18期振り返りブログ【きょすけ編】ラストインタビュー

こんにちは、18期のきょすけです。最後のブログとなりました。ゼミでの活動がこれで最後になると考えると、寂しくなりますね。今回のブログはこの2年間を振り返るいい機会なので、自分自身に問いかけながら振り返りたいと思います。

【PROFILE】
きょすけ 北の酪農王国出身。幼きころから器械体操を習い始め、大学では体育会に所属。プロジェクトはUnispoと、4年生から有難豚プロジェクト。三田論班。

―――ゼミを志望したきっかけ
Unispoに入りたくてゼミを志望しました。大学1年生で部活中の事故で膝の大怪我をした際、松葉づえ生活の不便さを経験しました。中でも、満員電車で席を譲ってもらえず1時間ほど片足で乗車した際は、世の中に存在する「社会的バリア」を感じました。2年生では「ボッチャ」というパラスポーツを体験する機会があり、参加者全員が心からスポーツを楽しんでいる姿に、スポーツには人をつなげる力があるのだと感じました。そこから、同じような活動をしている牛島ゼミのプロジェクトに興味を持ち始めたのがきっかけです。

―――実際に入ってみて感じたギャップ
プロジェクトで活動したくて入ゼミしたのですが、実際のところ、3年生の初めはまったくその活動に時間を割くことができませんでした。ゼミに入ると7月までにディベートを2回、ケース&リサーチ発表を1回行います。それらをこなすのと部活に精いっぱいで、プロジェクトまで手を回すことができませんでした。

―――8月以降について
夏休みに入ると、プロジェクトに割く時間も少しずつ増えました。Unispoでは「インクルーシブウォッチ」を行い、車いすユーザーの方とラグビー観戦に行き、観戦における課題を探しました。また、Unispoと同じようなビジョンを持つNPO法人に繋がる機会があり、何かオモシロいことをしようと、会議を重ねていました。それなりの活動はしていたかと思います。
一方、プロジェクト以外では三田論の執筆に励んでいました。8月以降の3年生は「ディベート」班と「三田論」班に分かれ、それぞれの発表に向けて準備を進めていきます。僕は三田論班に所属し、同期と会議を重ね、論文のテーマを必死に模索していました。

―――三田論での活動
三田祭論文の執筆はゼミのメインとなる活動であり、納得の論文を完成させることに大きな意味を考え、力を入れて取り組んでいました。というのも、自身のスキルにおいても、グループ活動においても、成長できる場であると考えていたからです。
まず、スキルとして「論理的に物事を考える力」を身に着けたいという思いがありました。人に何か意見を伝える時や、企画書などの文面で相手を説得する際、その力が大切だと考えています。しかし、部活で上級生や監督を説得する場面、ゼミのプロジェクトで企画書を作成する場面などにおいて、自分にはその力がたりていないと感じていました。また、第1,2回ディベートの会議では議論についていけないことも多くあり、三田論を通じて克服したいと考えました。

グループ活動においては、「自分の役割」を探したいという思いがありました。今までの集団活動では、あまり積極的に意見をいえる方ではなく、議論で分からないこともあってもそのままにしておく時が多くありました。そのため、第1,2回ディベートの会議では、チームにおいての「自分の価値」がまったくないことに気づきました。三田論での活動にあたっては、積極的に議論に参加し、自分なりの役割を探して貢献したいと考えていました。


〇なかよし三田論班

―――その課題に対して、取り組んだことや工夫
後者の役割については、いくつか意識して取り組みました。ひとつは、わからないことは意地をはらず素直に「わからない」と言う、ということです。グループで会議している時に全員が半端な理解で進んでしまうことがたまにありますが、その時に「わからない」ということは勇気がいります。しかし、論文執筆においては、その見逃してします小さな穴が後々大きく広がることがあります。そのため、自分が会議を止めてでも手を上げ、丁寧な論を立てられるように意識しました。

もうひとつ、「チームのエンジン」的な役割になりたいと考えていました。ひとつ上の先輩の代の三田論班は、論文執筆までかなり苦戦したそうで、その時にあるエンジン的存在のチームメイトが引っ張っていってくれたおかげで、全員が前を向けたと聞きました。しかしある先輩に、僕らにはそうした「エンジン」的存在がいないので心配だ、と言われた際、自分がそうなってやろうと思いました。

実際に、10月ごろに論に行き詰まり、チームがバラバラになった時がありました。体力的にもきつい時期でしたが、自分が辛い時の第一歩を踏むんだと考え、いち早く作業をしていました。みんなを過度に鼓舞することはできなかったので、背中で見せるように取り組んでいました。徐々に一緒にまた頑張ってくれるメンバーが増え、また全員で前に進めることができたと思います。

―――そうした取り組みから学んだこと
論文執筆に対して真摯に向き合ったり、グループでの役割を探しながら活動した結果、得た学びも多かったように思います。まず、わからないことに対して「なぜ」を繰り返し、愚直に人に聞いたり調べたりすることで、自然に「論理的思考力」が身についたと思います。「なぜ」を繰り返すことで、物事の因果関係を紐解くことと繋がり、より深い問題提起ができるようになることで「深く考える」力がつくものだと思います。さらには、理由をつけながら話すことで説得力が増し、人に伝える力も身につきました。

また、自分の知らない一面に気づくこともできました。辛い時に這い上がる力や、いい意味でのマイペースさが自分の強みであると発見しました。ある意味自己分析になり、グループにおける自分の得意な役割を理解することができたため、立ち回りがしやすくなったと思います。評価される論文が書けたかはわかりませんが、得られた学びはとても大きかったと感じています。

―――4年生になって変化したこと
後輩ができたことですね。一番の後輩との関わりはプロジェクト内で、前年とは異なり、自分達でチームを作り引っ張っていかなくてはなりません。より熱意と主体性が求められるようになったと思います。
また、新しいプロジェクトにも所属しました。有難豚プロジェクトという豚と関わるプロジェクトで、生産者目線から食について考える経験をしました。

―――両プロジェクトでの活動
4年生になると、正直、Unispoよりも有難豚プロジェクトに注力をしていました。理由はいくつかありますが、一番は自分の目標を立てられたことだと思います。1年の活動を通して何か大きなイベントをやりたいという想いや、同期のあかねと2人での活動のしやすさから、自由に目標や計画を立てられました。1月のOBOG会の企画を引き受け、メインイベントとしました。7月には後輩が4人入り、6人チームで活動していました。タスク配分と他のメンバーのモチベーション維持には苦労しましたが、体育会主務としての経験を活かしながらイベントを企画しました。

一方、Unispoではあまり積極的に活動することができませんでした。その理由は、いつの間にか「やりたいこと」から「やらなきゃいけないこと」に変わったからだと思います。自分がスポーツイベントを企画し場を「提供」するよりも、あるイベントに仲間を連れて参加しそうした経験を「享受」するという関わり方でもいいのではと思い始めました。こうした方が自分にとっては楽しく、素直に「やりたいこと」として活動できると考えました。これは2年間通しての僕の本音です。


〇有難豚プロジェクトで企画したOBOG会

―――GYUゼミだからこそできる経験、身に着けられるスキル
多様な主体と関われる、貴重な機会ですね。プロジェクトでは同じ目的を持って活動する他大の学生やNPO法人、養豚家、東京から遠く離れた村の住民など、本当にさまざまな人と出会います。同じ目的でも、全く違う価値観やアプローチで活動をしていたりなど、発見が多かったように思います。そうした人々と出会い、話を重ねることで、自身の世界観が広がりました。

―――これからの目標
具体的には決まっていませんが、社会の役に立つ人間になりたいです。このゼミで学んだことを思い出しながら、これからも精進したいと思います。

―――最後に一言
自分自身へのインタビューっぽく振り返りました。大変なことも多かったですが、それによって得たリターンの方が大きかったように思います。今までご指導いただきました牛島先生、関わってくれたゼミ員の皆さん、お世話になりました。2年間ありがとうございました。