Gyu場つなぎブログ【ともや編応答】内なる多様性を見つけて広げる

こんにちは,牛島です。19期の場つなぎブログが始まったので,気が向いたら私も何か関連する話を書いてみたいと思います。

なるほど。最初のテーマは「多様性」ですか。
いきなり重要なテーマですね。

多様性がもたらすもの
大雑把なまとめですが,多様な人がいると多様なものの見方や考え方が生まれるので,現状を打破するようなクリエイティビティが発揮されるというのが,よく挙げられる多様性のメリットでしょうか。不確実で変化の大きい時代を生き延びるために必要なことだっていう文脈ですね。

ただ,多様性によるメリットを生み出していくっていうのはそんなに簡単ではないです。特に言うまでもないかもしれませんが,多様だと面倒くさいこともたくさんあります。これが当たり前,これが正しいと思うことに同意しない人がいて気に入らない。物事もうまく決まらずイライラする。自分と気の合う人だけで好きなようにやりたいと思うこともあるでしょう。呑み込みの悪いできないやつは置いていきたいと思うかもしれません。


(初顔合わせの固い雰囲気)

ゼミにおける多様性
ゼミは日本の同じ大学,(ほとんど)同じ学部,(ほとんど)同じ歳の人たちの集まりです。ほぼ同じような説明を聞いてこのゼミがいいなと思って来た人たちでもあるわけですから,価値観の共通部分も大きいでしょう。つまり,世界全体から見ればかなり多様性が低い同質的な集団ということになります。

しかし,ゼミは気の合う友だちが寄り合うたまり場ではなくて,何らかの課題・活動を通じて成果をあげながら学んでいこうという組織です。また,誰かの指示の通りに課題をこなせば成果が生み出せるという仕組みでもありません。(他のゼミのことは断片的な情報から想像するしかないのですが,もしかするとこのゼミはそういう側面が特に強いかもしれません。)

そのため,お互いの考えの違いを曖昧にしたままでは物事を進められないところが必ず出てきます。平均的な大学生がこれまで経験してきた組織と比較すれば,価値観の違い,得手不得手の違いが可視化されやすいという意味で,多様性を意識せざるを得ない場所だということはあると思います。

それでも,ゼミは2年間メンバーが変わらないので,お互いのことが分かってくると,差し障りなく長く付き合っていくための妥協や役割分担による棲み分けが行われ,物事は比較的スムーズに進むようになるのが普通です。結果として関係性が安定し,居心地は良くなるでしょうが,反面,それは本来あるはずの僅かながらの多様性を失っていく過程と捉えることもできます。

馴れ合いと棲み分け
では,棲み分けや馴れ合いに陥る危険性を意識しつつ,多様性のメリットを生み出していくためにはどうしたらいいのでしょうか。

この問題は,なかなか簡単ではありません。
でも,それぞれの意識が変わり,お互いの関係性が変われば,小人数の固定メンバーでも多様性を発見し,広げていく途があるように思います。

まず,初めのうちはうまく出せないだろう自分を発揮できるような場を目指すことが最初の目標です。

たいていの場合,初めのうちはお互い遠慮して自分を強く出さず様子を見るので,深刻な違いは表面化しません。やがて時間がたつと仲良くなって,少しずつ自分の考えを表に出せるようになる。でも何かを一緒に動かして一つのアウトプットを出そうともがき始めると,お互いの違いがはっきりしてくる。

問題は,その後にあります。

自分と相手との間にある違いを固定的にとらえて,何か言えばきっと食い違って嫌なことになる。きっと自分の主張は通らないから,適当に調子を合わせて思っていることは言わない。距離を取って相手の好きにやらせておけばいいや。となると馴れ合いや棲み分け安定に向かいます。
いつも頼りになるリーダーとそれについて行くフォロワーという関係が固定化することもあるかもしれません。

こういう関係性はそれなりに平和で安定したものですが,事態が難しくなるとリーダーが疲弊したり,フォロワーが経験値を積み上げて自信を得る機会を失ったりすることになります。いずれにせよ,見かけ上はごく近い場所にいるけれど,見えない境界が引かれている状態です。

内なる多様性を見つけて広げる
こういう状態に陥らないためには,場面によってそれぞれの役割や発揮する力は流動的に変化するものだ,という感覚を持つ必要があるように思います。
それも一人ではなく全員が。


(夏になると飲み屋を追い出されてもだらだら路上にたむろするようになる)

自分の強み弱みとか,タイプ・志向性みたいなものは,これまでの経験を振り返ることでもある程度整理できるでしょう。でも,それが固定的なもので,どんな場面でも変わらないと考えてしまうと上手くいかないだろうと思います。

経験の幅が狭ければ,自己分析でスキャンできる範囲にも限りが出てきます。いままで知らなかったテーマ,いままでやったことのない立ち位置,いままで直面したことのない事態に接することで始めて感じることもある。さらに,その人がどういう力を発揮するかは,その場にいる他の人たちとの相互作用によっても変わります。

つまり,今の自分が知らない自分があり得るのだということを意識する必要があります。そして,他人について知っていることはさらに僅かです。

そこでどうするかですが,ゼミという組織で考えると,差し当たり以下の二つが有効な手立てではないかと思っています。

・発揮されるべき力や感性が異なる多様な場面を創ること。
・自分の力を出し切る場面,相手の力を引き出すために全力で動く場面の両方を創ること。

もしこれがある程度まで実現できれば,これまで出会ったことのなかった場面で今まで気が付かなかった自分や他人の特徴や個性,あるいは強み弱みたいなものが見つかることがあるだろうと思います。内なる多様性の発見です。

一つ目についてはある程度まで意図的に設計可能です。ゼミの活動を組み立てるときにも強く意識しています。4年生の振り返りブログで同じ感覚の内容に出会うこともあるので,企みは案外成功しているかもしれません。
二つ目についてはいまのところどうすればいいのかわかりません。「これは結果に関わらず全力で取り組みたい」,「ここはあいつを全力で応援したい」って思えることが見つかるといいのですが。4年生の方が後輩を応援・サポートすることで,相手も自分も変化するチャンスが多いということはありそうです。でも,その人次第かな。

最後に,たぶん近いことを言っているのではないかと思い,過去何度か3年生の最初のサブゼミで話したことがあるものの,反応が薄くて困ってしまった引用を置きます。

民主的な社会に暮らす方法を学びたいのならば,オーケストラで演奏するのがよいだろう。オーケストラで演奏すれば,自分が先導するときと追従するときがわかるようになるからだ。他の人たちのために場所を残しながら,同時にまた自分自身の場所を主張することはいっこうにかまわない。(ダニエル・バレンボイム「ドイツ人,ユダヤ人,音楽」バレンボイム/サイード『音楽と社会』みすず書房,2004年,p.236)

ともやブログにあるように,19期は1年かけて20人の内なる多様性を発見する努力をしてきたのだろうと思います。それが多様さを広げながらもバラバラにならない優れたオーケストラのようになるのかどうかはこれからですね。

私にできることはあまりないので,これからも少し離れたところから見守っていきたいと思います。長くなってすまん。