【13期ゼミの振返り「もっと不器用になりたい!」−長村編−】

もっと不器用になりたい!

こんにちは、13期の長村です。
さぁて、いよいよ13期の振り返りも終盤に差し掛かってきたところでしょうか。

同期がそれぞれ想い想いに活動を振り返ってきていると思いますが、私は他の人とはちょっと違うゼミの振り返りを。なんとなく三田の2年間を語りがちだと思うのですが、私は“大学生活4年間のReflection”を綴っていければと思います。

突然ですが、三浦しをんの『舟を編む』という本をご存知でしょうか?
“馬締”という不器用で、見た目もイカしてない人間が、困難の多い新規の辞書編纂の中心的役割を担い、部署の仲間とともに見事達成するというお話。

周りの登場人物は、そんな不器用な人間を離れて見下しつつも、馬締の辞書への一生懸命な姿勢に何か羨ましさを感じ、巻き込まれていくのです。(三浦しをんの作品はそういう物語が多く、最近のお気に入りです!)

慶應の人は馬締とは真逆。“器用に上手く乗り切れる人”が多いこと。
入学当初から、「みんな器用に大学受験を乗り越えてきたのかなぁ」と、よく感じることが多かったですね。

“人一倍に死ぬ気で勉強してきた人”というよりかは“要領よく事を進めていける器用さがある人”って感じ。(だからテストは一夜漬けでも出来ちゃうとか、就活は普段とスイッチを変えたように振る舞えちゃうとか。笑)

そして私も人のことは言えず、、、

どちらかと言えば器用側の人として、特に人一倍頑張ったわけでもないのですが、高校で成績優秀賞を修め、慶應に入学でき、日吉キャンパス時代までを歩んできたように思えます。

ながむーさん1

そんな中で牛島ゼミの活動では、一つのディベートのテーマを5ヶ月も考えたり、三田論は何回もぐるぐる問題提起と仮説を行き来したり、気が付いたら15回も謎のパワーを持つ限界集落・利賀村に行っていたり…

熱いゼミ生同士で議論するからか、物事1つ1つへのこだわりがあって、電車に揺られている時も、深夜の学習机でも、一人でぼけぇーっと考え悩むことが多くなったかもしれません。(あまり意見を言うのが得意ではなかった分、家に持ち帰ってよく考えていました。)

考えるのが楽しいようで辛いようで。ちょっと白髪増えました。
(一番長く考えたのは利賀村の魅力かなぁ。“自然”とか“人の優しさ”が魅力とか言うのは、まだまだ浅い言葉だなぁーみたいな笑。)

感覚で言うと、今までなんとなく考えないで周りのペースにのみこまれてすいすい進んでいたものが、あえて一歩遅らせているorいつの間にか遅れているような、不器用になった感覚です。変かな?

(ゼミの活動の中でも、一人でやっていたケーリサとか卒論は、結構すいすいやってしまった感もありますが…)プロジェクトとかで何気ない時にふと降ってきた興味のあるお題は、なぜかずっと掘ってましたね。笑

そんな牛島ゼミの活動は、外部の人には客観的に「なんでそんなことに力入れてるの?笑」とみられることがよくあります。

ただ、そういう人に限って、「大学生活、遊んでないで一生懸命なんかやればよかったなぁ。」と過去を振り返って、言っていたりして。

器用で簡単に物事が片付く分、器用貧乏が陥りがちな“頑張ったことがない”

だからこそ私は4年でもプロジェクトに2つ入りました。(富山を好きになってしまったということもありますが、笑)

そしてテスト明けの最後の春休みも、なんだかんだ牛島ゼミのプロジェクトをやっていました。(テレビ・新聞に掲載されたのは良い思い出!)

なるべくゼミを利用して“自分のものにする”ために。
きっと将来、大学生活を振り返った時には後悔しないように。

今でも後悔の念がないわけではないですが、比較的牛島ゼミの活動にはまんべんなく最後まで一生懸命になれたように思えます。
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主体的な人間。イベントに参加、意見を交わす、企画運営に携わる、自分で企画する。
より高度に行動を求めていく自分がいました。

頭が固い私にとっては、ゼミのテーマCreative(面白いことをみつける、起こすこと)が本当に難しい。ですが今後もチャレンジしていくつもりです。

あんまり上から言える立場ではないですが、、、
牛島ゼミの後輩へ

大学教育界で、あれこれ試行錯誤、チャレンジをし続ける先生の越境カリキュラム。
後悔のないように存分に利用して学んでいってください。

“考える力”とか、“意見を言う力”は大切で、ゼミで意識して成長できます。
それを踏まえて、一歩引いているのではなく“じゃあ自分はどう行動したら良いのか?”という自分事の意識も忘れずに。

私の理想像でもありますが、こんな主体的な意思を持って!牛島ゼミで活躍していってください!
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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