こんにちは!16期のひらきです。
「面白い人になる」ってのがゼミに入った当初の隠れ目標だったわけですが、それがいよいよ卒業というこの時期になって、全く達成されていないことに気づきました。
1.目標と失敗
そもそも「面白い人」とはなんなのか。僕なりの定義で言うと、いつでも笑っている人で、笑わせられる人かなと。笑顔って素敵だなって思うわけです。
それで、他人を笑顔にできたらな〜なんてことを考えたりするのですが、大抵この試みは失敗しています。自分が笑い続けることにも失敗しています。
そんな風に思うから、小説書きたいって言っていたり書いてみたり、動画作ったり、ちょっとしたイベントで出し物してみたり、バカでい続けたりとするわけですね。
でも結局根っからのエンターテイナーには全然敵わないし、場を白けさせることもしょっちゅうで、なんなら何も手を出せずに終わることも多々あります。その時に感じるのは、〈悔しさ〉よりも、冷静な〈努力不足の認識〉なんですよね、なぜか。
あ、これはゼミの振り返りブログです。安心してください、振り返りますよ。てか振り返っていますよ。
別にゼミって、勉強だけする場ではないと思うし、ゼミで決められたことだけする場でもないし、ゼミのメンバーと何かしなきゃいけない場でもないと思っています。それをやりたいと思ったらやるって感じで。だからゼミで何かしてこういう風に変わったよっていうブログにはなりません。だけど、牛ゼミである意味はあるのかなと。
なんていうか牛ゼミのみんなってまじまじと成長を見せつけてくるんですよ。ってことで僕だってそんなゼミの一員なんだから、何かしら成長はしていると思うわけですが、自分が求めている成長ってのが曲者なのです。
話を戻すと、「面白い人になる」っていう方向の成長を一切果たせてないんですね、僕。
2.努力
さて、〈悔しさ〉よりも〈努力不足の認識〉と書きました。いやもちろん、悔しさもあるんですよ。でも、それよりもその何か(面白いと思ってやろうとしたこと)を考えた時の思考と準備に圧倒的に問題があるってのが先にきちゃって。だから悔しがるのもおこがましいなって思ってしまうのです。
努力不足って、要するに努力してないってことですからね。野球の王監督だったりキンコン西野が言っていたりします。
「努力は必ず報われる。報われない努力があるとすれば、それは努力とは呼ばない」
例えばコントを作ってみた時、本当にそのやりとりは面白いのかを検証してなかったし、そもそも王道を知らないで勝手に想像して作っていただけだよねってなったし。
例えば出し物をしてみた時、何かの真似なら完コピしろよとか、単純にもっと練習したら?とか。
例えば例えば、きりがない。
もっとしっかりと追求したら?って過去の自分にブチギレる。
3.なんとなく、前進
ここまで言って、結局ダメダメだったっていう風にブログを終わらせちゃうのは何も得られないので、自分で自分をフォローします。
面白い人にはなれなかったけど、なるための道筋はわりかしできてきたのかなと。
どういう努力をすべきかもだんだんわかってきたし、何を準備すればいいかの想像力も養われてきました。
あと大きいのが、ゼミっていう高密度な集団に属しているせいか、嫌が応にも大好きな人間ってできてくるんです。だいたい全体の1割くらい?それだけいたら多いんですかね。全体的にゼミの中の人らは好きで、特にその中の1割くらいが大好き。このブログってゼミ員も見るかもだから申し訳ないなって思いながらも書いてます。
まあでも、みんなそんなもんだよね。
それでその大好きな人らを笑わせたいなって思うし、一緒に笑っていきたいなってなっているんです。もう完全に自己満足なんですけど、それが糧だなと。すっごく感謝しているやつらがいるんですよ、僕的には。だから感謝は形にして、そいつらに返さなきゃなと思っています。できれば一緒に笑うって形で返したいなあ。
もしかしたらこの2年は、そんなやつらと出会えたことが一番の収穫だったのかもです。
何も達成してないように思うけど、今後どっかで、その達成してない何がしかの全てが化けてくれたらなと思います。
振り返りでしたが、2年間こういうことがあった、というよりは、こういう失敗があったから今後に繋げるよ、一生繋げていくよっていう話でした。
努力しないと。
長々とごめんなさい!読んでくれてありがとうございました!
ひらき。