こんにちは!15期のまこです。
今回は牛島ゼミの三本柱の一つである、そして2年生からよく自分にできなそうと言われる「ディベート」がテーマです。
ここで書きたいことは2つ。1つ目は4月から始めたディベートの思い出、そしてもう2つ目はディベートを経験して自分がどう変わったか、です。
まずは1つ目の思い出について。
初めてのディベートは5月でした。
慣れないグラフ作成や、開いたことのない官公庁のHPの統計表やら文献やらとのにらめっこの日々が続いて、ディベートの議論の仕方をどうするかよりも資料作成で手一杯だった記憶があります。
そしてゼミに入って初めてのグループワーク。ほかのゼミ員と自分を比べてできないことが多くてへこんだり、進め方が全く分からなくて途方に暮れていました。
初ディベート後、牛島先生からは「まぁ、これはディベートではありませんね。」とさらっと言われ、自分は本当にできるようになるのだろうかと不安にもなりました。
しかし、終わった後にはもうやりたくないというよりも、もっと上手くなりたい、できるようになりたい、という気持ちが強くありました。その想いがあったからこそ、10月までディベートをやってこれたのかなと思います。
そして、ディベートの思い出を語る上で欠かせないのが渋沢杯まで2か月弱共に戦ったチームです。チームメイトそれぞれが自分にないものを持っていて、自分にできることはなにかすごく考えました。
また、ありきたりに聞こえてしまうかもしれませんが、「勝つ」という目標が同じでも時には方向性が揃っていなかったり、ぶつかることもありました。
同じ議論で進展がなくなってうんざりしたり、自分の成長が感じられなくて焦ったり。ディベートのことで頭がいっぱいで、嫌になるときもありました。
それでも、渋沢杯の本番で今までのどの試合や練習よりもチームで戦っているんだと実感できて、そして少し楽しむことができて、それまでの苦労をやっと「やってよかった」という想いに変えることができました。
こんな経験を大学3年生になってするとは想像もしていなかったですが、今ではディベートは牛島ゼミに入ってからの1番の思い出だと思っています。
そして、このまたとない経験を共に作り上げていったチームのみんなには本当に感謝しています。
そして2つ目は自分がどう変わったか。
ディベートは批判的思考能力と論理的思考能力を養う、とよく説明されます。
相手の立論を読んでどこに相手の論理の矛盾があるのか、相手の論の弱点があるのかをひたすら読み込んでいくことが、これにつながるのだと思います。
また、自分の頭で考えることも意識するようになりました。ディベートのでは、自分たちは正しい論理だと思っていたものが途中で第三者から意見を言われ、その穴に気づく。そしてまた一から考え直す、そしてまた穴が見つかる…この繰り返しが本当に多いです。
ただ、ずっと考えてばかりもいられないので、途中で見切りをつけることももちろんあります。その場合であっても、結局はいかにその論理の穴を回避するかをまた考えなくてはなりません。
ディベートの期間中に甘いお菓子の消費量が異常に増えるほど、頭を使って考え続けました。とはいえ劇的に考える力がついたとは言えませんし、考える力がついたことを実証することはできません。
それでも考えることを意識するようになったことがまず成長だと私は思います。
これまで長々と書いてきましたが、誤解がないように言うとディベートを経験すると自然と成長するわけではありません。ディベートを通して自分がどう行動するか、それによって変わるのだと思います。
逆に言えば、いろんな場面で成長するチャンスがディベートにはあるということも言えるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^