【牛の放牧合宿・対談SP・第一弾】 ~写真家・飯田裕子さん編~

牛島ゼミってどんな合宿しているのかな?
ゼミ選び真っただ中の2年生へ向けて、3年生(18期)合宿係が牛ゼミの合宿を説明いたしましょう!!

牛ゼミ合宿は、「2泊3日のワークショップを設計する」というコンセプトで合宿係がゼロベースでテーマや企画を立て、運営を行います。テーマも自由!その期毎の合宿係が、毎年決めています!近年の合宿では、ゼミのプロジェクトの一つであるトガプロでお世話になっている、富山県南砺市利賀村を舞台に行われていました。しかし今年の新しい試みとして、利賀村以外の場所で行うことに…

そして今回合宿地として選んだのは、都会から近い田舎、千葉県房総半島。
ゼミ員がツアーを立案し、実際にそのツアーに行ってみるという企画。ゼミ員が、房総半島へ放たれるということから、題して!!
『牛の放牧合宿2018~GyuGyuっと房総詰め込みました~』
割と自信のあるタイトルで、18期合宿係一同即決で決まりました(笑)

今回の合宿では、それぞれのツアー内で、合宿地の房総半島で活躍されてる方々のお話を聞き、対談記事を書く企画を立てました!房総半島で精力的に活動されている方々はどんなことを思い、活動しているのでしょうか。多くの面白い取り組みをされている方々ばかりで、とても面白い内容になっております!ぜひご覧ください!

シリーズの1回目は,18年前に千葉県南房総市富山地区(旧富山町岩井町)に移住した写真家の飯田裕子さん編です!なんと!この記事のために、飯田さんご自身でとったお写真を使わせていただきました!それではお楽しみください!!どうぞ!!

*なお、インタビューの形式に関しては、それぞれの班にお任せしています。

 

 

〈写真を始めたきっかけ〉

「1980年代は写真学科の女子学生は1割しかいなかったんです」

 

高校時代はバンドに打ち込んでいた飯田さん。高校生バンドながら、ライブへの出場を果たし、レコード会社からデビューを持ちかけられていた。しかし、子供の将来を案じる親の猛反対でバンドの道を断念したという。

 

その後飯田さんは、音楽以外で何かを「表現」する別の道を探し始める。

当時はカメラや写真に関心を持つ女性はまだまだ少なく,飯田さん自身も特別カメラに興味があったわけではなかった。しかし,バンドでの経験を経て「1人でも表現できる手法である写真を選択した。大学受験までは時間がなかったが、猛勉強の末,まだ女子学生が少なかった日本大学芸術学部写真学科へと進学する。

 

「2年までは大学、専攻を変えようかと思っていました」

その理由は、新しく希望をもって始めた写真だったが、入学後は今のように簡易に撮影できるデジタルもない時代であり、初めて使う大型カメラの操作や暗室作業、科学や光学の授業など、創造的な授業より技術的な基礎授業に重きが置かれたいたため、宿題をやり遂げるにも困難を極めた。高校時代に感じていた表現の高揚感を感じることもできず悩んでいたという。そんな飯田さんに転機が訪れたのは大学3年生の時、恩師三木淳先生との出会いである。三木先生はアメリカの雑誌LIFEにおいて、吉田茂元首相のポートレイトで表紙を飾り、サンフランシスコ条約にも貢献したとされる慶応大出身の国際的なフォトジャーナリストだった。彼のゼミ授業との出会いが飯田さんの写真に対する姿勢を変えた。

 

「自分が感動して撮ったものは伝わるんだと実感したんですよ」

入学以来、課題の写真を提出する度に再撮影や再プリントを求められるなど、ほぼ褒められたこともなかった飯田さんは、二十歳の記念にハワイに旅に出た。そして、学校では白黒の授業しかなかった時代、初めてカラーフイルムのコダクローム35mmを一眼レフのニコンF2に込めてハワイの光溢れる海やモチーフを写真に収めた。「初めて感じた撮影の高揚感を胸に三木淳先生に写真を見せると、これはいい!と言って数点その中から選んでくださいました。そして、この感覚のまま撮影を続けて毎回ゼミの時に持って来なさい」と言われたという。飯田さんの写真が初めて見出された瞬間であった。在学以来、初めての高評価を受けた飯田さんは写真の面白さに没頭し、卒業すぐ後にはハワイはじめ、海をモチーフにした写真展「海からの便り」を新宿ニコンサロンで開くこととなった。

 

〈世界中を撮り歩くフォトジャーナリストに〉

初めて写真に目覚めたのは大学時代のハワイだが、海外へはすでに高校時代にカナダのブリティッシュコロンビア大学で3週間の滞在を経験していた。大学入学以降は、80年から90年代まで海外へと向かう。当時は東西の思想的な分裂もあり、まだ海外情報も豊富でなかったが、中国のシルクロード奥地やポリネシアなど太平洋の辺境の島々までカメラ持って取材撮影を続けている。

「実際に見ることでイメージが変わってきました」

 

北米の南西部砂漠を撮影するために旅した飯田さんは、ネイティブ・アメリカンに対する差別に違和感を覚える。例えば、白人はインディアンと関わりを持つな、という。初めはよくわからないまま言われる通りにしていたが、その違和感を発端に、逆にネイティブ・アメリカン側に興味を持つに至る。実際に彼らの村へ入り、取材をしながら接すると、聴いていた印象とは異なることがわかった。さらに彼らの文化を学んで行くと、深い自然と共存する知恵が見えてきた。飯田さんが世界を巡る契機となったのはそんな誤解と理解の埋め合わせ作業なのだった。

そのほかにも、冷戦下の中国の未開放地域、ベルリンの壁崩壊前の東ベルリンも訪れた。その視線の先には必ず「メディアが取り上げない普通の人々の営み」がある。メディアで伝えられる内容と地域の実状との乖離を減らすべく、フォトジャーナリストとして取材、撮影を積み重ねていった。

 

<岩井に辿り着いた経緯+写真的魅力>

「土着感」とでもいうべきものが飯田さん自身の中に欠けている感覚だと気付いたのは、ポリネシアでの取材がきっかけだった。

「遠洋航海カヌーの取材している時に、現地の人に頼まれて、フランスのタヒチ核実験に反対するために、女性だけで静かに伝えてゆく社会運動に参加することになったんです。並行して日本人考古学者のタヒチでの発掘も撮影取材していましたので、ポリネシア人との付き合いを深めるうち、海と共に生きてきた民族の事を自分は本当に理解できているのだろうか?と。自分は土着的な感覚をわかっているんだろうか、という気持ちになったんです。」

 

観光だけでは理解できない、その地域に根付く価値観や雰囲気を自身が感じ取れるようにしなければ写真はうわべだけのものになりかねない。それは恩師三木淳氏が常に言っていた事だった。ポリネシアの島から帰国したのち、飯田さんは当時拠点にしていた東京を離れることを選択した。そして1999年、偶然にも南房総の岩井海岸という場所との縁がやってきた。

「両親の実家に帰っていた時、このマンションが空いているというFAXが偶然届いたんです。そこで、アクアラインもできたし家族でどんなところか見に行ってみようよ、という安易な気持ちで最初は訪れました。」しかし、出会いは偶然ではなく必然であると直感したという。

「実際に岩井に来ると、山がありそこから川が流れ、小さな平地を潤し、海へつながる。海は湾になり、遠浅な砂浜がある。それはポリネシアやハワイの人々が理想とする地形そのものだったのです。」

 

岩井地区は江戸時代の名著、南総里見八犬伝の八犬士が出現し終焉を迎えた南房総一の高い山、富山(とみさん)を中心に、ぐるりと低い山に囲まれた小さな平野と3キロに及ぶ弓形の海岸がある。照葉樹が覆う山の空気と西か吹いている風は、東京から1時間半という距離ではあるが、温暖な気候に恵まれた地域。その海と山をつなぐ中心的な場所に建つリゾートマンションが飯田さんの拠点だ。東の山から太陽も月も昇り、西の海へ沈む。海の向こうには富士山や伊豆半島、大島も見える。透明度の高い遠浅の海では、毎年多くの都市部の子供たちが臨海学校に訪れ、海水浴客をも惹きつける。普段は静かな内房の海だが、時には良い波が寄せ、サーファーたちも増加している。

 

「私は写真を撮るときに、地域の特性をキーワード化してみます。言葉にすることで一度客観的に理解できるのです。南房総の言葉は「柔らかさ」ですかね。この地域は昔は安房の国と呼ばれていました。「アワ」という言葉の響きのように、太陽からの光や海の波がとても淡くて柔らかいんです。沖縄のようにコントラストが強い光ではなく。」

今年で18年目となる南房総での生活。飯田さんが撮られた岩井地区の写真のすべてにゆったりした時間とその柔らかさを感じ取ることができた。

 

 

<暮らす魅力>

飯田さんのマンションからは、海や山、そして田畑を見渡すことができる。

「ここでは自分が食べているものを作っているところを見ることができるんです。」

沖には漁船が行き交い、毎朝新鮮な魚や貝が水揚げされている。私たちがご自宅を訪れた時期には,一面に広がる田んぼに、まだ刈られる前の稲穂が風に揺れていた。近くにある牧場で搾りたての牛乳をもらうこともあるという。

「ここでは、食に関して全て見える範囲にある。そういういう安心感があります。ほっとする場所です。」

飯田さんにとって岩井地区は、人間の暮らしの基本をしっかりと感じ取ることができる場所であった。

 

<今後の展望>

最後に今後の展望について伺った。

飯田さんは現在新潟県三条市と千葉県南房総市の二拠点生活を行っている。南房総のほっとする雰囲気も、三条の雪景色にもポテンシャルを感じているという。全く対極の二拠点の暮らしを楽しんでいるそうだ。

「それぞれの場所の魅力、いままで自分が見てきたことや感じたこと、取材を通じて得た知恵を伝えて、次の世代にバトンタッチしたいです。」

今までは撮ることがメインであったが、今後は今まで撮ってきた写真を使い、アウトプットすることに重点を置きたいという。

「皆さんにも、何を知らないのか、どんなことに興味があるのかを聞きながら、伝えていきたいです。」

 

***

 

町の中の様々な風景を切り取り、感じたことを表現するフォトグラファー。

飯田さんは、その土地の魅力を存分に知った上で、写真を撮っていることが印象的でした。写真を見せながら地域の魅力を語る飯田さんの目は輝いており、岩井のことを心から愛しており、その魅力を伝えたいという情熱を感じました。飯田さんの撮る写真から伝わる、岩井のやわらかな魅力を、私達も合宿の中で感じ取ることができました。