【14期ゼミの振返り「出席カードの裏のメモ書きみたいなもの」−福田編−】

離れない。どうしても耳に残る。ずっと前に言われた言葉なのに、まるで今さっき掛けられた言葉のように体全体にぶら下がる。思わずはっとして、夜も眠れなくなる。

そういうものってあるでしょう。

遡る、2014年。7月21日の夜更け。
先生から来たラインのメッセージ。

「誰かに繋いでもらった縁は次の誰かに繋げることを心がけてみて下さい」

ああ、思い出す。これだと思った。何回この言葉を反芻してゼミ生活を送ってきただろう。

福田写真①

ここまで、あまりにも興奮したため名乗ることを忘れてしまっていました。ごめんなさい。

14期のせいたろーと言います。そしてもう一つ謝りたいです。このブログを何かしらの参考にしようとして、読んでくれている2年生のみなさん。以下にアドバイスと呼べるものはないかもしれないです。あるのは、2年間を牛島ゼミで過ごした僕が「これからどう生きたいか」を考えるメモ書きみたいなものです。いやメモ書きです。出席カードの裏に走り書きするようなもの。

そもそも2年生の時、牛島ゼミを受けようと思った理由。「とにかく自分の視野を広げたい、未知の価値観を獲得したい」こう思っていました。牛島ゼミを志望してくれる2年生の方々と話すと、同じような話を聞くことが多々あります。だからきっと珍しくはない志望理由なのでしょう。僕は、会った事のない人に会って、聞いた事のない話を聞きたかった。

そうして僕は牛島ゼミに入りました。
僕が求めていたものはありました。
牛島先生は、たくさんの社会との繋がりをゼミ員に提供してくれました。
牛島ゼミにはたくさんの社会との接点がありました。限界集落や都会で暮らすマイノリティとみなされる人々、スポーツの世界、ほんとうにたくさん。

牛島ゼミで求められていることは、「社会に価値発揮すること」だと思います。それは「Something New, Creative First」というゼミの理念にもつながってくるでしょう

僕はそれを「提供する側」になることだと思っています。一方的に誰かから学んだり与えられたりするのではなく、自ら発信し提供していく姿勢。

「誰かに繋いでもらった縁は次の誰かに繋げることを心がけてみて下さい」

2014年の7月。ゼミで得た繋がりで、僕はとある漁村の漁師さんの元にお邪魔することになりました。そのことを先生に報告した時に掛けられたのが上の言葉でした。ゼミに入って、色んな人の話を聞いて、社会との接点をいくつか獲得して、満足してしまっている自分に気づきました。人の話を聞いて満足する、知らない人に会って満足する。それでは机の上で教科書を読んでいるのと何ら変わらない。そうじゃない。「提供する側」になりたい。初めて強烈に意識した瞬間でした。

だからまず、僕は、「誰かに繋いでもらった縁」を「次の誰かに繋げる」ことを始めました。まずは自分が知った新しい価値観を、ゼミ員に提供することから。例えば漁村に同期や後輩を連れて行く。ゼミの中でスポーツにまつわるトークイベントをする。少し羽を広げて、聴覚障害者のサッカーチームと体育会サッカー部の試合をマッチメイクしてみる。

(どれも、自分ひとりで達成したかのような書き方になってしまいましたが、協力して受け入れて下さる方々や一緒にやる仲間の力でほとんどが成り立っています。)

 

本当に少しずつ提供する側になるために努力する。そのために、次の誰かに繋げる。

頭の片隅にはいつも、このことがありました。そうして僕は思いました。足りない。何が?

福田写真②

何度も言いますが牛島ゼミは常に、未知の世界との接点を探し続ける環境でした。そこにいて思いました。この関係性は到底2年というスパンでは消化しきれないものだと。だからいかに自分自身の人生をゼミの延長線上に考えていくかを考えようとしました。「ゼミは通過点」ということをゼミに入る前の2年生の時に聞きましたが、今ならよく分かります。新しい発見をするたびに、それを自分の中でいかに消化し、そして自分の人生の中に巻き込んでいくか。僕がゼミについて考えるとき必ず連想するのは、跳び箱の前に並べられた踏み台であるベニヤ板です。

やけにバネの強いベニヤ板。

今、このやけにバネの強いベニヤ板を卒業することになって思う事は、これからの人生でずっと考えていきたい確固たるものが見つかったということです。それは「誰かに繋いでもらった縁は次の誰かに繋げる」ことで「提供する」側になること。アドバイスでも何でもないけれど、とある卒業するゼミ員の将来へ向けた、出席カードの裏のメモ書きがここに出来上がりました。

(余談がしたいから余談をしてみる―――。
人には絶対に選べないものがあると思っています。
それは両親ではないでしょうか。
だからこそ、人はこの縁を大切にするのかもしれません。

それと同じように、ゼミの同期も自分で選ぶことは出来ません。
少なくとも牛島ゼミでは。

僕はこの2年間、ゼミの同期たちによって様々な縁に導かれました。
だから僕も、同期を新しい世界に導けるように必死になっていました。
別に元は、自分が選んで一緒にいたいと思った人たちではないのに、、
きっと僕は、また牛島ゼミに入り直すとしても同じ19人を選びます。
そう思えるくらいの環境がここにはありました。この話が本当かどうか。興味のある人は、次の2年間で実際に確かめてみてくださいね。)

福田写真③