こんにちは!
つきむらです。
今回はゼミ2年間の振り返りブログということで、
自分らしく何を振り返るべきなのかを考えました(笑)
ゼミの2年間は、それ自体も意味があり、大きな変化があるものではありました。
でも、その本質的な価値は、一時的な学びというよりも、自分の人生の中での意味付けから得られるものなのではないかと考えました。
今まで自分がどう生きてきて、その中でゼミがどういう価値があったのか、
その意味付けを自分がすることではじめて価値を持つのかなと・・・
ということで、
ゼミでの2年間が、自分にとってどんな意味合いがあったかを
今までの人生を振り返りつつ書いていきたいと思います。
⇑ゼミに入ってドはまりしたカメラで撮った写真
自分にとってゼミでの2年間は「現実の中でもがき続けた」時間であったように思います。ゼミで得た学びはたくさんあるけれど、それよりも「現実の中でもがき続けた」という事実こそが、自分の人生にとって一番意味を持っているように思います。
ゼミでは、ディベート、三田論、めぐるめ、KEIOフットサルアドベンチャー、テミルプロジェクト、入ゼミ、その他イベント・・・
とにかくなんでも「とにかくやってみる」の精神で取り組んできました。
⇑はじめてのディベートで緊張・・・
⇑第一回ディベートの写真。みんな若い(笑)
思い返すと、お世辞にもこれが出来た!!と自慢げに言えるものはなく、とにかく弱さと強さ、論理と感情、自我と他者というトレードオフなもの(必ずしもそうではないが)の中で、揺れ続け、悩み続け、失敗し続けた2年間でした。
でも、
その悩みと失敗こそが、チャレンジした、「現実の中でもがき続けた」証拠なのだと思います。
自身の人生は、弱さから、現実から逃げ続けた人生でした。
小学生の時は、
学校ではお山の大将??な一方で、
塾では全国トップレベルの同級生たちにテストでまったく歯が立たず万年ビリ。
そして中高でも、
世の中では「進学校」ともてはやされる学校に進学したものの、
テストで学年最下位だったり、部活でも万年ベンチだったり・・・
そんな二つの相反する現実の中で、
強い自分(傲慢な自分)と弱い自分(自信がなく諦めている自分)が生まれ、変なプライドを持ちながらも、「こんなもんだ」「絶対に勝てない」と努力もせず、現実から、劣等感から逃げ、くだらない空想ばかりする人間になっていました。
そして、なんとか大学にはいったものの、、
自分の価値観の偏狭さ、コミュ力のなさ、とにかく自分の経験の少なさに気づき、
何となく毎日を過ごしていることに違和感を感じるようになっていきました。
そうした中で出会ったのが、牛島ゼミでした。
わざわざ他学部の牛島ゼミを受けたのには色々な理由がありましたが、
いま思うと、机上に終始せず、現実に向き合って汗水流している人たちを見て、
自分に足らないものを感じたのだと思います。
そして入ったゼミでは、
今の現状を打破したい。劣等感と向き合いたい。変わりたい。という気持ちで、
以下の3つの理想をもって臨みました。
❶自主性を超えて主体性を身に着けたい。(「主体性」は、何をやるかは決まっていない状況で自分で考えて、判断し行動することです。「自主性」とは単純に「やるべきこと」は明確で、その行動を率先して人に言われないで自らやることです。)
❷チームワークの中で、独善的にならない形で積極性を出す方法を学びたい。
❸社会を知り、その問題点を考えた上で社会への貢献方法を見つけたい。
そして、この理想を体現しようと、弱さと強さ、論理と感情、自我と他者のはざまで悩み続ける、「現実の中でもがき続ける」ことになりました。
自主性を超えて主体性を身に着けたい。
これは、このゼミに入ってより難しいと感じたことです。ゼミではいろいろなことを自主的にやりましたが、本当の意味で主体的に動くことが出来なかったと感じています。枠組みの中で変化を起こすことができても、本当に何もない所では足がすくんでしまう自分に気が付きました。
例えば、ソーシャルプロジェクト(めぐるめ)で、何か新しい企画をしようと考えたときに、「皆の承認が得られるか」「本当に価値があるか」「協力者に迷惑になるのではないか」などなど、、、変に考えすぎて、ひよってしまう弱い自分がいました。
そんな自分が嫌いで、小さい所から変えていこうと身近な人から声をかけたりして、自分の「怖い」と思う壁を壊そうともがいてきました。でも、まだまだ頭でわかっていても動けないことが多くあり、日々悔しさを感じています。
それでも「現実の中でもがく」ことで、少しずつ変えていけると学べたことは、主体性を育む上でとても大きなことだったと思います。
⇑企画したOGとのワークショップ
チームワークの中で、独善的にならない形で積極性を出す方法を学びたい。
これが、ゼミ生活の中で一番悩んだことです。自分の理想を体現するためにはリーダシップを張らなくてはならない。しかし、論理的に正しさを求めていくと、周りの感情を軽視し、独善的になってしまう。
そうわかっていても、どうしても周りのぬるさが許せなかったり、はたまた自身ができないことにイラついたりして周りに厳しくなってしまって、自分の性格の悪さに死にたくなるような夜もありました。
牛島ゼミのグループワークでは、そうした「論理」と「感情」、「自我」と「他者」のはざまで揺れ続け、悩みました。その中で、実感した(実感させられた)ことが二つあります。
❶過剰なリーダーシップ(頑張り)は他人の存在価値を搾取することになってしまう。
❷「こうしたい」「より良くしたい」という自分の理想があっても、周りのモチベーションがついてこなければ押し付けになっていしまう。(あたりまえですが)
グループワークの中で、どこまで自分の理想に向かうべきで、どう他人を生かすべきなのかわかりませんでした。そうした中で、何度も失敗しながらも、何とか周りのモチベーションをあげようと四苦八苦したり、意見の交わし方を試行錯誤して、少しづつ辛抱強さを身に着けた気がします(まだまだですが・・・笑)
結局、自分の理想を押し付けることに意味はなく、
相手のことを認め、要望を吸いあげ、自分が先に与えていかないと巻き込めない。
という、至極あたりまえのことを、やっと身に染みて感じることが出来ました。
それは、人の輪の中で、自分の弱さと、現実と向き合い続けたから得られた実感だと思います。
今はまだ自分の視点から物事を考えがちですが、少しずつ他者の視点を得て本当の意味での「独善的ではではない積極性」を身に着けていきたいと思います。
⇑三田論始動!!な写真
⇑日高インゼミ。フィードバックに恐れる図
社会を知り、その問題点を考えた上で社会への貢献方法を見つけたい。
これは結局わかりませんでしたね(笑)
ただ分かったのは、結局問題というのは、当事者意識をもって実際に行動したところからしか生まれない。もしくはその問題に取り組もうというモチベーションは湧かないということです。これも、「現実の中でもがき続ける」ことで気づけたことだと思います。
なんだか段々言いたいことからずれてきてしまいましたが、、、
まとめると、
この2年間は自分の中で、めっちゃ頑張った!!
と大手を振って言えるものではありません笑笑
いっぱい逃げたし、それを誤魔化したりもしました。
それでも、そんな弱さの中でも、「現実の中でもがき続けた」ことが、
自分の人生にとって大きな財産になった(らいいな)と思っています。
今ままでの逃げ続けてげている人生は、
みじめで、面白くなかった。
現実の中でもがき続けた2年間は、
決して楽ではなかったし、逆に自信を無くすようなこともあったけれど、
それでも、、
面白かった。
そう思います。
だから、これから社会人になって、もっとつらいことや大変なことがあっても、
諦めて死んだ魚のような眼をするのではなく、
「現実の中でもがき続け」て少しでも前に進もう。
そう思えるだろうと思えるのは、
この2年間という、大切な、大切な時間があったからだと思います。
最後に、、、
同期へ
協調性に乏しい自分が2年間なんとかやって来れたのは、包容力がある同期のおかげだと、心から感謝しています。本当にありがとうございました。
3年生へ
そして、怖いこと・厳しいこともたくさんいったけど、話を聞いてくれた、力を貸してくれた後輩も、本当に感謝しています。4年生はまた別の意味で大変だと思うけど、健闘を祈っています。
先生へ
色々と至らない所が多々ある中で、そっと見守りつつ声をかけて心配してくださる先生には、感謝を言っても言い切れません。本当にお世話になりました。
2年生へ
ゼミでは大変なこと・悩むこともたくさんあると思います。
でも、だからこそそれ以上に楽しいことがあって、仲良くなれる仲間がいると思います。
だから、、、
「将来のため」「就活のため」
そんな予測もできない未来におびえてゼミを選ぶのではなく、
今の自分に、自分の人生にとって本当に価値のある2年間を探して、
ゼミ(このゼミでないにしても)を選んで欲しいと思います。
ちょっとポエムっぽい自己満ブログになってしまいましたが、
どうせなのでもう一句、
Where there is a will, there is a way!!
ではでは~