こんにちは!22期4年のこうせいです。
ついに振り返りブログをお願いされる時期になってしまったかと思うと少し寂しい気持ちで、なかなか書き出せませんでした。まあ、思ったよりも早く来てしまい書く内容が全然まとまってなかったというのが正直なところです笑
牛ゼミで過ごした2年間を振り返りながら牛ゼミの持つ本当の魅力が2年生に伝わるようなブログにできればなと思います。ぜひ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
早速ですが、私は牛ゼミの本当の魅力はタイトルに書かせていただいたように「成長痛に耐えられる環境である」という点にあると考えています。牛ゼミの明るいイメージや活動の楽しさなどの魅力は他の22期のみんながたくさん書いてくれると思うので、自分は敢えてこの2年間で苦労した経験や、少し辛かったような経験について触れていきたいと思います。そうした経験を挙げながらこのタイトルが何を意味するのか、またそれがなぜ魅力なのかを伝えられるように頑張ります!(最後まで読んでいただければなんとなく分かってもらえるかなと思いますが、これは決して牛ゼミのネガキャンではありません!!笑)
牛ゼミでの2年間を振り返るにあたって欠かせないのはやはりディベートです。初めてディベートを経験したのは牛ゼミに入る前のディベート体験会でしたが、その頃から苦手意識のようなものは特になく、純粋に楽しいなとか面白いなと感じていました。なので、牛ゼミに入ってからもディベートには積極的に取り組んで、三田論班と分かれる時も迷わずディベート班を選択しました。
まずは、このディベート班の活動で苦労した経験について触れていきたいと思います。それは、なんといってもテーマ自体の難しさです。この2年間で、「雇用・労働の規制緩和を推進することは日本経済にとってプラスであるか」「脱炭素化を推進することは日本経済にとってプラスであるか」「日本銀行の量的質的金融緩和政策は日本経済にとってプラスであったか」という3つのテーマに取り組みました。正直言って、どのテーマに関しても最初は全くもって興味がありませんでした。肯定否定とか関係なくこのテーマは何のことなのかさっぱり分からないというような状況でした。
しかし、ディベートをするには担当になった立場の方で論を組み立てていかなければなりません。そのため、まずはテーマ自体の理解から始まります。どういう問題なのか、学者の間ではどういう主張がされているのか、また実際にはどういうデータがあるのか徹底的に調べていきます。私自身、物事の理解が早い方ではないので特にこの段階が苦しかったかもしれません。なんとなく理解できそうで理解できないというような状況がずっと続きました。これは熱中して色々と深く考え過ぎてしまう自分の性格もかなり影響しているようにも思いますが、日常生活の中でも常に頭の片隅にディベートのテーマがチラついていました。その期間は知らず知らずのうちに少し辛さを感じていたかもしれません。
そして、テーマ自体の理解がある程度追いついたら今度は答えの出ない問いに向かい続けなければなりません。ディベートのテーマになる問題ということは明確な答えは絶対に出ないのです。肯定否定どちらの要素もある中で自分たちの立場の優位性を主張するために準備をしなければなりません。牛ゼミでは「沼る」という言葉がよく使われますが、途中でもう何をやっているのか分からなくなり、「結局こんなのどっちとも言えないよ!」と投げ出したくなるタイミングは何回もありました。
ここまでの話だけを見るとディベートはただただ辛いものに見えてしまうかもしれません。ただ、ディベート班での活動全体を振り返るとなぜかそれ以上に楽しかったという印象がとても強いです。その理由は牛ゼミの1つの特徴でもあるチームで取り組むという点にあると思います。答えの出ない問いにみんなと一緒に向き合い続けて、自分にはない視点での捉え方に触れたり、本当に欲しかった1つの資料が見つかったりして一筋の光が見えた時の快感は何物にも代え難いものがあります。
そうやってみんなと一緒に苦しみながらも本気で楽しみ、ディベートを乗り越えたことで得られたものはたくさんあります。ある1つの物事に対して「本当にそうなのか?」「こういう見方もできるんじゃない?」というように批判的・多面的に考える力や、チームで動いていく中で自分の考えを発信する力や他の人の意見を傾聴する力などはこのディベートを通して大きく身についたなと実感しています。
これはあくまで個人的な考えですが、牛ゼミでディベートをやる理由はここにあるのだと思います。決して全員がディベートを上手くなってディベート最強集団になるためにやっているのではないと思います。ディベートというものを通して、考え抜く力やチームで働く力を養うためにやっているのだと思います。そうした力は一般的に「社会人基礎力」と言われます。つまり、これから大学を卒業して社会に出てから当たり前のように必要とされる力です。学生のうちにゼミという活動を通して、苦しみながら、またそれ以上に楽しみながらそういった力を身につけていける環境というのはとても魅力的だと改めて感じます。
本当はこういった感じで私が所属しているソーシャルプロジェクトの「ユニタメ」での経験についても深く触れていきたかったのですが本当に長くなり過ぎてしまうので今回は泣く泣く割愛します。
最後に、牛ゼミのゼミ員と過ごしたプライベートの時間について少しだけ触れたいと思います。この2年間牛ゼミのメンバー、特に同期とは本当に多くの時間を一緒に過ごしました。牛ゼミに入って一番良かったなと思うところはこの同期と巡り合い、多くの時間を共にできたことです。本当に個性的なメンバーが多いですが、全員に共通しているのは真の優しさを持っているところだと思います。こんなにも自分のことを深く知ってくれた人は今までの人生でいなかったかもしれません。お互いのことを深くリスペクトしながらも、良くないところは指摘し合える、そんな関係性が牛ゼミの同期にはありました。だからこそ、今までなかなか人には言えなかったようなことも言えるようになり、気づくことができていなかった自分の欠点も気づかせてもらうことができました。時には指摘されて苦しかったことや辛かったこともありましたが、自分自身が大きく変わるきっかけになることがとても多かったです。牛ゼミの同期に出会ったことで色々な価値観も変わり、自分の人生がより豊かなになったなと胸を張って言うことができます。そのくらい自分の中では牛ゼミの同期に出会えたことが大きかったと感じています。
この場を借りて、22期のみんな2年間一緒に多くの時間を過ごしてくれて本当にありがとう!これからもよろしく!
想像以上に長くなってしまったので、このブログを通してゼミ選考を控える2年生に伝えたかったことをまとめて終わろうと思います。
ゼミに入る際の動機の1つとしてなんとなく「成長したい」というものがあると思います。私も2年生の時そのようなことをESに書いていたような気がします。この「成長」とは一体何を意味するのか。私は、成長とは「自分の現状を理解した上で様々なことに挑戦し、新しくできることを増やしていくこと」だと考えています。この過程はよく「コンフォートゾーンから抜け出す」というような表現もされますが、子供の頃身長が伸びる時に足が痛むのと同じようにある種の成長痛が伴うものだと思います。自分の現状を理解するには自分では認めたくないことも認めなければいけない時があり、新しいことに挑戦するにはどこか心地の悪い慣れないようなこともやらなければいけない時もあると思います。そうしたちょっとした苦しみや辛さを経験することができ、またそれを楽しみながら耐えることができるような環境が牛ゼミにはあると思います。それは紛れもなく20年以上に渡ってこのゼミの先輩方が築き上げてきた組織文化のようなものだと思います。先生、同期、先輩、各プロジェクトの関係者といったこのゼミに関わる全ての人がそこを全力でサポートし、応援してくれます。牛ゼミは大学生活の後半2年間を捧げるには申し分ない環境です。
これこそが私の考える牛ゼミの本当の魅力であり、タイトルにした「成長痛に耐えられる環境」という言葉の意味です。このブログを見て一人でも多くの2年生が牛ゼミに入りたい!と思ってくれたら嬉しい限りです。
拙い文章に最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。これからまだまだ振り返りブログが続いていくと思うのでぜひお楽しみに!