【牛の放牧合宿・対談SP・第4弾】サーフボードがつなげる出会い  ~サーフィンの聖地一宮で生きる匠~

今回の合宿で、私たちの班は千葉県一宮町でサーフボードを作っていらっしゃる前田博之さんのもとを訪れました。

(EVOLVE前で撮影:写真左手がパートナーの河邊さん。右手が前田さん。)

前田さんは独自のサーフボードブランド「EVOLVE」を立ち上げ、サーファー1人1人のニーズに合ったサーフボードを作っています。

インタビューを通じて「サーフボードを作る上でのこだわり」や「一宮町の魅力」をうかがいました。

【お客様一人一人に合わせたカスタマイズへのこだわり】

-前田さんのボード作りに対する想いを教えてください。

お客様一人一人のニーズをくみ取ったサーフボード作りを心がけています。「EVOLVE」では、お客様と実際に海に入り、その人その人の泳ぎ方やサーフィンのスタイルなどを把握します。その後、デザイン設計からコーティング仕上げまでの全製造工程を「EVOLVE」で一貫して行うという形式でボード作りをしています。

 

-ではお客様一人一人の癖やスタイルなどを熟知してから作っているんですね?

そうです。一人一人全く癖が異なるんですよ。また、頭の中のサーフィンに対する気持ちも違うことから、サーフィンの気持ちいいと思う瞬間が千差万別です。それを叶えるためにボードを作っています。お客様の中には、要望を箇条書きにして持ってくる方もいらっしゃいます。それをもとにディスカッションして、海に入り、その中でこういうものが良いと決めます。サーフボード一本が安くてだいたい11万円。上に行くと20万円くらい。結構高価なものだから、しっかり作り込んであげたいんです。

 

-なぜお客様の要望をもとに作ろうとお考えになったのですか?

以前の職場が工場と売り場が分かれた生産体制だったため、お客様のニーズを上手く拾うことができなかったからですね。だから必然的に「お客様との接点を持ちたい」という想いを持ちました。

ボード作りに精を出される前田さん。その源泉は、「波の乗り心地は、ボードのデザインによって決まるから」だそうです。

波は保存ができない、という特性があるからこそ、デザインをする上で、前田さんご自身の感覚を頼りにボードのカーブや反り具合を調整することが大切だとお話されていました。

 

【18歳で一宮に移住、独立するまで】

前田さんは島根県出身で、15歳からサーフィンに熱中。18歳の時に、プロサーファーが多く、レベルが高いという理由から単身で千葉の一宮に移住し、同時にサーフボードを作る工場に勤め始めました。そして30代で独立し、自社ブランド「EVOLVE」を立ち上げたと言います。

 

-18歳から一宮に移住されたということですが、不安などなかったのでしょうか

18歳の私は安定とか、自分の将来とかを全くイメージしていなかったので、目の前のやりたいこと(­=サーフィン)だけを追い求めていたんですよね。だからノープランで一宮に来てしまったわけですよ(笑) 今思えばあんなこと怖くてとてもできません(笑) あの当時はがむしゃらで、自分のやりたいことしか考えていなかったから不安などはなかったですね(笑)

 

-いつごろから独立を意識し始めたのですか?

ボードを作り始めて8年ほど経ち、一人でボード作りの全工程をできるようになったくらいですかね。工場で働くなかで、大量生産よりも顧客のニーズに合わせたサーフボードを個別に細かく作っていきたいと考えるようになり、独立を意識し始めました。しかし、思い立ってから直ぐに独立したわけではなく、勤務先であった工場の社長に相談しつつ2年間の入念な準備期間を経て、独立しました。

 

-個人でやっているということはニーズが拾える反面、苦労することもあるのでは?

買い手のニーズに商品が合っていなければ、商品の価値がなくなってしまいます。ここがとても怖い部分だと感じます。そのため、お客様の求めるものを提供しなければならないので、「一人一人のニーズをしっかりと把握していく、そのための努力を怠らない」ということが非常に重要となってきます。この絶え間ない日々の努力が苦労する点ですかね。

 

【一宮の魅力】

-一宮の魅力とはなんですか?
サーフィンをいつでもできることが一番の魅力です。一宮の海は親潮と黒潮がぶつかる所なので、常に波があります。そのため、例えば朝4時からサーフィンをして、その後仕事に行くこともできます。また、サーフボードを作る側からすると、技術の高いサーファーが集まっている一宮は最高の環境なんです。なぜかというと、常に最先端の技を見ることができるので、その技を成功させるための要素をもったボードをすぐに作ることが可能だからです。それ故に、一宮で仕事をしているということは最大のステータスになり得ます。

 

【オリンピックについて】

-一宮町がオリンピック会場に決まったとき、住民の皆さんやサーファーさん、サーフボード職人さんたちはどのようなお気持ちになったのですか?

オリンピック会場に決まったことで、初心者の方や、今までサーフィンに興味がなかった方が一宮に足を運んでくれること自体が素晴らしいことだと思っています。また、それによって飲食業や宿泊業などに集客が見込め、一宮の町が潤うわけですし。ただし、僕の場合にはサーフィン上級者の方を主な対象者として商売を行っているので、すぐに恩恵はないと思います。サーフィンを始めてくれた人たちが、今後も続けてくれて、「せっかく一宮に来たんだから、前田さんのところでボード作ろうかな」となったときに、初めて恩恵を受けることになるのだと思います。まあ、3年から5年後くらいですかね、もうちょっと時間がかかると思います(笑)

 

-オリンピック会場になったことによる弊害はありますか?

一宮が好きで移住してきた人たちは、今まで来てなかったサーファーが増えることに対して、嫌悪感を覚えるかもしれないですね。「オリンピックの会場は一宮じゃなくても良いんじゃないか」と思っている方もおられるみたいですし。人が多くなることで、例えば、波に乗れる回数が減ったり、隣の人と接触してけがをしてしまったりするなど、新しい問題が発生するので、実際は良いことづくめではないです。

 

-前田さんにとってオリンピックは歓迎なのですか?

歓迎ですね。ただ、僕一人だけでは一宮という良い環境を築けるわけではありません。一宮は住んでいる皆さんあってのものだと思うので、新しい問題が発生していったときは、全員で壁にぶつかって解決に向かっていきたいと思います。解決策として例えば、一宮の町が海の監視員というアルバイトを募集するとかですかね。各ポイントに若いサーファーを監視員として配置することで、初心者がサーフィンを気兼ねなくやれる時間を確保してあげられると思うんです。

 

【前田さんの今後の展望】

-今後の展望について教えてください。

独立したての時はちょっと鼻息も荒かったんで、大手の傘下に入って同じようなメジャーブランドとして一線でやりたいなと思っていました。それこそ自分自身にビジネスコーチを付けていた時期もあったくらい(笑)

でも、結局、自分の本望は「作ったボードをお客様に喜んでもらうこと」だということに気づきました。お金を稼ぐということももちろん大事ですが、今のファンの方の要望を叶えられなければ、売れるモノも売れなくなってしまいます。ですから、これからも求められているニーズ一つ一つに応えていきたいです。

 

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終始、自らのボード作りについて楽しそうにお話されていた前田さん。サーフボード作りに対するまっすぐで真摯な姿勢は非常に好印象でした。サーフィンをする上で欠かすことのできない「サーフボード」一つ一つに、こんなにも作り手の熱い思いが込められているんだと、ただただ感心させられるばかりでした。また、オリンピック会場に決まったことに対する生の声を聞くことができ、良い面だけではなく悪い面も引き起こすことを知りました。私の中のものの捉え方の引き出しが増えたように感じます。

 

前田さん、大変貴重なお話をありがとうございました!

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