24期振り返りブログ【とよしんさん編】活動を通して得た視点

自己紹介

こんにちは。24期のとよしんです。

 

振り返りブログということで、まずは私の2年間を箇条書きでまとめようと思います。

 

・入ゼミ長として入ゼミ活動の全体統括を担当。

・渋沢杯において個人最高賞である最優秀奨励賞を獲得。

・有志ディベート班含め、累計9回最終弁論を務める(ゼミ内最多)。

・利賀村に累計5回訪問し、2回新聞に掲載される。

・23期追いコンで開催された牛ゼミクイズ大会で優勝。

 

自分でいうのもなんですが、華々しい経歴だと思います。偉いもんです。ほぼ全て、3年生の時の1年間で起きたことなので、かなり忙しくいろいろやっていたんだなぁという気持ちです。4年生の自分は、3年生の自分を見習ってほしいですね。あと少しの大学生活も頑張っていきたいと思います。

 

さて、このままでは、私の成果を見せびらかすだけの自己満足ブログになってしまいます。「このゼミには尊大な人もいるもんだな(呆)」と、後輩たちの入ゼミ活動の邪魔となってしまうのもよくないと思うので、自分がゼミを通して学んだことというか気づいたことを、本当に思いつくままに書き残していこうと思います。

 

 

きっかけ

ゼミ選びは真剣にしていない2年生でした。

 

というのも、サークルの活動に打ち込んでいたので、ゼミの活動はサークル活動の邪魔になると思っていました。そもそも入る気もなかったわけです。

 

そんな考えで楽器を吹き散らし、三田祭の直前くらいの時期、サークル同期がゼミを探し出したのをきっかけにゼミを探し始めました。きっかけは、「ゼミ入ってないとなんかやばいんじゃないかな」くらいの漠然とした不安ってことですね。

 

意識の低さに恥ずかしくなります。このブログを見ている人は、真剣にゼミ探しをする中で牛ゼミを見つけ、ESを書く材料を探し求めた末にたどり着いた2年生か、興味本位で見に来た24.25期のどちらかしかいないと思います。前者の皆さんは本当に立派だと思います。私の駄文にこれ以上付き合わせるのも申し訳ないので、どうか違う人のブログを見に行ってください。後者の皆さんは、最後までお付き合いください。

 

そんなこんなでゼミ探し。当時牛島先生の総合教育セミナーを受講していたので、とりあえずオープンゼミに参加しました。自己紹介のタイミングで「今日からゼミ探しを始めました」と口走り、ざわつかせたことを覚えています。先輩方の雰囲気がよかったので、入ることを決意しました。

 

面接はそこまで緊張していなかったと思います。もともと話すのは得意なほうでしたし、受かるだろうなという全く根拠のない自信がありました。冒頭の尊大さはあながちボケでも何でもない事実かもしれないです。ESの自己PR欄に「面接時に楽器を演奏させてください」と書いたのですが、楽器を忘れてしまったため演奏することはできませんでした。まあ、インパクト勝負のための一文でしたし、印象には残ったようなので結果オーライかと。

 

インパクト勝負が功を奏したのか、無事に合格することができました。「人と違うことをすれば上手くいく」という、ゆがんだ成功体験を手に入れてしまいましたが。

 

集合写真で積極的に目立とうとする(左上)

 

いざ活動

様々なことをゼミで体験してきました。

 

最初のディベートは、うまく立ち回れていたと思います。金融の知識が必要なテーマではありましたが、自分で調べてそれなりの知識を身につけたら何とかなりました。時には日付が変わるまで会議をしたこともありましたが、そこまで苦ではなかったです。本番も、それなりにいっぱい話せました。最終弁論も結構うまくいきました。代表チームに選ばれ、4年生とも戦いましたが、コテンパンにやられました。

 

第二回のディベートは、立論から作り込む必要がありました。集まることが楽しくて、いろんな話をしながらうんうんと考え、それなりにスピーディーに立論を仕上げることができました。余裕たっぷりで、立論提出前日に遊び散らかしていたことをよく覚えています。本番も緊張はしましたが、最終弁論も上手くいって勝つことができました。

 

渋沢杯は、準備期間がとても長かったので、大変でした。2回のオープン戦は勝つことができました。当日は優勝こそ逃してしまいましたが、個人賞を獲得することができました。

 

こんな感じで、3年秋くらいまでの活動のメインであったディベートで、それなりの活躍をすることができていたと思います。自分でいうのも恥ずかしいですが、論理的思考力とそれらしいことに説得力を与える話し方を身につけることができました。

 

渋沢杯終わりで疲れが見える

 

プロジェクトも、先輩の助けを借りながら、利賀村とちょうどいい関係を築くことができたと思います。訪問にも積極的に参加し、村人との交流も自分なりに上手くできていたと思います。県庁に訪問した際の発言が富山新聞に掲載されるレベルです(自慢)

 

入ゼミ活動は、第一回ゼミ説明会の母集団形成があまりうまくいかず、苦労をしました。特に、オープンゼミや入ゼミ関連イベントの集客に苦心しました。日々続くオープンゼミ対応や入ゼミイベントの準備に忙殺され、あまり詳しくは覚えていませんが、最終的には選考倍率2倍の大台に乗ることができ、入ゼミ長の役割をまっとうできたかなと思います。

 

前述したとおり、3年次はサークル活動に全力を注いでいたので、とにかく忙しかったです。夏休みも、ほとんどないようなものでした。そんな中でもゼミ活動は、いろいろありながらも順風満帆だったと思います。色んな学びは確かにありましたが、とにかく楽しかったなぁという感想です。色んな事やりながら、ゼミ活動まで全力でやって、偉いなぁなんて自画自賛したりしていました。

 

4年次のゼミ活動はプロジェクト中心になりましたが、春祭りで25期全員を統率したり、サマフェスではシンポジウムに参加して他の大学の教授と交流を図るなど、よくやっていると思います。有志ディベート班で最終弁論も担当しましたし。(3年の活動に対して圧倒的な情報量のなさは自分でも感じています)あとはプロジェクト引継ぎの準備をしつつ、卒論を書き切るだけですね。

 

学びというか気づきというか

自分の欠点を一言で言い表すなら「慢心」だと思います。

 

冒頭のような自己顕示欲をはじめ、面接時に見せた根拠のない自信が最たる例です。病的な楽観主義・見通しの甘さもここに起因していると思っています。

 

恥ずかしいことに、自分のゼミ活動も「慢心」とともにあったと思います。

 

たとえば、入ゼミ活動。自分は「忙殺されていた間に、最終的には上手くいきました。」と結論付けました。

 

でも、実際どうなのでしょうか。

 

問題が起きているときに、何もしなくても最終的に上手くいくことなんてありません。

 

「忙しい自分」に自己陶酔していた時、入ゼミ係の誰かが進んで資料を作ってくれていました。「最終的には何とかなるだろう」と考えてほっといたゼミ説明会の段取りを、誰かがやってくれていました。自分にはできない苦手な分野だから、お願いしたらやってくれるから、自分は忙しいからと、いろんな理由を並べ立てて皆に負担を強いていたと思います。

 

なんとなくできたな、上手く事が運んでいるな、という経験の裏には、必ず周囲の人たちの我慢と支えがあります。順風満帆のように感じていた私のゼミ生活も、自分の慢心がゆえに気づけなかったような、大事な仕事を誰かがやってくれていたからなんだなと、本当に全て終わってから知りました。

 

「自分の不得意なことは、誰かの得意なこと。補いあうことで、チームで一つの大きなことを成し遂げることができる」という言葉は、一見素晴らしいチーム運営の言葉に聞こえますが、捉え方を誤ると危険だと思います。「得意なこと、できることだけやる」という姿勢を続けると、次第に「やりたいことだけやる」に変わりかねません。やらねばならない面倒なことを見落とすようになってしまいます。この言葉は、当たり前に皆が当事者意識を持って事に取り組んでいるという、大きな前提を孕んでいることに注意しなければいけないなと思いました。

 

終わりに

なんか暗いブログになってしまいましたね((笑))

 

独りよがりな懺悔をつらつらと書いてしまいましたが、これはこれで個性が出ていいんじゃないかなと思ってます。みんなきっと、成長とか思い出をいっぱい書いてくれていることでしょう。人と違うことをしたら上手くいくというゆがんだ成功体験が、ここでも顔を出しています(これでみんなこんな感じだったら恥ずかしいです)

 

実際、楽しかったこともいっぱいあったし、普段できない経験をたくさんさせていただいたので、ゼミ生活は大満足でした。こんなに素敵な環境を今日まで守り抜いていただいた牛島先生には本当に感謝しかありません。

 

私は、この視点を本当に遅くなってから気づき、改善することはできませんでした。誰に向けてでもないこんな独白が、反面教師として誰かの役に立つことを願っています。