23期振り返りブログ【だいあさん編】2年を捧げた壮大なボケの果て

「次は〜麻布十番〜」、車内アナウンスに疑問を感じ、電車を調べるとそれは三田線直通ではなく南北線直通の偽目黒線だったのです。
12月の面接当日に、走り汗と冷や汗を流した思い出が、僕の牛ゼミ生活Episode.0でした。
遅刻はしないようにしましょう。

乗り遅れました、23期のダイアです。 

今回、僭越ながらトリを務めさせていただくということで、、何か特別なことを言うでもなく、、むしろもう同期のみんなが、必要な説明・大切な学び・かっこいい言葉を、物好きな読者と前途有望な2年生たちに浴びせている頃だと思います。

ですので、外向きのゼミ広報ガン無視で書きたいことを秩序なく書かせていただこうかと。。

結論、今回のブログのテーマとなるのは「苦痛」です。
この2年間はとっても苦しかったです。辛かったです。(いきなりネガティブ思考でごめんなさい) なぜか。
それは、とにかく思考体力を搾り取られ続け、とんでもない数の「WHY?」を突きつけられたからです。

「なぜそれをする意味があるのか?」「なぜチームでするのか?」「なぜ自分がやるのか?」、そんな疑問を何度も何度もしつこく投げかけられ、ボケっと生きてきた大学2年生までの自分を大いに追い詰めてきたのです。
脳をフル回転してもがいて苦しんで、ようやく少し成長できたような気がして、今このブログを執筆させてもらってます。

書き終えた後の追記として、、ここから僕が長々綴ることは、特に2年生にとってはわけの分からないことが多いかと思います。
ただのドMに見えるかもしれません。
当たり前のことを遠回りしながらようやく大切だったと気づく男の壮大なボケだと思ってもらえれば気が楽です。
大層な自分語りになってしまうので、適宜飛ばしながら読んでもらえると。

さて本題戻ります。

先述した遅刻という誤算から始まった僕の牛ゼミ生活ですが、大きな二つの誤算がありました。

一つ目の誤算は、自分のキャラ付けです。

何を隠そう、日吉にいた頃の自分はいわゆる「陰キャラ」でして、プライベート以外で他人と学びの面で長い時間を共有することがめんどくさいと思っていました。
一年の時に受講した牛島先生のセミナー「地域との対話」では先生から「彼はいつも不満げな顔をしている」と形容されたほどです(後日談)。

〜【激写】記念すべき同期での最初の集合写真に映り込む狐目のモブ男〜

ゼミを選んだのも、ぶっちゃけグループワークではなくフィールドワークに惹かれたのであって、ESと面接で仮面をかぶってどうにか常識人ぶったのを覚えています。
得体もしれないこの人達には気を遣いながら、真面目枠として大人しく過ごせれば、と考えてました。これはボケじゃないです、ガチです。

ただ利賀村訪問と同期との絡みで不測の事態が生じ、図らずも路線変更せざるを得なくなったのです。
もう一度言います、ボケではないです。まだ題名の伏線は回収してないです。

元来自分はおしゃべりで自我の強い性格だったので、むしろ周りに気を遣わずにずけずけ発言できるようになったことは都合が良く、隠しても無駄なら自分をどんどん出していこうと考えたのです。
まあ、自己顕示欲の強い自分がおとなしい枠なんて最初から無理に決まっていたのです。

だから最初のディベートで自分ばかり発言してしまったことも、議論の内容はさておき、たくさん喋れて満足してる自分も正直いました笑。
ただ2回目からのディベートは立論を1から作るようになってタスク量も膨大になり、協働が必要なのは自明でした。
特に渋沢杯は常に金融緩和が頭の片隅にいるほど追い込まれ、生活の中で金融用語でウケを狙おうとするキモい受験生くらいに追い込まれました。

そんな中で、何度も「なぜ、なんのために、こんなに頑張っているんだろう」と苦しみました。
迫り来る締切に対する資料のクオリティの不十分さや、自分のキャパシティにストレスを感じることも実際ありました。

「なぜ満足のいく資料が集まらないのか」

「なぜスケジュール観が上手くいかないのか」

「なぜメンバー間で足並みが揃わないのか」

今考えると、そうした態度が滲み出てため息ばかりついて、慰めてくださいと言わんばかりに不幸ぶってる面倒臭いやつがそこにはいました。
酷い他責思考と酷い承認欲求ですね。

〜5限の疲弊したゼミ生にコーポレートガバナンスを浴びせる男〜

ここで生じたのが、二つ目の誤算です。

「あれ?これ1人じゃ無理かも」 

当時の自分は、自分の能力を過信した、なんでも1人でできるマンで、全能感に満ち溢れていた一方で、対話力、いわゆるコミュ力が著しく欠如していて、一方的に発信しては、相手の反応を伺うふりをして、次に何を発信しようかをずっと考えていました。
会話をキャッチボールではなく、ドッヂボールと勘違いしていたわけですね。
だからこそきっと、意見がぶつかったり自分の考えが上手くまとまらなかっただけで、ストレスを感じてしまったのかと。
自分が内野として生き残るために相手を打ち負かすことに必死で、周りのことなんて考える暇もなかったのです。

圧倒的タスク量を前に、周りの人と協業せざるを得なくなった環境に、こんな思想の男がぶち込まれたわけですから、メンバーの意見や疑問点を何度も何度も踏みつけてしまってきたのだろうと思います。

かつての自分の浅はかさや情けなさを語ると止まることはないですが、それをここに綴るのは誰得だと思うので、当時の自分を反面教師として、この苦い経験から学んだことを。

他人を頼るとは、他人を信じるということです。、、何言ってるかわかります?

信頼は信じて頼ると書きます…上手いこと言えました。

ではなくてですね、自分と意見や価値観の異なる他人と向き合って、時に同調し時に真逆の意見で反発し、また分かり合えたと思ったら実は違ったり、、そんな風に他人と議論するってめちゃくちゃカロリー使う、この上なく面倒なことなのです。
でもこういうのって、相手を信用して、この人たちなら自分と違う視点をくれるだろう、この人たちが意見してくれたらさらによくなるだろうという考えのもとでしかできないことなのです。

僕の中で「頼る」とは、他人に丸投げするとかそんな考えじゃなく、むしろ自分に遠慮なく意見を言ってくれる、良いも悪いもまっすぐ向き合ってくれる存在を求めることなんだと、そう思います。

否定班との信頼やこの学び自体も、何か大きなきっかけがあったわけではなく、ふとした瞬間のふとした気づきの積み重ねで得られた感覚です。

自分がどれだけ探しても見つからなかった資料を見つけてきてくれた時

議論が煮詰まった時に出た互いの意見の折衷案が意外としっくりきた時

精神はベンチャー気質なのに体質が温室育ちの自分が定期的に倒れる中、起きたらレジュメがめっちゃ綺麗になってた時

そんな瞬間が積み重なりに積み重なって、ようやくそのありがたみに気づけたわけです。無礼なやつです。

文字にすると思ったより薄っぺらい学びでびっくりしたのですが、それはまだ僕自身が人を信用するのがまだ苦手なのか十分感謝できていないってことなんですかねたぶん。

ただもちろん、こんなネガキャンばかりでは怒られそうなので、ここからはいい事を(手遅れ)。

渋沢杯当日、実は司会にあまり当ててもらえず、発表もなく、個人としては不完全燃焼に終わったわけですが、自分が思ったこと・言いたかったことを他のメンバーが言ってくれた時、とてもスッキリした感覚を抱きました。
仲間への感謝がエゴを超えた瞬間です。

優勝が決まり、トロフィーを手にした時の感情は今でも忘れられません。
「このメンバーで」ここまでやってこれてよかったという感謝の気持ちが、自我の強い「不満げ男」に芽生えたわけです。

人によっては当たり前のこと、人によっては綺麗事に聞こえるかもしれませんが、部活も個人種目で誰かと何かを成し遂げたことのなかった自分にとっては、強烈な原体験となったのです。

〜優勝の瞬間、2年間で笑顔は上手くならず〜

そしてそして、こんな自己中心的で視野狭窄的な青二才が、3年の秋からゼミ代表になってしまったわけです。
同期からめんd…光栄な役職を押し付けられたようですが、最新の肩書きが給食委員長止まりの自分には荷が重すぎました。

 ただディベートの経験を経て、「代表らしい自分」を目指すのではなく、「自分らしい代表」を目指そうと考えるようになりました。

皮肉にもディベートで気付けたように、自分にはリーダーとしてのカリスマ性とか引っ張る力とかは一切なかったですし、そもそも個々が強いこのゼミにそんなリーダーは必要ないと思い、あくまで一人のゼミ員として動きつつ、ちょっとだけ周りをみたりちょっとだけ裏で頑張ってみたりしてみようと。
正直、今もゼミ代表なんてたいそうな役職を果たせたつもりは毛頭ありませんが、超優秀な副ゼミ長にも助けられながら、面倒事のゴミ箱くらいの存在にはなれたのかなと思ってます。違ったら恥ずかしい、、。

〜小難しいことばかり考えているゼミではないのです。〜

他にも、ここに残したい沢山の学びがあるのですが、ただでさえ締切期限に遅れているのに許してくれているブログ担当にタコ殴りにされそうなので、一旦やめておきます。
詳しくは、ユニタメの方の振り返りブログをご覧ください。

最後に。 

極論、ゼミというのは所詮ただのゼミでしかなく、多くの学生にとってサークルやバイトと同じ、大学生活の一要素です。
そのくせして、こんなに考えさせられて苦しんで2年間を走り抜けるこのゼミはとてつもなくコスパが悪く見えます。
実際もらえる単位数をどうにかして欲しいのはあります。
学部長お願いします。
ただ、その多大な時間と労力とストレスが分かっていても、今自分が2年生だったらこのゼミを選びますし、このゼミでこの仲間ともっと活動がしたいと言えます。

自分の苦手なタスク・未熟な性格・仲間とのすれ違い、何かゴールがあるわけでもない苦痛に苦しんでいた大馬鹿者は、ついにツッコミ不在のまま、1年半という月日で至極当たり前のことに気づけたわけです。

しかしながら、人生のモラトリアムと言われる貴重なキャンパスライフの半分を捧げたこの大ボケの果てに、かけがえのない財産を得ることができたと、胸を張って言えるのです。

こんなにも多くの苦痛と成長とそして何より楽しさをくれた、先輩、後輩、先生、プロジェクト関係者の方々、そして同期には感謝しかありません。
ちゃんと対面でお伝えしたいので、ここでは一文で控えます。

ここまで長い長い自分語りにお付き合いいただきありがとうございました。
想像以上に無秩序で学びの得られない備忘録のようなブログになってしまいましたが、ご容赦ください。
言い遅れましたが、2年生の皆さんは僕のブログ読む暇があったらES書きましょう。
言い遅れましたね。

、、、と、ここで締めるのが綺麗なんでしょうけど、牛ゼミとしての残りの期間も隠居する気は毛頭ないので、あと数ヶ月、老害として活動させていただきますが、皆様よろしくお願いいたします‍♂️