジティブに捉えています。

ゼミについて語り合ってたお笑いライブの開演前
ちょっとよかったあの日
難しいことを書きましたが、素敵な思い出もたくさんあります。
そのうちの一つ、今年の夏、西小山で行った公園イベントに、塗り絵体験をしに来てくれた4歳の男の子がいました。細かいところは端折りますが、男の子が「自分のためにお金を使うより、自分の子どもにお金を使った方が嬉しいんだよ」と教えてくれて(これを言える4歳児恐るべし)、私と同期は「そうだね~その方が幸せ増えるもんね~」と何気なく答えました。すると、「でも、今、幸せ増やしてるでしょ!」と、塗り絵が楽しいことを素敵な言葉で伝えてくれたのです!この言葉を聞けただけで、イベントをやった甲斐があったと心から思いました。まじで少し泣きそうになりました。もし走馬灯の予約が出来るのであれば、「この出来事をどこかに入れてください!」と神様にお願いしようと思います。
そのほかにも、たくさんの思い出があります。
蚊に刺されながらもヨルシカを聴く公園飲み。切羽詰まってた会議でピキッちゃった後の一人反省会。そのことを同じチームのメンバーに話したら「え?そうだったの?」と言われて笑っちゃった三田の五右衛門。アバターでふざけ始める入ゼミzoom会議。ジャガイモ袋詰め作業後無心で食べた八王子駅のしゃぶ葉。シンデレラ城のプロジェクションマッピングで花火が打ち上がった瞬間に「おー」と感嘆の声が揃う渋沢杯否定班。八王子訪問終わりの汗だくの髪をドライシャンプーで復活させていた西小山駅のタリーズ。先日のトークイベントでこれらのことを話している時に見えた同期の「懐かしいな〜」て感じの笑顔。
どれもちょっと、いやかなりよかったあの日です。

4年有志ディベ班。1年間ディベートをやり続けたディベート好きすぎる6人。
最後に
やっと締めです!
まず、これまで牛ゼミを通じて関わった、牛島先生、先輩、同期、後輩、そして様々な関係者の皆様に、この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。私は、人の運が良いと自負しているのですが、2年間を通して本当に人に恵まれたなと実感しています。卒業後も何らかの形で関われたら嬉しいです。
このブログを読んでみて、あるいは、先日トークイベントにいらっしゃった2年生の中には、「牛ゼミ大変そうだな…大丈夫かな…」と不安に思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私はキラキラしていない部分も目を逸らさずに見てほしいと思いますし、あえてキラキラしていない部分を見せました。
都会のキラキラしたビル街より、街灯すら無い山奥の方が星が輝いて見えるように、しんどいことにも向き合って、時に暗闇の中で試行錯誤しながら、少しずつ階段を上っていくからこそ、階段を上りきった後の景色が一段と輝かしく、心に深く刻まれるのではないでしょうか。

牛ゼミにいる私楽しそう。写真選んでる時ちょっと泣きそうだった。
最後に伝えたいこととしては、「牛ゼミで成長階段を上っていく652日は、つまずくこともあったけど、とても良いものでしたよ」ですかね。
最後までお読みいただきありがとうございました。



