【13期ゼミの振返り「牛島ゼミだからこそ、学べたこと」−関戸編−】

牛島ゼミだからこそ、学べたこと

みなさんこんにちは。12期のみゆです!

12期??と思われた方もいるかもしれませんが、私は3年時に長期留学をしたため、1つ学年を落としています。(ちなみにイギリスに行っていましたが、本当に天気悪くてご飯美味しくないです笑、だけど良い国でした!)

さて、振り返りということで、苦しくも楽しいゼミ活動の中でも特に自分が変われた経験として「三田論とディベート」の2つについてこれから書きたいと思います。

 

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3年の春学期、2度のディベート試合で、私は一言も発言できませんでした。

悔しさを感じながらも、ディベートへの恐怖心から「三田論班」と「ディベート班」の選択を迫られたときに三田論を選びました。(途中留学していたこともあり、三田論の方が合流しやすかったというのもあります。)消去法のように選んでしまいましたが、2年間で最も自分が変われたのは三田論でした。

これを読んでいる2年生の中には、ディベートが牛島ゼミのイメージで、三田論は商学部のゼミならどこでもやっているもの、と思っている人もいるのではないでしょうか?私も当初そう思っていましたが、今では【牛島ゼミの三田論】だからこそ得られたものが多くあったと確信しています。

まず、そもそも三田論にはゴールが存在しません。勝敗ではなく、納得できるか否か、それがゴールであるため、先の見えない道を進む苦しさを感じました。

みゆさん1

そんな三田論で、牛島ゼミでは「フィールドワーク」を大切にしています。自分たちの足で情報を稼ぐことで検証を行うのです。壁にぶち当たっては、フィールドワークを行い、またグループワークで話し合い、フィールドワークをする。現場の人に話を聞けば聞くほど、文献やデータとは違う方向に問題が眠っていることに気がつきました。大学に入り、初めて『学ぶ』ことを実感した瞬間でした。

常に問題意識を持つことで次々に課題が見つかるため終わりがなく、進んでいる方向が正しいのかさえ分かりませんでしたが、その時は三田論に夢中でした。夢中になれるものがあり、そこで多くの人と出会い、そうした出会いを通して学べたことが、今考えると本当に幸せだったと思います。

また、三田論では22人全員で1つの論文を仕上げる難しさも痛感しました、何度も衝突しましたが、「something newを生み出したい」という牛島ゼミの精神を全員が持っていたからこそ、完成できたように感じています。

こうして終わった三田論でしたが、私はずっと、4年生で1度だけあるディベートが気がかりでした(笑) どうせまた発言できずに終わるんだろう、そう思っていました。

しかし始まってみると、三田論で得たことや身に付いた力が自然とディベートにも活かされていることに気がつきました。牛島ゼミの活動は多岐に渡るため、それぞれの活動で得た事がどうリンクしているのか見えないまま突き進んできましたが、それらが繋がる瞬間が必ず存在し、そこからまた次に繋がることを実感したのが、この最後のディベートでした。

みゆさん2

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こうしたゼミ生活を通して【常に「なぜ」を問い、Something newを生み出すことを諦めず、そのためには自らの足で情報を得ることが何よりも大切であること】を私は牛島ゼミで学びました。

そして今、牛島ゼミに入って良かった、と心から思えています。「ゼミ&留学」という欲張ったことをさせてもらいましたが、受け入れてくれた同期の12期13期、11期の先輩方、14期の後輩にも、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。4代の期を跨いだ私が思うのは、皆が「牛島ゼミで成長したい」との想いを持って、Something newを追求しているからこそ、こんな素敵なゼミになるのだということです。

2年生の皆さん、「卒業するときにどんな自分でありたいのか」をじっくりと考えてみてください。そして、その2年間を過ごす場所として、こういった経験のできる牛島ゼミがぴったりだ!と確信してくれたのなら、本当に嬉しいです!

応援しています!