19期振り返りブログ【かなさん編】ぎょろぎょろの目玉、てらてらした皮膚

はい、こんにちは。振り返りブログもここまでくると、2年生のみなさんもお腹いっぱいで読んでくれないかな。ということで、ちょっぴり奇を衒ったタイトルにしてみました。いかがでしょうか。

ちなみに林檎の写真は、いつか研究室棟に行った時に牛島先生にもらった綺麗な林檎です。牛島先生には世界中で5本の指に入るくらい心から感謝していて、尊敬しているのですが、ブログに書くものでもないので、いつかまた伝えようと思います。

さて、私は何か書き物をする時に大きい視点と小さい視点を行き来するのが得意ではない、というかあまり好みではないので、このブログではとても個人的な、そして微妙な私自身の気持ちの動きのみについて書いていこうと思います。ゼミでの具体的な「〇〇力の成長」といった話をお望みの方には、物足りない文章になってしまうかもしれません。

私にとってこのゼミで過ごした2年間は、自分の中のぎらぎらした感情や欲求を拭い取るための作業期間だったように思います。ぎらぎらした感情というのは、敢えて明示するなら不気味な自己承認欲求といったところでしょうか。

ゼミに入りたての私は、周りから見るととにかく自己主張の強い人間だったのではないかなと思います。ブログでこんなにも自分視点でしか話ができない時点で、まだまだ自己主張が強いことに変わりはないのかもしれませんが、自分の中では明らかに違っている気がします。以前の私なら、自分が恥ずかしいと思っている自分自身のことについてゼミのブログという媒体で声高に発信しようなんて思わなかったでしょう。どうやってでも綺麗に覆って周りからは見えないように力を尽くしていたはずです。

3年生の夏頃まで、そういうぎらぎらした感情を胸いっぱいに貯めていた私は、周りと自分を常に比べていました。牛島ゼミは倍率が高いゼミで、そこに入る人たちは当然“優秀”な人たちなのだろうという考えが、私に肩肘を張らせていたのかもしれません。

その結果、初回のディベートでは、特に思考力が高いわけでも議論をまとめる力があるわけでもないけれど、肩を怒らせていたせいか最終弁論という重要な役割をやることになってしまったし、6月頃に行われた選挙では何故かゼミの副代表に選ばれてしまいました。でも何をやってもどこか気持ち半分で、「〇〇さんの方がこういう能力は高いのに」「自分にはこの役割が務まらなくてがっかりされたらどうしよう」という焦りが頭を埋め尽くしていました。

その時の私にとって自分の位置を確かめるうえで重要だったのは、自分自身ではなくて比較するための他者だったんです。だから自然と、いわばマウントを取るような身構えた姿勢が増えていたのかもしれません。

この時の感情を擬人化するとしたら、「目玉をせわしなくぎょろぎょろさせて、掌は脂でてらてらと不気味に光っていて、口の端には白い泡を貯めて自分をアピールできるタイミングを今か今かと窺っている気味の悪い人」というところでしょうか。しかもそれを周りから白い目で見られていることにも気づかないのです。実際私は「かなの発言は人を不快にする」という言葉を掛けられるまでそのことに気づきませんでした。これ、ブログにしては少し刺激の強すぎる話でしたね(笑)でも、確かにこの言葉を浴びた時は本当に落ち込んで、それはそれは苦しい思いもしたのですが、1年以上経った今ではこの言葉に愛着すら湧いているのでご心配なく。

とにかく、3年生の私はこういう人間でした。ただ、ここからリハビリしていく1年半ほどの期間の中で、私はゆっくり何度も自分自身と周りの人について考え、今までにないほどくっきりと自分の精神の淵を触ることができたように思います。

その中で意外と重要なアクセントだったなと思うのが、私が所属している「いきかたずかん」という有志型プロジェクトでの活動です。いきかたずかんでは、1年間をかけて牛島ゼミに所縁のある人に、人生の選択やその時の想い・葛藤、そしてそこから形成された価値観などをインタビューし、記事にまとめてきました。普段の生活の中では、なかなか学生が社会人の方の価値観まで踏み込んだ話をすることってないと思うんです。その意味では、牛島ゼミの学生という立場を存分に活用して、その人の生き方を追体験させてもらい、自分自身との精神的な対話を補強する材料をたくさん得ることができたのは、とても贅沢な体験だったと感じます。(いきかたずかんの記事も是非読んでみてくださいね。)

このようにして自分自身と向き合い続けた結果、最近になってやっとという感じですが、他人との相対評価としての自分ではなく、絶対評価で自分をジャッジしてあげることができるようになってきた気がしています。

実は、一年前の場つなぎブログでも似たようなことを書いている気もするのですが…

牛島ゼミは一つ一つの活動の濃度もゼミ員同士の関わりもかなり濃いゼミです。だからこそ張りぼての自分で生きてきた人には、自分の力が上手く発揮できていないと感じることもあるでしょう。もどかしくて辛い瞬間も経験するかもしれません。でもだからこそ、活動の中で、そのもどかしさの原因を探りながら、時には自分の過去に立ち戻りながら自分自身と存分に向き合うことができるゼミでもあると思います。

2年生のみなさんが牛島ゼミで、たくさんの知らなかった自分を見つけてくれることを願っています。