【13期ゼミの振返り「竹田の人生を変えた!?牛島ゼミだからこそ得ることができた3つのチャンス。」−竹田編−】

「竹田の人生を変えた!?牛島ゼミだからこそ得ることができた3つのチャンス」

たけだ1
「チャンスを活かせる人になれ。」

これは、昨年度の入ゼミで作ったパンフレットの裏表紙を飾った言葉であり、
牛島先生が生徒にどうなった欲しいかを伺った際に出てきた言葉でした。

牛島ゼミにはたくさんのチャンスがある、ということは
恐らく2年生の皆さんもなんとなく気づいていることではないでしょうか?

ディベート、三田論、ソーシャルプロジェクト、その他・・・
たくさんの活動があり、さらに細分化すると数えきれないほどの機会がゼミによって得ることができます。

しかし、あくまでそれはチャンスが得られるだけであり、
そこから何を得られるのかは、人によってさまざまであり、
極端に言えば、活かすことができなければそのチャンスに意味はありません。

さて、2年間の振り返りというテーマで書け、という事なので、
僕自身がなぜ牛島ゼミに入ったのか、そしてどのようなチャンスを得て、活かすことができたのか。

そんなことを書き連ねてみたいと思います。
この記事で伝えたいことは決して、
「僕がチャンスを活かすことができ、こういう風にしなさい!」
という事ではありません。

ただ、僕がどのように牛島ゼミを使い、前に進んできたかを「知る」ことで
今の自分の2年後(3年生は1年後)どうなっていたいかを「考える」一助になればと思います。
長くなりそうですが、よければ読んでください^^

牛島ゼミかノンゼミか。牛島ゼミだからこそ得られると思った4つのこと。
2年前の今時期、僕はかなり迷っていました。
それは、牛島ゼミに入るのか、ゼミに入らず長期インターンやら起業やらに挑戦するのかという2択。

当時、東進ハイスクールでずっと高校生に「夢・やりたいことを考えよう」と言い続け、色々なワークを作る中で、自分自身の夢・やりたいことを考え続ける日々を過ごしていました。

「より多くの人を笑顔にすること」
それが僕の夢であり、
そして、そのために

「場づくりのプロ」になるという目標を持っていたわけですが、
その為に何をしていいか「ぼやっとしていた」からです。

そんな中、牛島ゼミの先輩であるロッキー先輩に言われた一言で、ゼミに入ることを強く意識し始めました。
「竹田君は牛島ゼミに入らなくてもやりたいことできそうだけど、大学入ってゼミに入らないのはもったいない気もするな」

この言葉をきっかけに、僕は「大学に入った目的・価値」って何かを考え始め、結果以下の4つを考えました。

①学問的思考能力、論理的に自分の意見を発信する能力を身に付ける
②密度の高いグループワークを通してチームの中で動く力を身に付ける
③学ぶ意欲が上がるような環境、自分が成長できる環境に身を置く
④普段の生活では出会えないような教授とのつながり、社会とのつながりを作る。
(ESより引用)

そして、これらを満たすが牛島ゼミであり、
ノンゼミの道では、特に①④は得づらいものであると考え、せっかく大学に入ったのだから、まず大学内で得られる力を十分に得てから次の道を考えてもいいのではないか、というのが僕の答えでした。

牛島ゼミに入り、上記の4つを伸ばしつつ、Something newを追求し、牛島ゼミをよりよいゼミにする。
それが、僕がESや面接で誓ったことであり、目標としたことです。

この考えに至るまでの過程は書き出すと長いので割愛しますが、
実はゼミに入ることを最終的に決断したのは、ゼミのES提出日の前日の夜10時でした。

こんな経緯で牛島ゼミになんとか入ることができ、2年間過ごしたわけですが、みんなが気になるのは、実際に振り返ってどうだったかって話ですよね。

実際に得たいと思った4つの力は具体的な数値では分からないものの、かなり満足できるレベルで得られたように思っています。特に②の自分を高める環境はまさに得られたところかなと。

こんなに「課題」や「やるべきこと」に対し、みんなで助け合いながら全力で頑張ることができる人たち、僕は初めて出会いました。

なにより、
みんなそれぞれ「尊敬できる」ところがあるというのは、本当に良い環境だと思っています。

さて、ここまでは、ある程度「予測できた」得られたものの話でした。
しかし、牛島ゼミの面白かったなと思うところは、やはり予想されない「チャンス」があり、それを活かした先に予想しえなかった「出来事」があったことです。

以下で、そのチャンスと結果について書きたいと思います

チャンス①
現場に入るからこそ得られる、リアルな感覚と共感力。
‐利賀プロジェクト-

たけだ2

 

僕はもともと「地域おこし」に興味があり、牛島ゼミでも利賀プロジェクトに入りました。
(実はあまり地方の地域おこしには興味がなく、ECFAとかとすごい悩んでいたので、実際そんな即決したわけではありませんが)

利賀プロジェクトも、その後の自分に関わる大きなチャンスでした。
なんといっても月に一回、富山県の集落に「通う」という事は、現場を知る、という事に加え、そこで感じたことは「生の感覚」であり、それを得ることができます。

そして、その「生の感覚」は共感を生み、その感覚が分かるからこそできることがありました。
例えば、僕の場合は、利賀プロジェクトで感じた「地方の良さを伝えること」の重要性から、ライターというスキルに興味をもち、そのスクールに通ったことがありました。

その結果書いた記事が以下です。

――————-―———–
「誰でも伝説を残せる村!“村通い”の仕掛け人「利賀ゼミ」伊藤悠さんに聞く「過疎集落・利賀村に若者が通い続けるワケ」
http://greenz.jp/2014/07/21/togamura/
――————-―———–

この記事はたくさんの人にシェアを頂き、編集長からも褒めて頂いたり、この記事をきっかけにあるイベントに講演者として呼んでもらうことにもつながりました。

これは分かりやすい例として書いてみましたが、それ以外でも、この利賀村で得た経験や感覚は、地域おこしを実際に行われている人たちと深い会話がを可能にし、興味を持ってもらって色々イベントに誘ってもらえたりと、多くのチャンスにつながったと感じています。

チャンス②
ゼロからイチを生み出す経験。‐FDPの創設-

「もし牛島ゼミに入ゼミさせていただくことが出来ましたら、牛島ゼミに何かSomething newを起こし、入れてよかったと思っていただけるよう頑張りたいと思っています。」(ESより)

僕はESに上記のようなことを書き、実際に何を起こすかずっと考えていました。
そんな中、「誰かがプロジェクトを立ち上げても構わない」(本当に先生が言ったかは記憶が定かでないけど)と先生が考えていることを知りました。
そして、このチャンスを使って、自分のつながりを活かし、新たなプロジェクトを作ることを考え始めました。

その結果生まれたのが、「Future Design Project」です。
たけだ3

FBページ:
https://www.facebook.com/pages/%E6%85%B6%E6%87%89%E7%89%9B%E5%B3%B6%E3%82%BC%E3%83%9FFuture-Design-Project/1485932295023113

もともと、ゼミに入る前から東進ハイスクールで働いていたり、実際の自分の経験から、
「みんな夢とか目標がなかったり、それを見つけるために苦しんでいたりするのはどうにかできないか」
という想いがあり、その問題意識に基づいた活動をしたいという想いがありました。

そんな中、部活のOB会で出会い、この話題で意気投合して仲良くさせて頂いている高校の大先輩(6つ上)の方が、「仕事を辞めて似た問題意識の下でフリーで働く道を模索する」という話を聞き、それを知ってすぐに「ゼミを使って何か一緒にできないか?」とFBメッセージを送ったことがプロジェクトの発端となりました。

先輩と討論に討論を重ね、自分の問題意識をブラッシュアップし生まれたのが
「みんながそれぞれの【未来】を自分が納得できる形に【デザイン】できるようにしたい」
という目標。

そして、参加する学生への教育的価値として商学部のゼミとして
「相手のニーズを把握したうえで、プログラムを開発するだけでなく、持続可能な仕組みを検討する」することを通し、
「提供者視点」を身に着けることを強調することで、ゼミのプロジェクトとして発表し、なんとか個性豊かな4人の仲間を得ることができ、一年間活動を続けることができました。

このプロジェクトを通し、一番成長できたのは僕自身だと思っています。
まさに「提供者視点」というものに集約されますが、
先生にいかに納得してもらうか。
どうやって仲間を増やすか。
どうやって活動を生み出すか。
どうやって仲間をモチベ―トするか。
などなど、自分がトップになることで得られた経験はとても自分のためになったと感じています。
なにより、この活動は今後にもかなり大きな価値を生み出すことになりそうです。
その話は最後に譲ります。

チャンス③
人との出会い、そしてつながりが「これから」を変えた
-牛島ゼミで得られた最高のつながり-

牛島ゼミで一番大きなチャンスだと僕が感じているのは
「多様なすごい人との出会い」だと思っています。

例えば、先生がセッティングしてくださる「講演会」。
毎回、各界で一流な方が来てくださり、話を聞かせて頂くのみならず、講演会後には一緒にご飯を食べに行くこともできます。

そこで得られた出会いもすべてではないですが、かなり色々なチャンスをもらうことができました。
一流の方が集まるイベントに呼んでいただけたり、時には有償で普通では経験できない仕事をやらせてもらったり。つながりがつながりを呼び、カメラ教室のインターンを紹介して頂き、無料でプロから写真を教わることもできたりもしました。

また、講演会ではなく、ゼミの先輩や同期から得られたつながりも、僕の「これから」に大きな影響をもらうことができました。
僕は、これからSDMという大学院に進みます。
これは、もともとゼミに入る前から大学院に行きたかったわけではなく、(というかそんな選択肢は頭にありませんでした)ゼミの先輩にこの大学院で行われるイベントをたまたま教えてもらい、それに参加したことが大きなきっかけとなりました。

そのイベントで、これから僕が入ろうとしている研究室の先生と仲良くなり、その後その先生と一緒に日吉でプロジェクトをやることにできたりするなかで、大学院に魅力を感じ、その進路を決めました。

ゼミ員は同期が約20名、一つ上の先輩を合わせれば40名。そしてOBまで合わせれば150名以上になります。そんな中だからこそ流れてくる情報やチャンスはとてもたくさんあります。

全部を活かせたわけではもちろんありませんが、この環境だからこそ、僕は大学院に行くという大きな方向転換が決まり、またその他でも自分の血肉となって今があるように感じています。

たけだ4
(自分がこんな恰好をすることになるとは想像できませんでした(笑))

これからの話
以上が、僕の牛島ゼミでの2年間の振り返りです。
この2年間の結果、どうやら僕は大学院に行きつつ、FDPのサポーターとして協力して頂いた方とNPOを作り、それを本気で今後取り組んでいくこととなりそうです!

まさにFDPでの成果を使いながら、その問題意識をベースにより社会に影響力を持てるよう活動をしていくつもりです。

Something new

この言葉を胸に、これからも「じぶんらしく」頑張っていきたいともいます。

長々と書いてしまいましたが、もしここまで読んでくださった方がいれば、その方にメッセージを残して終わりたいと思います。

牛島ゼミは、チャンスに溢れている2年間をあなたに提供するでしょう。
しかし、そのチャンスは得るだけでは、あなたに何ももたらしません。
自分の「やりたいこと・目的・夢」と照らし合わせながら、必要に応じてそのチャンスを活かすことで、初めて価値があります。

チャンスが多い分、最初に描いていた理想にしがみつく必要はありません。
その時々の「自分」を見つめ、得たいチャンスはどんどんものにしていってください。
そうすればきっと、どんな形であれ、「納得できる」2年後の自分が待っています。

Ask, and it will be given to you.
(求めよ、さらば与えられん)

竹田和広