18期振り返りブログ【あゆむ編】 「今までの自分の考えって本当に正しい?」(前編)

2年生のみなさん、振り返りブログをご覧頂きありがとうございます。牛島ゼミ18期のあゆむです。

卒論でワインを研究対象にしてからというもの、ワインへの愛着がもの凄く、検証先で買ったワインを含めて家に10本ほど貯蔵しています笑
もともと、音楽全般と寺社巡りと生ハムとカメラを趣味にしていて、社会人になる前にさらに趣味が増えた所存です。

…という話はさておいて、ゼミ生活を機に自分自身に対して「今までの自分の考えって本当に正しい?」と疑問を投げかけることが多くなりました。自分のゼミ生活は、自分の価値観や方法を自問自答し、少しずつ、確実に、邁進することが出来た2年間でした。そういった「変化」は、何かの目的に向けて本気で取り組み、同時並行で様々なグループワークを行う牛島ゼミで、自分の「弱さ」や「自分らしさ」を見つけ出せたからこそだと考えています。では、具体的にどういった「変化」が起きたのか?良ければ最後までご覧になってください。

客観視出来ていなかった自分

日吉時代は合唱サークルに資格勉強に塾講師のアルバイトに、自分なりに主体的に挑戦を続けた2年間でした。一方で卒業まで予想範囲内の日々が続くことに限界を感じています。第1回のゼミ説では経営学のゼミを見ていた自分でしたが、三田祭での展示やゼミ見学を機に、牛島ゼミの雰囲気や内容に少しずつ惹かれ、「地域のまちづくりの研究分野への知識を深めたい」「実践的な活動を通じて自身の視野を広げたい」「今までにない新しい、心に響くものを生み出したい」という思いで牛島ゼミを選びました。特に三田論とトガプロに興味があり、自身の強みの主体性とチームプレーを活かして貢献したいと思っています。

…と、ここでお伝えしたのはざっくりと「大学2年生の当時に考えていた自分」です。しかしゼミに入って2年が経ち、日吉時代は頑張ったつもりでいて「何となく出来たと思っている状態でいた」ことに気付きました。当時は最大限頑張っていると思いながら、今思うと恥ずかしながら、客観視が出来ておらず自信過剰になっている部分が往々にしてあったのです。特に、以下に列挙するように、自分の強みとしていた主体性もチームプレーにも課題が残っていると分かりました。

・組織のネームバリューや肩書きに左右されて、普遍的な自分の価値を組織に提供できていなかった。(例:〇〇に所属していたら凄いという思い込み、役職に規定された組織への関わり方をする)
・物事の表面的なイメージや態度に囚われていて、その意図や本質を考え抜いてなかった。
・主体性があると思っていたが、突き詰めれば組織で決められたことをこなすという自主性に過ぎなかった。

日吉時代で頑張ったつもりでいて「井の中の蛙」だった自分は、ゼミという「大海」で未知の世界観を数えきれないほど経験することになるのです。

価値観が変わって成長した学びのまとめ
ゼミ活動を通じた自らの「価値観の変化」=「成長」は、以下の4つにおいて大きく変わりました。同時に4つがゼミ活動で磨かれたというよりは、様々なグループワークを通じて1つずつ学んだという方が正しかったです。

①弱さを知る/プライドを無くす(←ディベート)
②人との対立や意見の食い違いに恐れなくなった(←ディベート)
③チームにおける役割や貢献の仕方を俯瞰して見つける(←三田論)
④「〇〇したい!/××したくない!」から「〇〇をする/××を克服するためにはどうすれば良いか?」への思考の転換(←トガプロ)

「苦手な活動から学んだ、課題への取り組み方」ディベート
人一倍できると思い込んでいた自分でしたが、最初のディベートで自分の現実を目の当たりにしました。ディベートの題材が財政のプライマリーバランスに関するもので、事象を理解するにも精一杯であり、本番はおろか毎回の会議でも発言できていないあり様でした。来る日も来る日も「会議に参加しているだけ」という状況が続き、また初回の班は勢いも能力もあって、完全に飲み込まれました。その中での劣等感は凄まじかったです。


(写真:最初のディベート班での集合写真。会議後は笑顔でカメラに向き合っているものの、ディベートはあまり貢献出来た気がせず、本当に苦しい時期だった。)

その原因は、”事象の表面的な意味を吸収して知ったかぶりしていた”、”今まで争いごとを自然に避けようとして安住していた”自分がいたからでした。

前者に関して、学術サークルや資格勉強を通じて人一倍勉強していると思っていたのは「上っ面の勉強」にしか過ぎませんでした。暗記任せにして、自分の頭で背景や因果関係を考えきれていなかったのです。しかし、ディベートの相手の話を聞いて論理的に考えるというプロセスは、何となく事象を暗記して知識をつけていた自分から、頭で考えて理解するという思考に転換させてくれました。そのように、ディベートで貢献が出来ない状況を知って反省を行った結果、「何となく出来る」自分を打ち消して現在視点で見つめ直し、論理力がまるでないと自覚して ①弱さを知る/プライドを無くす ことに繋がりました。

後者に関して、ディベートをやって良かった点として「絶対に反論は起こる」状況を学べたことでした。今まで人の意見を否定せずに受け入れ、揉め事も避けてきた自分にとって、意見を否定したり否定されることが嫌で仕方ありませんでした。しかしディベートを通じて、反論が来ることに慣れて「否定されたくない」から「否定されるのに対してどうすれば説得できるだろう?」と意識を変えて抵抗感が無くなりました。その結果として ②人との対立や意見の食い違いに恐れなくなった 自分へと少しずつ変化しました。それは後ほどトガプロで外部の人と関わったり、以降のグループワーク(就活含む)でも冷静に意見を述べる面でも役立ちました。

「組織の役割と貢献方法を模索し学んだ」三田論
ゼミに入るきっかけとなった三田論でしたが、「チームにどう貢献するか」を考え続け、また自分らしさを少しずつ醸成した3ヵ月半でした。なぜなら三田論執筆はゼミに入った時からの楽しみであり、ディベートでの苦い思い出があったからです。


(写真:10月の中間報告直前に先輩から五反田のフィードバックを受けた時の写真。先輩方の鋭い指摘で論文を考え直そうとなった時期。)

…でしたが最初、自分の班に能力が高くリーダーシップが取れるメンバーがおり、それに追従する形で自分の役割を見いだせず仕舞いでした。しかし、牛島ゼミの三田論の特徴ともいえる「テーマを0から考えて執筆する論文」に三田論班が次第に苦戦する中で、自分が議論の段取りのリーダーシップでは後れを取ったとしても、テーマのアイデア設計や意見出しの面では積極的に貢献できると感じるようになりました。

その最たる例が、10月のゼミ内の中間報告で、それまでずっとテーマを固めていた「五反田のIT産業集積の集積過程」が集中砲火を受け、これ以上検証が出来ないとなった時でした。自分は三田論を諦めたくないという思いと、今まで重ねた議論を活用できないかと骨組みを再構築し、テーマで「街のイメージと実態の乖離」を検証することが有効と気付きました。その結果、最終的なテーマとなった代官山のテーマ模索において主導で考えることが出来ました。

また、検証においてヒアリング調査が必要となった際にも、自分が率先して調査を行った結果、「ヒアリングの鬼」という称号を頂き、論文のデータの収集に一役を買いました。このようにテーマのアイデア出しや調査で主体性を発揮しましたが、組織における役割を見つけ出すことは、日吉時代の役職に応じた組織へのコミットメントでは得られなかった事でした。


(写真:三田祭での三田論展示の様子。長い間、三田論に取り組んできたこともあって、来場されたお客さんに論文の見どころを伝えるのは楽しくて達成感があった。

(後編に続きます)