22期振り返りブログ【てらさん編】最初で最後の恋文

幼いころから卒業文集などの文章を書くことが好きでした。書く前からある程度構想が決まり、書き始めると調子よくすらすらと書けたのです。しかし、今回の振り返りブログは全くというほど筆が進みません。何を書こうか、何から書こうか、悩んでいる間に提出締め切り日の夜になってしまいました。原因は明らかで、いまだ自分はバリバリ現役ゼミ員だという気持ちが強すぎるのだと思われます。まだゼミでやりたいことがある、まだあれもこれも成しえていない、そういった感情が「振り返る」という行為を妨害してくるのです。とはいえ卒業まであと4か月ほど。立つ鳥は少しずつ身辺整理をしていかないとですね。というわけで自分が牛ゼミ員として感じてきたことを記していこうと思います。2年生のための文章というよりは、将来の自分への備忘録のようなものになってしまうと思いますが、それでも少しでも何かのお役に立てれば幸いです。

後記:気が付いたら自分でも引くほど長い文章となってしまったので、よほどの暇人か変人でなければ、最後の~まとめ~のみ読んでいただければ、自分の伝えたいことの8割は伝わるかな、と思います(なら最初からまとめのみで良かったんじゃないかという声が聞こえそうですが無視します)。悪しからず。


自分が牛ゼミに所属して初めて立ち向かった難題は何だったか。それは「自己紹介」でした。牛ゼミに入ると一番初めのゼミ活動で、1分間きっちりと計られる自己紹介を行います。自己紹介に苦手意識を持つ私はそこで「いやぁ、自分でも自分のことが他人様に紹介できるほど理解できてないんすよね。だから、皆さん一人一人と交流していく中で皆さんなりの寺門像を作り上げていってください」みたいなことを言って逃れた記憶があります。思えば、その言葉にその後のすべてのゼミ活動や、ゼミ員との触れ合いのテーマがあったような気がします。自分にとって牛ゼミとは、今まで理解できていなかった『自分』を見つけていく、あるいは作っていくような場でした。では、どのような過程を経て私は自分と向き合い、変化してきたのか。「牛ゼミにいたからこそ」こんな自分に気づいた、こんな自分になった、と言えるような大きな要因が3つあります。

①ディベート

1つ目が牛ゼミ3本柱の一つであるディベートです。そもそも私が牛ゼミに入ろうと決意したのは、ディベート見学会に参加した時でした。内容は全くわからないものの、ものすごい速さで展開されていく議論、白熱する言い合い、堂々たる発表、そのすべてに胸打ち震わせ、自分もこんなディベートができるようになってみたい!!と心から感じたのを覚えています。そして晴れて牛ゼミに入り、実際にディベートが始まると、最初に覚えたのは手応えでした。舌先三寸ペラペラ人間の自分は、何を言われても何かを言い返すという部分に比較優位があり、割と早い段階から「何かを言える人間」ではあったのです。そこで調子に乗った自分は、渋沢杯というディベートの大会に出ることを選択したうえで、大会2連覇中の関西学院大学との対戦を望み、結果として対関学班のメンバーに入れてもらいました(わがまま言ってすみませんでした)。そこから迎えるのは、ディベート準備に追われる日常。どうすればチームとして勝つことができるか、どうすればチーム皆がモチベーションを保ちながら当日まで駆け抜けられるか。そして何より誰よりもテーマに詳しくなることができるか。日々「脱炭素化は日本経済にプラスである」というテーマを否定することだけを考える毎日を過ごし、パソコンで「d」と打ち込むと「脱炭素 悪影響」と勝手に変換され、スマホで「た」と打つと「脱炭素 経済」と変換される変態デバイスを手に入れるようになったころ、渋沢杯本番を迎えました。しかし、そこで迎えたのは、敗北。伝えたいことは伝えられた、やりたいことはできたような気がする。内容では勝ったのではないかという手ごたえもあった。でも負けた。その事実が自分には信じられないほど重く降りかかり、帰り道では自然と悔し涙が零れ落ちていきました。今までの人生で一二を争う悔しさを味わうこととなったのです。自分が主導して設計した戦略、今まで準備してきたことはすべて無駄であった。結果がすべて。勝った肯定班に申し訳なさすぎる。そして何より同じ否定班のメンバーに合わせられる顔が無い。渋沢杯が終わってしばらくはそのような思考が頭を渦巻いていました。しかし、そんなある日気が付いたのです。自分の思考は独りよがりになっていると。そもそも、「自分が」考えた戦略ではなく「チームで」作り上げた戦略だったはず。「自分が」率いたのではなく、「みんなで」切磋琢磨してここまで来たはず。あれ?俺はいつの間にか自分が自分がと自己中心的に考えるようになってしまっていたのではないか。自分はディベートが得意である、といううぬぼれから責任感と過剰な自意識が混同してしまっているのではないかと。こうした思考のムラに自ら気づくことができたのは間違いなく、本気でディベートと向き合ったうえで本気で悔しい経験をしたからであり、少なくとも今までの大学生活では得難いものであったな、と感じています。


~否定班との時間はいつも一瞬~

また、1年と半年にわたるディベート活動は大きな副産物を私にもたらしてくれました(もしかしたら本来こちらがメインなのかもしれません)。それは「社会を測るものさし」です。牛ゼミに入ってから相対したディベートのテーマは3つ、「雇用・労働の規制緩和推進は日本経済にとってプラスである」「脱炭素化を推進することは日本経済にとってプラスである」「日本銀行の量的質的金融緩和政策は日本経済にとってプラスであった」でした。そしてこれらのテーマのすべてが、実際に現代日本社会が対峙している問題であり、今後の日本経済に大きな影響を与えていくものでありながら、不勉強な私はディベートでこれらのテーマに触れるまで全くと言っていいほど何も知りませんでした。しかし、ディベートを乗り越えた今の私は、テレビで「日銀の金融政策が~~」や「政府は脱炭素化戦略の一環として~~」といった音声が聞こえるたびに、むっ、何が起きたんだ、と興味を抱くようになり、これらのテーマに関しては新聞記事などを読んでもある程度の中身が理解できるようになりました。さらには、肯定側と否定側の意見双方の理解を深めたことにより、じゃあ自分はどう考えているのか、ということがより整然と整理できるようになり、自分なりの社会を見る目を養うことができたと感じています。これはまさに、牛ゼミという本気でディベートに取り組める環境が私にもたらしてくれた「ものさし」であり、社会に出る前に得られた大きな武器であると思います。

②ソーシャルプロジェクト

2つ目はこれまた牛ゼミ3本柱の一つであるソーシャルプロジェクトです。牛ゼミには現在トガプロ、めぐるめ、ユニタメという3つのソーシャルプロジェクトがありますが、私はそのうちのユニタメに所属しています。なぜ、ユニタメに入ったかに関しては、当時の自分が赤裸々に語った文章があるので、ここでは割愛しようと思います。4年生になってからもユニタメは鋭意活動継続中であり中々今取り組んでいることを振り返るのは難しいので、ここでは主に3年時の活動を顧みていこうかと思います。

ユニタメは22期がゼミに加わるタイミングで前身のユニスポから新たに生まれ変わり発足したプロジェクトであり、何を行うかに関してはほぼ何も決まっていない状態でプロジェクト活動がスタートしました。今振り返ってみても、3年の春学期で印象に残っているのは「ユニタメ」という名称やロゴを皆で考えたことくらいしかありません。活動理念を固めていく作業としてこれはこれで非常に面白く貴重な経験ではあったのですが、「社会」とのつながりはほぼなかったのです。そんな当時のユニタメにとって一番大きな問題となっていたのは、1年間で活動の軸を作れるか否かでした。トガプロやめぐるめはすでに相手先との関係を構築したフィールドが存在していたのに対してユニタメにはそれが全く無かったためです。ピカピカの牛ゼミ1年生だった自分は、それってつまりなんでもできるってことじゃん!と鼻息荒く目を輝かせていました。実際、なんでもできたのです。しかし1年間の活動を通じて「なんでもできる」ことの難しさを痛感することになりました。どういうことか。ソーシャルプロジェクトはその名の通り、社会課題解決に対して学生が2年間の活動でどのようにアプローチできるか、を切り詰めていく活動です。なので、新しいことを始めようとすれば当たり前ですがまず、社会との接点を作ることから始めないとなりません。ユニタメはそこで、アースフレンズ東京ZというBリーグ所属のプロバスケットボールチームとの関係構築に努めました。この、一から始める関係構築というのが、本当に大変だった。相手は社会人であり、一企業です。いくら学生団体とはいえ、相手からすると関わるメリット、そして熱意が感じられなければ見向きもされません。どうしたら先方に興味を持ってもらえるか、同じ視点で一緒に活動していけるか。考えれば考えるほど煮詰まっていく中で一筋の光をもたらしてくれたものがありました。それは「足」です。実際にチームのホームタウンの蒲田に足を運び、街の人にインタビューを行う。区役所の方にお話を伺う。アースフレンズの試合に行き、実際に自分が観客になる。今度は試合の運営を手伝ってみる。いろんな人の視点で実際にチームや地域と関わってみる。そうすることで朧気ながら見えてきた課題は、チームや地域に根差すリアルなものとなるのです。足しげく蒲田に通い続け、得られた声や情報をもとにチームの代表とミーティングを繰り返す。夏から秋はこの繰り返しでした。そうして迎えた初冬、チームの代表から会食を持ち掛けられました。そこで、アースフレンズとユニタメで今後継続的にかかわっていけないか、と先方より打診があったのです。活動の軸が見つかった、自分たちの思いが届いた、そして社会とつながれるまで課題と向き合えた確証を得られた、すべてが報われた瞬間でした。あくまでこれはソーシャルプロジェクトとしてのスタートラインに立てたということでしかありません。しかし、その達成感は忘れられない感覚となり刻み込まれています。よく「営業は足で稼げ」というようなワードを耳にすることがあります。皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。自分は今までそうした言葉に対して、飛び込み営業とか、断られても粘り続ける、みたいな若干の負のイメージを持っていました。しかし、ユニタメでの活動を通して「足」の重要性というのは、実際に自分の目で見る、現地の人の声を聴いてみることで会議ばかりでは机上の空論となってしまうところをカバーする、という点にあることにあるのだなと認識の変化が生じました。学びの場が教室だけに収まらないのは牛ゼミならではのことなのかなと感じています。そこからの活動も振り返っていきたいのですが、これはすでにユニタメのnote記事に先輩や同期がまとめてくださっているので興味がある方はそちらをご覧いただければと思います。


~蒲田に愛着が湧いてきた頃~

少しだけ2年生に向けて宣伝させてください。ユニタメプロジェクトは、歴が浅くあまり2年生に知られていないのですが、多様な関係者とつながることができ、自分の「好き」を直接社会課題解決と結び付けられる喜びがあります。その分上に書いたような難しさ、もどかしさを感じることも多いですが、自らの新たな価値観形成という点でも必ず何か刺激を得られるプロジェクトです。実際自分も今まで全く興味がなかったバスケが、今では少しずつBリーグやNBAをチェックするほどの自分の趣味の一つになるなど、新たな趣味を見つけるきっかけにもなると思います。

③ゼミ代表としての経験

3つ目は3年秋から4年秋まで務めたゼミ代表という役割についてです。代表として感じたこと、意識していたことを自ら語るのは気が引けるのですが(恥ずかしいから)、ゼミ活動を振り返るうえで避けては通れないものだと感じるのでこの機会に記しておこうと思います。正直なところ、ゼミ代表に選ばれたときは心の底から嫌で嫌でたまりませんでした。理由は2つあり、そもそも自分は陰でこそこそ気ままにしていたいタイプであったことと、大好きな牛ゼミが自分の代でぐちゃぐちゃになってしまったらどうしようという恐怖にさいなまれたためでした。高校時代に野球部部長となるも、公式戦で1勝もあげられなかった経験により、組織を率いる側に立つことへのトラウマを抱えていたのです。しかし、こうした恐れはすぐに消えてなくなりました。自分一人の力でぐちゃぐちゃにできるほどやわなゼミではない、ということに気づいたためです。牛ゼミは人数もグループワークも多い分、様々な意見や考え方に触れる機会が多いです。本当に様々なのですが、一つだけ共通点があると思います。それは牛ゼミが掲げている「Something New, Creative First」に裏打ちされた「want」と「根拠」がはっきりしているということです。牛ゼミ員と話していると、何か新しいこんなことがしたい!そのためにまずこういうことをしなきゃ!が明確にある人が非常に多いとよく感じます。そんな人たちに囲まれた環境であるからこそ、もし自分がよれても誰かが軌道修正してくれると信じて気楽に代表という言葉と向き合えるようになったのです。はたから見ればだらしなく、ふがいない代表だったと思います、ごめんなさい。だからといって少なくとも自分の中ではゼミ代表という責任を放棄したわけではなかったんです(ここからは言い訳)。恵まれた環境にいるからこそ、何かすごいリーダーシップを発揮できるわけではなくとも、この環境を維持することに全力を尽くそうと考えられるようになったのです。そこからは、全ゼミ員がゼミ活動を通じて何か思ったこと、言いたいことを1人で抱え込まないように、少なくともゼミ員の誰かにはなんでも打ち明けられるような環境を整えるよう意識的に動いてきたつもりです。あの手この手でいろんな人の考えを聞いて回ったと思います。時には執拗に飲みに誘ったりしてすみませんでした。その結果、というわけではないでしょうが、大好きな牛ゼミならではの雰囲気をなんとか引き継いでいくことはできたかな、と少しだけ自負しています。本当に信頼できる、大好きという言葉では足りないほど愛している同期に恵まれたからこそ、自分にできることが明確に見え、組織を率いる立場にいることへの抵抗も少しは軽減されたような気がします。どんなに感謝してもしきれません。このような変化は牛ゼミでなかったら絶対に生じていなかったと胸張って言えます。


~受け継がれていく牛ゼミイズム~


~まとめ~
さて、あまりにも長くなってしまいました。本当はもっともっと書きたいこと、伝えたいことが山ほどあるのですがまとめていきます。まとめだけ読んでいるそこのあなた、スクロールお疲れさまでした。まとめだけでも読んでくれてありがとうございます。

牛ゼミで過ごした2年間弱は、間違いなく今までの人生で一番自分に変化をもたらした期間でした。それは、牛ゼミの誇る「Something New, Creative First」の理念を体現するような大量のゼミ員に囲まれ、何一つ妥協することなくみんなで何十個もの活動に従事することで、今までやったことないことや、知らなかったことに触れ続け、新しい自分に気づく機会が大量にあったためです。これこそが牛ゼミの良さであり、2年生に伝えるべきことなのかなと思いつつ、実は今、少しだけ違和感を抱いています。今までの文章を通じて自分は「変化」とは書いたものの「成長」とは書けていません。書けませんでした。なぜなら、上に書いてきたような「変化」はまだ何の成果ももたらしていなく、「成長」として実感できていないからです。私たちはもう少ししたら社会の荒波に放り出されます(無事に卒業できれば、ですが)。そこで牛ゼミで得たものが活きて初めて、「成長」を実感するのでしょう。ですが活かすも殺すも自分次第。2年生に対し諸手を挙げて進研ゼミのように「入れば必ず成長できる!!」とは自分は言えません。

しかし、これだけは確実に言えます。

牛ゼミに入ると、
常に背中を見せ続けてくれる個性豊かで温かい先輩、
愉快でパワフルで気兼ねなくしゃべってくれる後輩、
本当に困ったときにそっと背中を押してくださる先生、
そして何より、何事にも本気で取り組み、一緒に泣いたり笑ったりふざけたり怒ったりしあえる同期たち、
かけがえのない素敵な仲間と出会えます。
それ以上にいったい何が必要でしょうか?

私は牛ゼミが大好きです。

ここまで読んでくれた2年生のうちの1人でも、いつかOBとなった自分に「牛ゼミ員」として思ったこと、感じたこと、「牛ゼミへの愛」を伝えてくれるとそれ以上の幸せはありません。