こんにちは!Future Desing Project(FDP)18期のあゆみです!
前編、読んでくださりありがとうございます。後編は、私自身が提案するプログラムと所感について書いていきます。(気づいたら長くなっていました!)
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私が提案するプログラムは、4年生の春~秋に追加したい、『4~6割の卒論』です。
私は卒業する身なので、提案したプログラムは絵に描いた餅かもしれませんが、現段階で言語化できる範囲で説明していきます。
【『4~6割の卒論』目的】
自分自身のストレッチゾーンを知る。
【『4~6割の卒論』概要】
基本は以下を除いて卒業論文と同様。テーマは自由でプロジェクトでも、日常生活・趣味でも、自分や牛島ゼミについてでもOK。
〈卒業論文と異なる点〉
・プログラムは自由課題。やる・やらないは自由。
・分量や検証方法は自由。動画や写真その他諸々、自分の得意な表現方法で可。
・4~6割の自分で取り組むことがルール。
【説明】
▶4~6割とは
4~6割とは、手抜きを意味するわけではなく、日常の自分+αで取り組む、という意味です。
なぜ4~6割で取り組むかというと、ゼミの卒論をはじめとしてディベートや三田論の難しさ(楽しさ)は、非日常であるところにあったのではないかと考えるからです。大学生の現段階で、特定の学問分野の専門家ではないため、私たちはあらゆる勉強の初心者に位置するはずです。
ディベートのテーマが自分に密接かと言えばそうではなくて、題材の主語は日本や経済といった掴みどころが難しいもの。
卒論も、自分の興味のある分野でできるとはいえど、理論や数字、文献など資料にのみ執着してしまうと、事実の羅列のようになってしまい、自分事とは遠のいてしまう瞬間がある気がしていました。だからといって、フィールドワークのヒアリングで属人的な内容ばかりを取り上げると、それはそれで根拠資料といえるものなの?といった疑問が。
グループワークや個人ワークであることも含め、非日常であればあるほど最初は新鮮だけれど、長く続けば負荷ではないでしょうか。逆に、日常的すぎる活動では、マンネリ化してぬるま湯になってしまいます。(振り返りブログのゾーンの話を参照していただければと思います。何度もリサイクルしてますね(笑))
そこで、自分自身の日常に溶け込んでいる習慣的な選択や気づきを、何かしらのアウトプットとして表出することで、スムーズにその人らしさが出て、本当に知りたかったこと(ゼミ試当時のESで書いたことなど)の探求や、自分の変化に気付く機会ができるのではと考えます。アウトプットが論文形式なのは、問題提起~仮説~仮説検証の流れを取り入れ、過程に自覚的になるためです。
また、ゼミだからこそ制作物の発表機会を設けることができ、フィードバックをもらうことができます。そして、4年生の春~秋であれば、3年時のディベート・三田論や並行するプロジェクト活動で得た知見や養った資質を活かせる時期でもあると思います。
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余談ですが、こう考えた2つのきっかけがあります。
①卒論に夢中になる同期の存在
18期の同期2人が家業や趣味(ワイン)について卒論を書いていて、その姿がとても楽しそうだったからです。その二人とは、帰り道が同じだったので、お互いの卒論について話す機会がそれなりにあり、「○○で行き詰ってる~」「終わらないわ…」とお互いによくある弱音を吐きながらも、でも楽しそうに取り組んでいる姿が印象的でした。(・∀・)ニヤニヤ
そんな二人をみて、自分に密接な関係があることに、人はきっと自然と夢中にのめり込めるのだと改めて教えてもらいました。(・∀・)ニヤニヤ
(ただ、卒論1つで自分の興味関心をマックスで探求することは現実的に難しかった。パニックゾーンにならない範囲でもう一つできることや、プロジェクトを仮説検証の流れで読み解く機会があればよいなと思い、この企画を提案します。)
②3本柱以外のインプット
特に、私自身がゼミ活動で感化されたものに、以下があります。
●こうしごとフォーラム
2年前、ゼミ試験に合格して間もないイベントで、ゼミのOBOGの方々の社会人生活についてお話を伺うイベントでした。当時、ゼミがスタートする前の私にはさすがに取り越し苦労が過ぎているんじゃないかと思っていたのですが、この機会があったから、2年間の指針や道しるべが自分の中にそれとなくストックされていたような気がします。
●Re:live
入ゼミ活動の1つで、2年生に牛島ゼミの2年間のイメージをお伝えするイベントでした。(2019年度は「極彩」。)
このイベントの冊子企画で、私は牛島ゼミ11期の先輩にお話を伺いました。先輩からは、ディベートで最終弁論をした時のこと、チームでの立ち回りやプロジェクト活動など様々なことを聞かせて頂きました。そこで私が最も印象的だったのが、どれも昨日のことのように自分事としてお話されている姿でした。
もし、10年後くらいにゼミや大学3,4年のことを思い出すときがきたら、私は昨日のことのように話せるような経験や学びがあるか。誰かに話したくなる、忘れたくない出来事はあるか。直接聞かれたわけではありませんが、自然とそう問われた気がしました。
その時の私は、このままでは全く持って無理だろうと思いました。それほどまでに夢中になれることがないことは当時の自分でもずっと自覚していて、かなり心ここにあらずな期間でした。(かひろの振り返りブログでいうと、砂時計の下の砂ですかね。砂岩と化さなくて良かった。)
振り返りブログでも述べましたが、私も2年間のゼミ生活でいろんな期間や感情(ゾーン)を経験しました。2年間のゼミ活動を通じて、ディベート・三田論・プロジェクト、そのほかゼミ以外の活動との両立など紆余曲折を経ながら、気づいたら自分が夢中になれることに出会う、もしくは自力で見出していくことが牛島ゼミの醍醐味なのではないかと今になっては思います。
ゼミから教材として夢中にならざるをえないコンテンツ(ディベート・三田論など)がもらえるのは3年生までで、4年生になってからは自分でコンテンツを作る自由(という教材)が与えられていたのだと、個人的に思ってます。
【補足】
あと、おしゃべり上手なゼミ員が多かったので、自分は喋らないで自己表現したいと思っていたこともこのワークショップ企画のきっかけでした。 (言っちゃった。でもレッドオーシャンは避けたかった。)
ただ、同じ土俵に立てないことの力量不足もずっと痛感していて、ここぞという機会で外さないよう、いつもゼミ員の立ち振る舞いを参考にしてさせてもらっていました。
ここまで書いて多少強引なつじつま合わせかもしれませんが、私にとってのこのワークショップは、もう一つの卒論「4~6割の卒論」のようなものでした。やると決めてからのゼミ生活が、楽しかったです。
ここに書ききれなかった思いも含めて、私の牛島ゼミでの2年間でした。
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振り返りブログを書いてから、1,2か月少し経ってようやく自分の中で整理がついたので、今回こうして伝えてみようと思いました。私は、自分自身と向き合うことと、人に伝えるということは、別物として区別したくて、他者(読者)を通じて自己理解をすると、自分ではない理想のペルソナを書いているようで、期限までに整理できませんでした。でも、気づいたらずいぶんと断片的な振り返りブログになっていたので、改めて書こうとなりました。
2年間のゼミ生活を冷静に振り返るには時間がかかってしまいましたが、これからもっと違う視点で振り返りができたらいいなと思っています。
最後になりますが、学生生活やFDPの活動を通じて、環境や教育機会によって、性格や選択肢がある程度は決まることを、それとなく知りました。皆さんも聞いたことがあるかもしれません。
私自身も、ある程度環境の影響を受けることが避けられないならば、ゼミをはじめとして自分が身を置く環境が、できるだけ良質な情報収集や学び、変化が叶う場であってほしいと思うし、そうなるようにアレンジできる技量や視点を身につけたい。これが、今回の「牛島ゼミ教育カリキュラム改訂ワークショップ」の裏テーマでした。
自分にとって大切なこの場を、最後まで思う存分お借りして、卒業します。
卒Gyu!またどこかで合流したい!☺