ディベート振り返り-4年生の視点-

4年生にもディベートの記事を書いてほしいといわれたので、書きます。去年は最終弁論を担当したあつよしです。

「まずは自分たちで考えてみたらどうですか」

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何かを尋ねたときに先生がよく仰る言葉だ。訊いている方はわからないから訊いているのだが、世知辛い。ともかく、この「まずは」というところが肝だと思う。

「守破離」という言葉をご存じだろうか。最初は先輩・先生のやり方・考えを引き継いでから、従来の方法への批判をもとに新たな方法を生み出していく。私はゼミの2年間という短い時間で成長するには、この守破離が必要だと感じている。

今年のディベートではそれがうまくできていた。毎年の如く、ディベートの主張の立て方、戦略の組み方に悩んでいたのだが、自分たちで考えた結論を先達にぶつけていた。

 

後輩「最終弁論では最初に立論のおさらいを入れた方がいいですよね?」

私 「ゲームの最初に立論発表があるし、ジャッジもわかっているから時間がもったいないんじゃないか」

後輩「じゃあフリーディスカッションの論点ごとに、最初に自分と相手のスタンスをおさらいするなら、議論の構造を把握させやすいですよね」

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毎年同じことの繰り返し、先輩の追体験というのはもったいない。年度が終わったら0にリセットするのではなくて、毎年、前年の続きから変わっていってほしい。だから「まずは」自分で考えて、それを先輩や先生にぶつけて磨いて欲しいのだ。

では、去年より成長している能力は何だろう。それは、私から見たら次のようなことだ。制約下で効率的に目的を果たす能力「戦略的思考」、提案や譲歩、説得によって合意をつくる能力「交渉力」などだ。

これまで「論理的思考」「批判的思考」というレベルで終始していたことと比べると、一段、牛島ゼミのディベートのレベルが上がったといえるのではないだろうか。個人的には、ゲームコントロール力(思い通りの論点に留まらせる能力、サッカーでいうボールを持つ力)なんてのもあると思う。

ジャッジの苦い顔とにやけた頷き

ディベートとは、結局、双方のためになる合意を得られたら勝てるものだ、というのが最近の牛島ゼミの感覚だと思う。これはひとつの面白い答えだ。なぜなら、ディベートの最重要な視点「誰に訴えたらいいか」というところに直結するからだ。

 

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今回は初めてジャッジの顔をずーっとみていた。ジャッジも生き物で、すぐ顔にでるみたいだ。中立なはずのジャッジが意外にうなずいたりもする。無理やり自分のペースにしようと「議論が煮詰まってきたので次の論点に…」と発言したくだりでは口をぽかんとあけてあきれ顔をしたりしていた。

おもしろい。例えばこれが営業で、うちの提案がいいか、あそこの会社の提案がいいかといったら、お客さんの顔をみながら訴えるだろう。判断するのはお客さん。「肯定側否定側で勝手な決着をつけないでほしい」とジャッジは思うかもしれない。

お互いのアヤシイところを正し、認め合っている部分を確認し、整理して新たな提案をする。誠実に議論したらそんな感じになりそうだ。肯定側否定側が協力してひとつの結論を出す。その結論をジャッジに提案する。個人的にはこういうディベートがみてみたい。

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ゲームとしてひとつの結論をだせば「A社かB社か」ではなく一歩先の「第三の案」を出せる。これをディベートでできるとかっこいいのだろうと思う。ただの「妥協案」で落ち着くのではなく、双方とも第三の案を目指すのが大事だ。

肯定と否定という対立構造からのアウフヘーベン。

「自分よし、相手よし、ジャッジよし」の三方よしだ。

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来年のきみたちにはこれを勝手に期待する。

牛島ゼミ15期 4年

あつよし